第四髪 空を駆け 黒き巨人と 対峙する
「……しんかんさま、大神官様!」
「はっ?!」
一瞬、意識が遠のくほどの衝撃を受けていた慎太郎であるが、大巫女の声で何とか我に返った。
目の前の少女は心配そうに覗き込んでおり、何とも情けなくなってくる。
過ぎたことは仕方がない。
慎太郎は散っていった英霊に黙祷を捧げると、おずおずと切り出す。
「君の言っていた代償が分かった。髪だ」
「か、髪ですか」
大巫女の視線が若干上に向けられる。
恥部をさらけ出しているかのような気分になり、悲しくなってくる。
しかも、先程から上空を右から左からと吹き荒ぶ風で、その部分は一段とみっともないことになっていることだろう。
「その、おいたわしゅうございます」
「いや、いいんだ。間一髪のところを乗り越えられたわけだからね。それにきっとまた生えてくるさ」
最後の一言は自分へのせめてもの慰めか。
そうこうしているうちに、空飛ぶ馬車は結構な距離を進んでおり、目の前には四方が城壁に囲まれた、それなりに大きな街が見えてきた。
「大神官様。あちらが私どもの都『エビネ』でございます」
「おお、あれがかね」
都というが、少し大きめの街といった風情だ。
さほど背の高くない建物が立ち並んでおり、街の外れになると田畑や牧場が広がっている。
中心部分には正方形をしたひと際大きい建造物が屹立し、威容を誇っている。
「あの中心にあるのが大神殿となります。都で一番の建物ですのよ。私や大神官様の住まいとなります」
「ほう、素晴らしいな」
大学生の頃は異国を旅して、様々な世界遺産を見て回った経験がある慎太郎だけに、あの手の史跡めいたものはそそられるものがあった。
嬉しそうに眼下に広がる施設をあれこれと紹介する大巫女の姿を見ると、何となく観光に来たような旅気分も芽生えてくる。
空を駆けるという非日常的な状況も相まって、テンションはさらに上がる。
壊れた建物の屋上に上り、補修作業を行っている人々が手を振っているのが見え、慎太郎も思わず手を振り返してみる。
まるで英雄気分だ。
と、そこで、御者の女性が少女に尋ねる。
「大巫女様、この後はどうされますか?」
「そうですね……。せっかく乗り物が素晴らしい仕様になったことですし、クオーレ、このまま行って頂けますか」
「御意!」
慎太郎のため天馬の速度を少しばかり落としていた御者クオーレは、大巫女の言葉を受けて再び手綱を動かし、速度を上げ、前へ進み始める。
「どこに行こうとしているのかね」
「せっかくなので、黒き神の近くまでお連れしようかと思いまして」
「なに?! ま、まさかいきなり最終決戦というやつかね!」
全く心の準備が出来ていなかった慎太郎は一転、緊張で急に顔が強張り始めた。
だが、一方の大巫女はにへら、とした笑顔のままだ。
「今日はまだ準備が整っていないので、偵察というものですわね。ただ、やはり戦うべき、倒すべき相手を、どうしても貴方に見て頂きたいのです」
「なんだ、そういうことか」
ホッと胸をなでおろすが、進行方向の奥に見える黒い柱にしか見えない巨大な姿は近づくにつれ、それが信じられないほどのサイズであることが分かってきた。
あまりにも実感が湧かないレベルだ。
天を衝かんばかりの雄々《おお》しさと黒々とした立派な出で立ちは、まさに神と名乗るにふさわしい威圧感に満ちている。
「黒き神は都へと着実に歩みを進めています。といっても、その速度は実に緩慢なもので、一時間に一度、一歩ずつ進んでいくのです」
「ふうむ、であればまだまだ時間はあるのかな」
「そうですね。私どもの軍師であるマリーナ様が計測したところによると、約20日ほどの猶予があるとのことです。しかしながら、あれが大神殿に近づくほど大地は痩せ細り、草木は枯れていきます。出来ることならば、早いうちに封印しなくてはなりません」
「滅ぼすのではなく、封印でよいのかね」
「黒き神もまた、この世界を構成する柱と言われておりますので、消滅すると世界の均衡が崩れ、危機を招くといわれております。前回も力の源を絶ったうえで、古い石柱へ封じ込めたのです」
「なるほど……」
話を受けている間に、一行は黒き神に近い位置まで辿り着いた。
近づいても攻撃してくるという素振りは特にないが、時折、黒い身体の一部がはらりと剥げ落ち、それが地面に到達すると、先程見た獣等の形をとり、方々に散っていく。
どうやらあのようにして、眷属を産み出しているようであった。
その後、黒き神は特に動くことなく表面を揺らめかせながら立ち尽くしていたが、突然、ぶるりと不自然に震える。
「クオーレ、距離を取って!」
「はっ!」
少女の、今までになく鋭い声に、慎太郎は思わずびくっと身体をすくませる。
馬車はすぐさま反転すると、一気に加速し、距離を取る。
その直後、見上げても視認しづらいほどの高さから、大きな黒い粘り気のある塊が黒き神の足の辺りにぼとり、と落下する。
それは見る見るうちに大きく膨れ上がると、なんと黒き神をミニチュアサイズにしたような巨人となり、前進を始める。
「何てこと。もう巨人を産み出せるまでの力を取り戻したのですね」
「何だ、あの黒いの、こっちに向かってくるぞ!」
巨人は明らかに慎太郎達を知覚し、地響きを立てながら向かってくる。
「あれは、黒き巨人という強力な眷属です。先程の黒き獣のようにかなり好戦的なのです」
クルマ並みの速度で、馬車のスピードを凌駕している。
しかも。
「何か飛ばしてきたぞ!」
両手を前に突き出すと、指の部分から黒い針のようなものが射出され、高速で迫る。
「大巫女様、いけますか?」
「ええ。力も回復しました。私が捌きます」
そう言って大巫女は荷台の後部に立つと、何か唄うように小さく言葉を紡ぐ。
慎太郎には聞き取れない、とても不思議な韻だ。
だが、それが発せられると、馬車の周りに、薄青色の甲羅のような膜が球状に張り巡らされる。
それに黒い針が接触した、その瞬間。
ギィン、と金属同士が衝突したかのような強い音と共に、針は真横に弾かれて、そのまま霧散する。
「おおお、すごい能力じゃないか!」
「うふふ、守りの結界というやつですわ。伊達に長く大巫女はやっておりませんのよ?」
少し嬉しそうな表情を浮かべながら、目は集中を切らさず真剣そのものだ。
黒い針を完全に捌ききると、慎太郎へ目配せする。
慎太郎は得られたこの貴重な時間で決定的な符を探していた。そして、一つの符に答えを見出す。それは、
「黒き巨人よ! これでも食らえ!」
あこがれの
ジャイアントキリング
やりとげる
符と慎太郎の頭は眩く輝き、光の柱となり天にまで到達する。
すると、にわかに雷雲が立ち込め、空は暗さを増し、そこから轟音と共に一条の稲妻が落ち、黒き巨人の頭部に直撃する。
黒き巨人はその一撃により激しく震え、急速に輪郭が崩れ、霧となって大気に溶けていった。
「慎太郎様! さすがですわ!」
「はっはっは……」
娘と同じくらいの少女に横から勢いよく抱き着かれ、妻子持ち四十六歳男は恥ずかしいやら、何となく申し訳ないやら、役に立てているのが嬉しいやら、複雑な気分でそのまま笑い続ける。
そんな彼の頭部を掠める一陣の風は、毛髪を確実に刈り取っていく。