使者
「つっまんな~い」
マリムは肩で息をしていた。
別に全速力で獲物を追いかけてきたわけではない。全速力で追いかけられていたわけでもない。ここはマリムの家の中なのだから。
「他には?」
今更ながら自分のしてしまった事を心から悔やむ。どうしてあの時、きちんと断らなかったのだ? ちょっとばかり見た目がいいからといって安易に引き受けてはいけなかったのだ。精霊という生き物を、大して知りもしないのに一緒に生活するなど、所詮無理なことだったのだ。
「ねぇ、他には?」
アーリシアンは屈託ない笑顔で『次』を要求する。マリムは大きく息を吐き出すと、言ってやった。
「今のが最後です」
「へ?」
「お終いですっ!」
「……ええーっ?」
不満タラタラのアーリシアンである。
「なにが『えーっ?』ですかっ。こっちは朝から飲まず食わずでずっとやってんですよっ。ちっとはいたわりの心っていうもんがないもんかっ?」
アーリシアンは朝からご機嫌斜めだった。ラセルが迎えに来ない、とイライラしていたのだった。
「いつ来るかわからない」
と出て行った男が、預けた翌日に迎えに来るはずがないだろうに。
そんなアーリシアンを慰めるべく、マリムはピグル族特有の『技』を披露してやったのである。通称『変化』といい、他のものに姿を変える術なのである。もちろん、何にでもなれるというわけではない。姿形が似た、簡単なものにしか化けられないのだ。
「見た目より結構な体力を使うんですぞ?」
まだ肩で息をし、マリム。
そんなことはお構いなしに、アーリシアンは口をとんがらせていた。
「じゃあ、ラセルに化けてよ」
「無理です」
「なんでっ?」
「形が複雑すぎます。それに身長差がありすぎる」
「いいから化けなさい!」
「ヒィィッ」
アーリシアンの鋭い命令により、マリムは慌ててラセルの姿を形作った。……のだが、
「くっ……ぷぷっ、きゃははははははっ」
その姿を見るや、アーリシアンは腹を抱えて大笑いしたのである。
「なっ、なんですか、失礼なっ」
マリムが声を荒げる。
「だって、だって、あははははっ」
マリムを指し、転げまわって笑うアーリシアン。そんなにおかしいのかとマリムが近くにあった鏡に自分の姿を映した。
二頭身のラセル。
……はっきりいって似ていない。そして驚くほどのブサイクっぷりだった。
「こんなの見られたら食われるな、俺」
ポンッと変化を解く。
「やーん。もう終わりなの?」
ゼイゼイと肩で息するマリムにアーリシアンが変化をせがむ。
「はぁっ、もうっ、むっ、無理ですっ、」
マリムはその場にへたり込んでしまった。さすがのアーリシアンも諦めたのか、窓の外に目をやった。ラセルがいなくなってから、ずっと窓の外を見ていた。だってすぐに迎えに来る、と言ったのだ。すぐに来る、と。
「……すぐって、一体どのくらいの時間なのかしら?」
呟く。
「ラセル、」
「そんなにラセル様の事が好きですか?」
マリムが訊ねた。
「もちろんよ! 私、ラセルのお嫁さんなのよ?」
自慢気にポーズなど作って見せる。
「精霊と魔物が夫婦ねぇ。世の中不思議なこともあるもんだ」
「そんなに変?」
「変ですとも。精霊と魔物はまったく相反する種族ですからね。元々精霊も魔物もプライドの高い、血を重んじる一族だ。異種と結婚するだけだって驚きだっていうのに相手が魔物とは」
「ふーん。そうなの」
アーリシアンは首をかしげた。精霊と魔物は仲が悪いのだろうか? ラセルはあんなに優しいのに。
「そういえばアーリシアン、自分の親のことは覚えてるんで?」
「ううん、全然。私が覚えてるのは、ラセルの顔だけよ。生まれたときからラセルの事しか知らない」
「じゃあ、アーリシアンって名前はラセル様が?」
「それは違う。ラセルは私のお母さんに会ったことがあるんですって。私をラセルに預けてすぐ死んじゃった、って。名前はその時お母さんがそう呼んでいたからだって」
母親……それを恋しく思った事がないといえば嘘になる。どんな人だったのか、どうして死んでしまったのか、アーリシアンにはわからない。わからないからこそ、愛しくも思う。だが、存在しない誰かを待ち続けることほど空しい事はない。自分には今、ラセルがいるのだ。それでいい。
『……デハ、ヤハリオマエガ あーりしあん……ナノカ?』
「えっ?」
頭の中に声が木霊する。キョロキョロと辺りを見渡すが、マリム以外、ここには誰もいない。
「今、何か言った?」
「いいえ?」
マリムが首を振る。
『カエルノデス あーりしあん』
「誰っ?」
立ち上がる。窓を開け、外を見る。が、やはり誰もいない。
「なんですね? アーリシアン」
マリムが不思議そうに訊ねた。
「聞こえないの? マリムには何も聞こえてこないのっ?」
嫌な胸騒ぎがした。言いようのない不安。
『コチラヘ オイデナサイ』
ポウ、とアーリシアンの目の前に光が現れる。驚いて体を震わせる。と、光はまるで彼女を導くかのようにフワフワと漂いながら動き始めた。
『コチラヘ……、』
「嫌よ! 行かない!」
「どうしたんですか? 一体」
マリムは相変わらず首を傾げるばかりである。
「あの光も見えないの? どうして? 私だけに見えてるの?」
『ソウデスヨ ヒカリノセイレイダケニ ミエルノデス』
「……っ、」
アーリシアンが首を振った。
「私はラセルの妻よ! 今は、ただそれだけなのよ!」
「知ってますよ、そんなことは」
暢気なのはマリムだけである。
『……ツマ? マサカ、』
「本当だもんっ」
『……、』
声が止んだ。納得したものとアーリシアンがホッと息を漏らしたその瞬間、
パアアアアッ
「うわっ、なっ、なんだこりゃああっ?」
マリムにも見えるほど強烈な光が辺りを包んだのである。
「アーリシアン、あなたの仕業ですかっ?」
「違うわよっ!」
光の中、目を細めて辺りを探る二人。外へ逃げ出そうと、目を凝らしなんとかドアまで辿り着いた。
「ちょっ、あれっ?」
マリムが取っ手を握ったままオタオタ慌て始める。
「何してるのよ、マリム、早くっ!」
「開かないっ、何故だーっ」
完全にパニックである。
「んもうっ、どいてっ」
マリムを押しのけ、アーリシアン。が、どんなにノブを回そうえとしてもびくともしないのだ。もちろん、ドアを押したり引いたり色々試してみたがまったく動く事はない。
「なによ、もうっ」
「ほうら御覧なさい。開かないでしょう?」
「どうしてよっ?」
「さぁ?」
「さぁ、じゃないでしょっ。早く何とかしなさーい!」
「そんなこと言われましても……、」
そうこうしているうちに、光は徐々に輝きを失い、段々と視界が戻りはじめる。
「……あ、」
マリムが一点を指した。つられて視線を投げるアーリシアン。そして、息をのむ。
「……おお、その眼差し、フィヤーナ様によく似ておられる」
立っていたのは男。
間違いなく、精霊の男。
「その口元はユーシュライ様にそっくりだ」
「……おい、」
「なんと美しく成長なされたか。ユーシュライ様もさぞやお喜びになるだろう」
「おいおい、ちょっと、あなた」
マリムが独り言を喋りまくっている男に突っ込みを入れる。が、男にはまったく興味がないのか、完全に無視を続けていた。
「さぁ、アーリシアン様こちらへ……、」
手を差し伸べる。
ぱしっ
払いのけ、アーリシアン。
「あなたは誰? どうして私の名を知っているの? 何しに来たの?」
男はしばらくきょとん、としていたが、やがて楽しそうに笑い出した。
「ああ、これは失礼いたしました。紹介が遅れましたね。私の名はムシュウ。ユーシュライ様の臣下にございます」
「ユー…、って誰です?」
マリムが口を挟む。
「それよりアーリシアン様、どうしてこのような場所に? あなたは成人しておいでだが、伴侶はどこにいるのです? まさかこのピグルがそうだなどと馬鹿げた事は言いますまい?」
「馬鹿げた事とは失礼なっ」
マリムがむくれた。
「私の伴侶はラセルよっ。今はちょっといないけど、すぐに戻ってくるもん!」
「ラセル……という御方か。今はいないとはどういうことです?」
「ちょっと……出掛けてるのっ」
プイッとむくれる。
「では、戻られましたらすぐに出発いたしましょう」
「……出発?」
マリムが首をかしげた。
「あなたのお父上が首を長くして待っておいでですからね」
「……父…上?」
アーリシアンの心がざわりと揺れた。
「……何、それ?」
ムシュウがクスリと笑った。
「天界へ帰るのですよ。アーリシアン様」
「てててててて、天界っ?」
マリムが大袈裟に驚いてみせた。
「しかし、もう天界へと続く道は閉ざされているはずでは? 次に道が開くのは五年後でしょうに? ……ってゆーか、あなたはどこからおいでなすったのだ? まさか天界から舞い降りてきた、なんて事はあり得ませんもんなぁ。あ、しかしどこかで耳にした事がありますぞ。正規の道以外にも地上へ降りる方法があるとかないとか。あれは確か……」
ビクッと体を震わせる。
「あれは確か……、まさか、そんな」
「なに? マリム、何よ?」
マリムは明らかに怯えていた。一歩、また一歩と後ろに下がってゆく。ムシュウがニヤッと嫌な笑顔を向ける。
「物知りなピグルだね、お前。そうだよ、私はあの方法でここに来たのだ。秩序を乱してでもアーリシアン様を天界へ連れ戻さなければならないということだ」
「私、天界へなんか行かないもんっ」
「何を言っておいでだ。お父上に会いたくないのですか?」
「父親はラセルだもんっ。ラセルだけでいいんだもんっ」
ブンブンと首を振り、抵抗する。
「……アーリシアン様、ラセル様は伴侶なのでしょう?」
「そうよっ。伴侶で父親なのっ!」
「……なん…ですと?」
ムシュウはやっと話がどこかおかしい事に気付いた。ピグルなどと一緒にいるアーリシアン。同じ種である自分に対して警戒心だらけのアーリシアン。「ラセル」という人物を、伴侶であり父であるなどとわけのわからない事を言うアーリシアン。
「……ラセルとは、何者です? まさか、別の種だなどという事は、」
「魔物ですよ、ラセルは。あんたさんはそんなこともご存知ないか?」
マリムが自慢気に口を挟んだ。今来たばかりのムシュウがそんなこと知っている筈もないというのに。
「……なっ、」
ムシュウの顔色が変わる。鋭い視線をアーリシアンに向け、問い質した。
「本当なのですかっ? アーリシアン様!」
「……だったらなによ」
魔物という言葉を聞いた途端の豹変。アーリシアンを見る目が明らかに『蔑み』へと変化したのだ。その嫌な視線を受け止め、アーリシアンも睨み返す。
「よりによって魔物などと……。馬鹿げている!」
「なんなのよっ、その言い方!」
アーリシアンは腹が立ってきた。精霊は、誇り高き種だということは知っていたが、これほどまでに傲慢で勝手だったとは。
「ラセルはねっ、違う種である私をずーっと育ててくれてたのよ? 私を愛してくれるたった一人の人なのよ? なんであんたなんかにそんなひどいこと言われなきゃなんないのよっ。不愉快だわ!」
ムシュウは難しい顔のままアーリシアンを見つめていた。
「とっととお帰りなさい! 帰って、父親だと名乗る人に言っておいて。私は絶対帰らない、って!」
ムシュウは大きく息をついた。フッ、と口元を歪ませ、静かに告げる。
「……ここに魔物がいなくて正解だった。伴侶である男をあなたの前で切り捨てるわけにはいきませんのでね。魔物が戻る前にあなた様をお連れいたしましょう」
「だから行かないって、」
不意に視界が歪む。アーリシアンは頭を抑え、その場に膝を付いた。
「アーリシアンっ?」
マリムが駆け寄る。
「あ……たまが…」
「どうなされたっ?」
バッとムシュウを見上げる。彼は小さく口を動かし、何かを唱えていた。
「お前、やはりっ!」
マリムが眉をひそめた。
「……な…に?」
アーリシアンが訊ねる。
「昔、誰かに聞いた事があるんです。精霊たちの中に、禁断の白い術を操る者がいるという話を」
「……え?」
「それは古より伝わる呪われし術。災いをもたらすと、禁じられているのですが……」
「お喋りはそれまでだ。さぁ、参りますぞ」
パチン、と指を鳴らす。それと同時にアーリシアンの体が崩れ落ちた。
「うわっ、アッ、アーリシアン?」
支える、マリム。
「さて、お前には聞きたいことがある。お前も一緒に来てもらうぞ」
ポウ、と空間が白く歪み、光が溢れる。それは道ならぬ道。
マリムはアーリシアン共々、未開の地……天界へと連れ去られたのであった。