03.僕を愛さなくていい
「――アビアナ」
この声は、グランツ殿下だ。
透き通るような、優しい声。一体どんなお顔をされているのか気にならないと言えば嘘になるけど、目を開けるなと言われているので私は俯いたままでいた。
「……アビアナ?」
「……っは、はい!」
そうだ、アビアナとは、私のことだったわ。
姉の名前に返事をするのが遅れてしまったけれど、はっとして大きく口を開いた。
「そのまま目を閉じて聞いて」
「はい……」
グランツ殿下の気配が、すぐ隣にある。でも、彼はベッドに乗ってはこない。立ったままそこで話されているのだと思う。
一体何を言われるのだろう。私は何をすればいいのだろう。
目を閉じていると、なんだか余計にドキドキしてしまう。
「この僕と結婚してくれてありがとう。だが、君は僕を愛する必要はない」
けれどとても穏やかな声で、グランツ殿下はそう言った。思わず目を開けてしまいそうになる。
「え……?」
「姿の見えない男を愛せるか? 愛せるはずがない。間違って君が僕のことを見て目を潰してしまっては困る。だからこれからは寝室も別にするつもりだ」
「寝室を別に……?」
「ああ。月に一度は寝室をともにしてもらうことになる。だが、僕は君に何かする気はないから、安心してほしい」
何かする気はない……? でも、それでは世継ぎが……。
「そしたらいずれ父も諦めてくれる。こんな男に嫁ぐことになってしまって本当に申し訳なく思うが、君は自由にしてくれて構わない。望むものも与える」
「……」
その優しい声から、グランツ殿下のこれまでの苦悩が手に取るようにわかった。
彼は自分の人生を諦めているのだ。けれど王子として生まれてしまったから、世継ぎを残してほしいと願う陛下の気持ちを汲んで、こうして結婚したのだろう。
でも今度はその私に、こうして申し訳なく思っているのだ。
……ああ、なんて優しい王子様なのかしら。
狭い世界しか知らなかった私だけど、こんなに優しい声でしゃべる人がこの世にいたなんて。
こんなに寂しげな声を出す人が私以外にいたなんて。
だってそもそも彼は、生まれ持った光魔法を極めすぎてしまったせいでこうなったのだ。
それはきっと、彼がとても努力家だからだと思う。
それなのにこんなことになってしまって……彼の気持ちを考えると胸がぎゅっと締めつけられる。
「今夜はこれをして」
「え……?」
黙って話を聞いている私に、グランツ殿下はそう言って私の目に布を巻いた。
「これで目を開けてしまっても大丈夫」
「……これでは私の顔が隠れてしまいます。私は、顔だけが取り柄で――」
控えめに口を開いて言葉を発した私に、グランツ殿下がふっと小さく笑った声が聞こえる。
「確かに君はとても美しい人だが、そんなこと、僕には関係ないよ。それに先ほども言ったが、僕は君に何かする気はない」
「ですが、私はその覚悟で……!」
「いいんだ、僕には弟が二人もいる。世継ぎができなくても問題ない。それに、顔が見えないのはこれでおあいこだ」
「……」
姿は見えないけれど、グランツ様が笑ってくれているのがわかる。
ああ……そんな。
自分を見てもらえないという悲しみが、どんなものなのか私は知っている。
年頃になってオシャレをしたり、友人との楽しかった話を聞いたり、社交界デビューしたり……。
私はいつも、そんな輝かしい話をアビアナの口から聞いているだけだった。
もちろん殿下と私は違うけど……。
こんなに優しくしてくださるなんて。
きっと彼は、知っているのね。人は目で見たものしか信じないのだと。そして人の本質は、心の中にあるのだと。
「今夜は同じ部屋だが、僕はソファで寝るから安心して眠るといい」
「そういうわけには参りません!」
「いいんだ」
「……」
目隠しされていても、彼が私を気遣ってくれているのが伝わってくる。
「これからのことも、何かあれば侍女に言ってくれ。本当に、僕なんかのところに嫁ぐことになってしまって……申し訳なかったね」
「……」
何度も繰り返されたその謝罪の言葉には、やはり悲しみが含まれていた。
私は、この方の苦しみや悲しみが理解できるような気がする。
なんとかしたい。私が、少しでも彼の力になれたら――。
「おやすみ」
「……おやすみなさい、グランツ殿下」
ベッドを離れていくグランツ殿下が、ソファが置いてあったところあたりで腰をおろしたのが音でわかった。