06.王子からのお願い
「それで、話とは?」
ソファに横並びで座った私たち。すぐ隣の少し上辺りで、グランツ殿下の優しい声が聞こえる。
「グランツ殿下に、感謝を伝えたくて」
「え?」
「私は、グランツ殿下と結婚できてとても幸せなのです」
「……」
グランツ殿下の顔は見えないし、私の目元も隠れているけれど、それでも彼を見上げて言った。
結婚したのにこの一ヶ月の間、私たちは全然一緒に過ごせなかった。
淑女教育に忙しかったというのもあるけれど、きっと彼が私を避けていたのだろうと思った。
だから私は、月に一度のこの日を待っていたのだ。
私はグランツ殿下にどうしてもこの感謝の気持ちを伝えたかったのだから。
「そんなはずはない……。こんな男に嫁いで幸せな者がいるはずない……」
「いえ……! 本当です」
グランツ殿下の声は少し低くて、憂いを含んでいた。
けれどこの気持ちが偽りではないということが伝わるように、もう一度力強く言った。
未だに繋がっていた彼の手を、思わず強く握ってしまう。
「……それは、君がこれまで家族から酷い扱いを受けていたからか?」
「え……っ」
グランツ殿下を見上げていた私に、殿下も身体を向けてくれたのが微かな音と動きでわかる。
「言いたくないことを聞くつもりはないが……最初に顔を合わせたときと結婚式を挙げた日の君は……別人だった」
「…………」
耳に響いたその言葉に、私の背中を冷や汗が伝う。
「この手も……顔合せをした日は美しかったが、結婚式のときはもっと荒れていた。今ではだいぶよくなったね」
「…………」
そう言って握っていた私の手を持ち上げたグランツ殿下に、鼓動が速まっていく。
グランツ殿下は気づいていた。
しっかり見ていたのだ。
アビアナのことも、私のことも――。
「申し訳ございません――!」
グランツ様に嘘をついてしまった。騙してしまった。美人なアビアナではなく、貧相な私が嫁いでしまった……!
慌てて謝罪の言葉を口にしたら、私の唇に何かが触れて、言葉が遮られた。
「大丈夫、君は君だ。それより、健康的になってよかった」
「…………っ」
たぶん、グランツ殿下が私の唇に人差し指を当てているのだろう。「しー」と言いながら小さく囁かれた言葉に、私の胸はぎゅっと熱くなる。
この人は、本当にどれだけ優しい人なのだろう。
結婚相手が代わったことに気づいていたのに、気づいていないふりをして、更に健康的な身体になった私に「よかった」と言ってくれている。
どうして、そんなことが言えるの?
グランツ殿下は今、どんなお顔をされているの……?
「……私はグランツ殿下のためなら……なんだっていたします」
「……」
世継ぎを作ることだって。それ以外のことだって。
「もし私でよろしければ……グランツ殿下のお側にいます。いつでも……」
余計なことかもしれない。グランツ殿下はそんなこと望んでいないかもしれない。
けれど、私には彼の気持ちがなんとなくわかるから。
独りぼっちの寂しさが、どんなに辛いかわかるから……。
だから、たとえ断られたとしても、この気持ちだけは伝えておきたいと思った。
「……ありがとう。それじゃあ一つだけ、お願いしてもいい?」
「はい!」
すぐ近くで聞こえるグランツ殿下の声に、私は姿勢を正して返事をした。
どんなお願いだって受け入れる覚悟で。
「アビーと呼んでも、いいだろうか?」
「え……?」
「それから、できれば僕のことはグランって呼んでほしいな」
……そんなこと? そんなことでいいの? 私にだって、もっと、もっと色々できることはあるはずなのに――。
未だ握られたままになっているグランツ殿下の手に、熱を感じた。
今私は視覚を失っているせいか、グランツ殿下の声や彼の手の感覚に敏感になっているのかもしれない。
「もちろんです、……グラン様」
「ありがとう。嬉しいよ、アビー」
「……」
グラン様が笑ったのが、声のトーンでわかった。
愛称で呼び合う……たったそれだけのことが、そんなに嬉しいだなんて。
彼のこれまでの孤独を感じて、胸が締めつけられる。
「嬉しいのは私のほうです……グラン様」
「そうか……それなら、よかった」
グラン様が今どんな表情をされているのか、私は想像することしかできないけれど……せめて気持ちだけでも伝わるように、彼をまっすぐに見上げた。
「アビー……君は、とても美しい人だね」
「……」
グラン様の指が私の頬を撫でる。
目は見えていないのに、彼が私を見つめているのが不思議とわかった。
私より美しい人はもっとたくさんいる。けれど、グラン様が言っているのは、きっとそういう美しさのことではないと思う。
だって私も姿を見たことがないこの方のことを、とても美しい人だと思っているから。
近くで囁かれた声に鼓動が跳ねたけど、それ以上は何もなく、グラン様は「今日はおやすみ」と言って再び私をベッドまで誘導してくれた。
 




