異種交流
「……なんですと?」
「……だから、そういうことだ」
ラセルは真剣な目で相手を見据えた。しかし相手はその視線を故意に外し、明らかに避けている。しかしここで折れるわけにはいかないのが事実だ。ラセルは粘った。
「いくらラセル殿の頼みとはいえ、無理でございます」
相手は迷うことなく答えを返してきた。こんなにはっきり言い切られるとは思っていなかったラセルが焦る。
「断らないでくれ」
懇願しているのだが、態度は偉そうだ。
「お断りします」
一言一句、噛み締めるように繰り返す。
「頼むよ~、マリム」
続いて泣き落としへと移行する。
「駄目なものは駄目です。私の立場も考えてくださいよ、ラセル殿」
尤もなのだ。
マリムはこの深い森に住むピグルという種。主に小動物や魚などを捕り、暮らしている。ずんぐりむっくりの体型と褐色の肌が特徴だ。ラセルとは友人関係にある。異種同士での付合いは珍しいことで、つまりマリムもピグルという種の中では少々浮いた存在なのである。
「私はピグルですぞ? あなたとこうして会うだけだって命懸けなのに」
そう。
ピグルと魔物は、いわば狩る者と狩られる者であるわけだ。
魔物にはピグルを主食とする者達がいる。だからピグルは『魔』という存在自体を敵視しているし、恐れていた。そんな中、ラセルとマリムは縁あって友人という間柄。だが、他のピグル達からすればそんなこと理解できるはずもなく、マリムはラセルに利用され、いつかこのピグルの集落に魔が攻め入ってくるのではないか、という憶測があった。いつしかマリムは集落を追い出され、一人、森の奥深くで暮らしているのだ。
「ここで生活を始めて、早十余年。村長もやっと誤解を認めて、村に戻れるかもしれないってのに……、」
「戻る?」
「そーですよ」
マリムはわざとらしく腕など組み、眉間にシワを寄せ、言った。
「そりゃ、確かにあなたと一緒にいて私は色々な知識を授かった。知らなかった真実を耳にし、成長したのは事実です。感謝こそすれ、迷惑だと感じたことなど微塵もない、しかぁぁし!」
ビッ、と人差し指を押し付ける。
「お年頃である私は村に帰って一刻も早く嫁を探したいのも事実。まさに今、繁殖真っ盛りなのでありますっ」
「あー……、」
興味なさそうに、ラセル。
「ラセル殿、大体あなた、しばらく顔を見せないと思ったらひょっこり現れて、挙句の果てには頼み事とは。それでは都合がよすぎませんか?」
「お前は俺にとって都合のいいピグルだ」
言い放つ。
「あっ、なんてことをっ! そんな、ピグルをピグルとも思わないような発言っ、許せませんぞっ」
よくわからない会話である。
「ねー、ラセルまだなのぉ?」
ひょい、と窓から顔を出したのはアーリシアン。ラセルに『顔を出すな』と言われたことなどすっかり忘れ、屈託のない笑顔で興味深そうに中を覗いている。パチ、と目が合った瞬間、マリムがあんぐりと口を開けた。
「……あっ、……あっ、」
窓を指差し、ラセルに視線を配る。ラセルは頭をかき、もう一度言った。
「預かってくれ」
マリムがやっとの思いで言葉を紡いだ。
「なんですかあれはっ」
「アーリシアンという」
「そそそ、そんなことを聞いているのではありませんっ。あれはっ、あれは精霊じゃないんですかっ? しかも彼女は成人しているっ。つまり奥方様ということだ。あなた、人のもん勝手に連れ出して一体どうするつもりなんですっ? まさか、繁殖を……、」
ゴンッ
ラセルがマリムの頭を殴った。
「ちっとはおとなしく俺の話を聞けよ」
なんとかマリムを落ちつかせ、アーリシアンも家の中へ入れる。彼女の姿を間近にしたマリムは口を半開きにし、ボーっと見とれるばかりである。確かに、彼女が部屋に上がり込んだだけで、まるで雰囲気が変わる。別の場所にいるのではないかと錯覚を起こすくらいだ。アーリシアンの持つ独特のオーラは、ほかの精霊たちと比べても格段上ではないかとラセルは思っていた。
「改めて紹介しよう。アーリシアンだ」
「はじめまして」
にこっ
クラッ
「おいおい、いちいち倒れるなよ」
ラセルが傍にあったコップを渡す。マリムは気を落ち着かせようとそれを口にした。
「マリム、実は彼女は……、」
「ラセルの妻ですっ」
「ぶっ、」
吐き出す。
「違うっ」
「違わないじゃない」
痴話げんかを始める二人を横目に、マリムはネジが外れたかのようなおかしな動きをしながら言葉を詰まらせた。
「……つつつつつつつ、」
マリムの頭の中では、こうなる経緯が鮮明なビジョンとして浮かび上がっていた。
『へっへっへ、可愛いな、お前』
『あ~れ~』
『おとなしくしろっ! さもないと丸ごと全部食っちまうぞ!』
『それだけは堪忍を~』
『それじゃあおとなしく俺の妻になれ。いいな?』
『そんな~。おとっつぁーん、おっかさーん』
『わめくんじゃねぇ。さぁて、それじゃ早速繁殖活動を、』
ゴインッ
ラセルが後ろから蹴りを入れた。
「全部口にする奴がいるかっ、阿保っ」
アーリシアンはキョトン、とその光景を眺めていた。前につんのめり、したたか顔を打ち付けたマリムが鼻を押さえて立ちあがる。
「ラセル殿、なんでまた精霊を連れてらっしゃるんで?」
「……つまり、経緯はこうだ」
ラセルは手短にアーリシアンのことを説明した。ただ一点、彼女が成人している理由は除いて、だが。
「そうですか、育ての親にねぇ」
「お前も知っての通り、俺はそろそろ地の宮に戻らないといかん。しばらくアーリシアンをここに置いてくれないか?」
「えーっ? そんなの嫌っ!」
すぐにアーリシアンが駄々をこね始める。
「こう言ってますが?」
「わかっているだろう? 俺の立場をっ」
ラセルが地の宮に戻らなければならないわけをマリムは知っていた。確かに、アーリシアンを連れて戻ることなど出来る筈もない。自分を頼ってここへ来た気持ちはよくわかる。しかし……、
「うー……、」
マリムは悩んだ。
村に帰って嫁を探すべきか、それともこの綺麗なねーちゃんとしばらくここに住むか。そりゃ、村に帰って嫁を探すのがピグルとして最善の道であり自分も望んでいたことだ。「こんな奥深い森の外れで一人寂しく生きていくのは……まぁ、それはそれで別に嫌いではないが、とにかく嫁は欲しい。しかし、ここでしばらく綺麗なねーちゃんと生活するというのもそれはそれで悪くない。こんな機会はもう二度と巡ってこないのだから。一緒に生活していれば、もしかして、もしかすることもあるかもしれないわけで、例え異種同士とはいえ不可能ではないわけだし、ピグルと精霊の子供……褐色の肌に美しい藤色の髪。
大きな瞳が君にそっくりだね、なんて言い合いながら二人は仲良く暮らしていけるかもしれないわけだし、グフフ、」
「……マ~リ~ム~?」
ググッと握り締めた拳を振り上げるラセル。殺気を感じ、振り向くマリム。
「ほへっ?」
ゴーン、ゴーン、ゴーン
……鐘の音が響き、無数の星が宙を舞った。
「口に出すなと言っているだろうにっ」
きゃらきゃらとアーリシアンが笑う。マリムがコホン、と咳払いをし、改めて問うた。
「……しばらく、というのは具体的にどのくらいなんです?」
「それは……、」
ラセルがチラ、とアーリシアンを見た。マリムの耳元に口を寄せ、声を潜める。
「わからん」
「はっ?」
「しっ! アーリシアンには『すぐ戻る』と言っておかなければ納得しそうもないんだ。黙って頷けっ」
「そんなぁ、」
「折を見て連絡するから」
ポン、と肩を叩き笑う。
「じゃあ、決まりだな」
「……決まりって?」
不安そうに、アーリシアン。
「俺は地の宮に戻る。アーリシアンはここで待ってろ」
「待って? ラセルと離れるのは嫌よ!」
「まぁ、そう言うな。すぐに迎えに来るから。な?」
爽やか~に、ラセル。アーリシアンはじっとラセルの顔を見て、言った。
「ラセル、嘘ついてる」
ギク。
「嘘なんかついてないだろっ? 俺の言うことが信じられないのか?」
「うん。だって嘘ついてるもの」
「どうしてっ」
「愛があるからわかるのっ」
胸の前で手を組み、目をキラキラさせてラセルを見上げる。ラセルはアーリシアンの顎につい、と指をかけ、上を向かせた。アーリシアンが頬を赤らめる。
「アーリシアン、俺を信じろ。俺が戻るまでここでおとなしく待て。それが出来ないならお別れだ」
「ラセル……、」
ラセルの真面目な顔が目の前に迫っている。今まで見せたことのないような真剣な眼差し。アーリシアンは心臓がドキドキと脈打つのを感じていた。
「待てるな?」
脳に直接響いて、全てを支配するような危険で、魅惑的な甘い、声。思わずこくりと頷いてしまう。
「よし、いい子だ」
ポンと頭を撫で、ラセルが安堵の息を漏らした。
「じゃあ、マリム、頼んだぞ」
「って、今すぐ出て行かなくても、」
「あとは頼むぞ、マリム」
アーリシアンには見えない位置でにぃ、と笑うラセルの顔は本当に嬉しそうで、マリムは一抹の不安を覚えた。
「本当に迎えに来るんでしょうな?」
「あっ、当たり前じゃないか」
慌てて視線を逸らす。マリムが眉をしかめてラセルを見上げた。
「ラセル……、」
おずおずとアーリシアンが声をかける。
「ん?」
「……お別れのキスは?」
ぶっ、とマリムが吹き出し、ラセルもまた顔を赤らめた。
「あのなぁっ、」
「だって、だってラセルと離れるなんて初めてなんだもんっ。私、不安で……、」
「馬鹿。すぐ戻ると言ってるだろ? おとなしく待っていなさい」
相変わらずのお父さん口調で諭す。アーリシアンが小さく頷いた。
「じゃあな、」
背中で手を振り、ラセルはマリムの家を後にした。はっきり言って地上に戻れる保証などなかった。この十五年のツケがどういう形で自分の身にのしかかってくるともわからないのだ。
まぁ、これを機にアーリシアンが自分に愛想を尽かし元のあるべき場所へ戻ってくれるならそれが一番いいだろう……などと、この時は簡単に考えていたのだ。この別れが後に大変な事件を巻き起こすことになるなど、知る由もなかったのである。