第五髪 祝宴で 杯あおる彼に 皆笑顔
程なくして、一行は都まで戻ってきた。
馬車は徐々に高度を下げ、城門近くの芝生へと降り立つ。
ようやく地に足がつけることが出来て安堵したのか、天馬は翼を折りたたむと、そのまま軽快な足取りで都の中心へと駆けていく。
黒き神と相対する最前線である東の城門は、アーチや城壁がところどころ崩落し、もはや門と呼ぶのもはばかられるほど破壊されていた。
それでも、損傷部分に木の柵を設けたり、石を積み上げたりするなどで応急処置が施され、今この瞬間も街の人々が修復作業に勤しんでいる。
そんな門をくぐると、大神殿まで真っすぐ大きな通りが走っている。
荷台に揺られながら慎太郎は都の中を見渡すと、空からでは分からなかった、見るに堪えないほどの惨状が広がっていることに気づく。
高さのある建築物は軒並み上部が破壊されており、完璧な形で残っているのは、一際目を引いていた白い石で造られた大神殿だけである。
城壁の四辺にある物見の塔のうち二つは途中で折れ、落下した一部が近くの建物を押し潰している。
上部が吹き飛んだ建物群はかろうじて残った部分を布で覆うようにして、応急処置的に屋根代わりにしていた。
「あの黒き神の眷属の仕業でございます」
大巫女の顔には少し陰りが見える。
慎太郎も、想像した以上の壊滅的な状況に表情が曇る。
幸いなことに、高所に上り修繕作業に従事している男達の表情は明るい。
それを叱咤激励し、必要な資材を作ったり、運んだりする女や子ども達も、だ。
だが、少し直したとしても再び襲撃にあっては、彼らの努力も無駄になるのだろう。
そして、ゆっくりとであるが確実に迫る黒き神。
慎太郎は東門の上空に再び目を向けた。
先程と変わらず、青空を切り裂くように、禍々しくそそり立っている。
ここからだと、まだ遠くに見えるのがせめてもの救いであった。
*
地上から見る大神殿は、実に見ごたえのある建物であった。
正面はいくつもの乳白色をした丸い石柱で支えられた、いかにも神殿といわんばかりの荘厳な作りとなっている。
さすがにこのエリアまでは眷属の侵入を許していないのか、他の建物に比べ傷もほとんどなく、長き時を経て人が作り出した芸術的な美しさに、慎太郎は思わず唸った。
大巫女の先導で入り口の大きなアーチをくぐると、一辺が100メートル以上はある大広間になっており、鏡面のように磨かれた石床は、複雑な紋様の描かれた天井を写し出している。
奥では銀色に鈍く輝く長テーブルが複数設置されており、その上には肉類や魚類、穀類や野菜、フルーツにいたるまで、様々な山の幸海の幸がこれでもかと並べられている。
テーブルに近づくほどにそれらが放つ芳醇な匂いが鼻腔をくすぐり、慎太郎の腹から漏れ出た空腹の音が、広い空間にやけに大きく残響する。
「すまん……」
「うふふ、お気になさらないで下さいませ。ここまでの間ずっと、お腹に何も入れてませんもの。もう少しだけ、お待ち下さいな」
大巫女の言葉に救われつつ、慎太郎は長テーブルの一番奥にある席に案内される。
慎太郎はそこに座ると、今まで経験したことの無い、ほどよい弾力と柔らかさに感動を覚えた。
会社で普段使っている、やけに硬く、ごわごわとしていて頭皮に悪そうなヘッドレスト付きの事務椅子とは大違いであった。
*
宴は実に華やかだった。
大広間中央にある一段高い台の上では、酒に酔った男女が踊り、弾き、歌う。
男は皆、身体のどこかに怪我を抱えており、包帯を巻いた姿などは痛々しくもあるが、彼らの目は一様に輝いており、今という瞬間を楽しんでいるようであった。
「皆、楽しそうだな」
慎太郎の何気ない呟きに、隣に座る大巫女はうふふ、と笑みをこぼす。
「喜んでいるのです。大神官様をお呼びし、この宴を無事開くことが出来て」
「そうなのか?」
「ええ、作物の実りも備蓄も少ない今となっては、普段はとても質素ですし、黒き神の眷属による襲来や、刻一刻と迫り来る終わりを前にして、人々は心身共に疲弊しておりましたから」
でも、今は違います、と大巫女の手が、慎太郎のそれに重なる。
あまりにも自然な動作なので受け入れてしまったが、突然の行為が何とも気恥ずかしい。
そんな慎太郎の気持ちを知ってか知らずか。ただ、大巫女は彼の目をしっかりと見つめ、言葉を紡ぐ。
「慎太郎様。先程の、黒き獣や黒き巨人を一撃のもとに打ち倒したあのお力こそが、私達に希望と勇気を与えたのです」
「……そうなのか」
ここまでの間、ただ求められるがままに行ったあれがそんな意味を持つことになるとは、と慎太郎は驚きを隠し切れない。
大神官という名の下、過剰な期待をされているのも、中身はただの凡人であり小市民だと自覚している彼には少し荷が勝ち過ぎるというものだ。
だが。
大巫女の目に灯る純粋な祈りの色を見ていると、この子を裏切るわけにはいかないという気持ちが自然と湧き上がってくる。
慎太郎は目の前にあるほのかに甘い匂いのするクリーム色の液体が入った杯をあおると、
「どこまでやれるかは分からないが。その、やるだけやってみることにするよ」
目の前の少女に、その瞳の端に映る人々に、嘘偽りの無い言葉を返す。
人々はひと時を大いに愉しんでは、各々の刻限になると、自分の果たすべき責務のため、持ち場に戻っていく。
入れ代わり立ち代わりの宴は、夜分遅くまで途切れることなく続いていく。