23.魔王様?
ルルと一緒に生活するようになってひと月ほどが経ったその日、私はルルと王宮の庭で遊んでいた。
グラン様は執務中だけど、私は今日、少しゆっくりする時間をもらえたのだ。
淑女教育は順調とのこと。
父やアビアナが社交の場に行っている間、アビアナが買ってもらったのに読まなかった本を読んできたおかげかもしれない。
教師の方々も、「アビス様は飲み込みが早く、とても勉強熱心で素晴らしいです」と褒めてくれる。
何かを褒められたことなんてこれまでなかったから、とても嬉しいし、更にやる気に繋がる。
それを思うと、先生方の教え方が上手なおかげだとも思える。
これまでは本を読んで学ぶことしかできなかったから、実際に教えてもらえるのは本当にありがたいし、楽しい。
だから毎日でも勉強したいと思っているのだけど、たまには一日ゆっくりしてくださいと言われた私は、小さなボールを借りてきて、ルルと一緒に庭に出てボールを投げたり転がしたりしながら遊ぶことにした。
ルルはグラン様にとても忠実だ。
魔獣ではあるけれど、人を襲ったりするようなことはしない。
グラン様がルルの悪しき部分を浄化してくれたからか、この子は誰にも襲いかかったりしない。遊んでほしいときに少しいたずらをすることはあるけれど、とてもいい子。
私にも懐いてくれていて、本当に可愛い。
それに、白くてもふもふの毛が気持ちよくて、抱きつくととてもあたたかいのだ。
私はそんなルルのことが大好き。
「ふふ、ルルも楽しい?」
「アオン!」
魔獣と言っても、ルルはまだ子供。大きさは子供というイメージより大きいけれど、ホワイトウルフは成長すると私の二~三倍の大きさにもなるのだとか。
「いくわよ、ルル」
「アオン!」
そう言ってボールを投げると、ルルがボールを追って捕まえ、口にくわえて戻ってくる。
たったそれだけの遊びだけど、王宮の庭は広いし、ルルがとても楽しそうなので私も楽しい。
それに身体を思い切り動かすのも気持ちがいい。
ここは王宮内の庭園だから安全なので、今は護衛を付けていない。
だから誰も見ていないので、私も少しだけはしゃいでいるのだ。
「いい子ね、えらいわ、ルル」
「アオン!」
ルルからボールを受け取り頭を撫でると、「ハッハッハッ」と短く息をしながら期待に満ちた瞳で私を見つめて、ふぁさふぁさとしっぽを振るルル。本当に可愛い!
「もう一回ね? わかったわ、いくわよ!」
思い切り力を入れて、今度は先ほどよりも遠くへボールを投げた。
といっても私の腕力ではそこまで飛ばすことはできないのだけど。
それでもルルは身体を弾ませるように全力疾走でボールを追った。
「ふふ、いい運動になって、今夜はきっとぐっすりね」
その姿を眺めながら、私はここに来て、グラン様と結婚して、本当に楽しい毎日を送れているなぁと改めて実感した。
私は本当に幸せ。
そう思ったときだった。
「――ああ……やっと見つけました」
「え……?」
突然何の気配もなく、私の後ろから男の人の声が聞こえた。
聞き覚えのない声。感情はこもっているけれど、どこか冷たく感じるその声に、ぞくりと寒気がする。
「……あなた、誰?」
慌てて振り返ったら、そこには銀色の髪と金色の瞳をした、細身で長身の男性が立っていた。
王宮内で見たことのない人。……というか、人には見えるけど、これは人間ではない。
耳が少し尖っていて、にやりと笑った口元から見える歯が人のものよりも鋭い。
それに、とても嫌な感じがする。
でも、どうやって入ってきたの……?
王宮内の敷地には魔術師が結界を張っているから、勝手には入ってこられないはずなのに。
「その魔力……、やはり間違いない。ずっと探しておりました。やっとお会いできましたね、魔王様」
「え――?」
にやっと笑った男の口から紡がれた言葉に、私の心臓は嫌な音を立てて揺れた。
魔王……?
今、魔王様って言った?
もしかして、魔王が使っていたという闇魔法の力のことを言っているの……?
「さぁ、ともに参りましょう、魔王様」
「……私は魔王ではありません……!」
すっと手を差し出されて、ぎゅっと身構える。
「私がどれだけあなた様を待っていたと思うのですか」
「知りません……私は魔王じゃありませんので」
「ああ……記憶をなくされているのですね」
「違います……!」
丁寧な口調で話しかけてくるけど、全然私の話を聞いてくれない。
「とにかく参りましょう。あなた様がいるべき場所はここではありません――」
男がそう言って少し強引に私に触れようと手を伸ばしたときだった。
「!」
男に飛びついたルルが、その腕に噛みついた。
「なんだ、このウルフ」
「ルル!」
男は不快そうに顔をしかめると、腕を大きく振って簡単にルルを払い落とした。
それでもルルの牙に男の服が引っかかり、一部が破ける。
「ち……っ邪魔しやがって」
すぐに体勢を立て直して〝ぐるるるるる〟と唸っているルルに、男は苛ついた様子で手を伸ばした。
「やめて!!」
けれど、そんなルルの前に出た私を見て、男はにこりと微笑む。
グラン様とは似ても似つかない、不気味な笑顔で。
「そこのウルフより私の魔力のほうが強いですよ。私と一緒に来ていただけますよね?」
不気味な笑顔で脅すようなことを口にする男を、私は睨み返す。
「……行きません」
「ああ……、困った。強引なことはしたくなかったのですが……仕方ありませんね」
すると銀色の前髪をかき上げるように額に手を当てて、「はぁ」と溜め息をつくと、男は素早く私の肩に手を回した。
「!」
「暴れないでくださいね」
そして次の瞬間には、ふわりと身体が宙に浮くような感覚を覚えた。
声を出す暇もなく視界が真っ暗になり、耳にはルルの鳴き声だけが聞こえた。




