第九話
「古城というより……すっかり廃城だね。こんななにもないところに建てたら、そりゃあちこちから狙われるだろうね。阻むものはなーんにもなしだもん」
クーは森も大きな川もない。ただの平原に佇む城を見て率直な感想を述べた。
巨人に一掴みえぐり取られたかのように石壁は崩れてしまい、空の一部をいびつな四分円の形で切り取って映している。
時代には名前も残らない小国の小さな城なので、城と呼ぶよりも大きな砦と呼ぶほうがしっくりくる外観だ。
崩れた壁から廊下も部屋も丸見えで、広さも大したことがないので、手分けをすることもなく城の中を探索し終えてしまった。
太陽の位置は探索し始めた真上から、今は少し傾いた程度の位置で輝いている。
「石像どころか、台座すらないとはな。さすがヴィクターだ。夢物語が好きなだけあるな」
ハドは時間を無駄にしたと皮肉を言うが、ヴィクターはそれを理解した上で笑っていた。
「夢物語結構だ。まだ皆夢の中。それを現実に手にしたものだけが、また次の夢を見られるわけだからな」
「おい、まだ探す気でいるのか?」ハドはよく見ろと両手を広げて言った。「これ以上どこを見るんだよ」
「それこそ冒険者の醍醐味だろ」
ヴィクターが体をほぐすために伸びをすると、その隣でクーが全く同じことをしていてた。
「そうそう。それに、森での決着がついてないからね。約束通りカッパーライトで再戦だよ」
「そういうのは勝った奴が余裕を持って言うからいいんだ。負けた奴が言ってもただのわがまま」
ハドはやれやれと面倒くさそうにしながらも、クーの隣に並んで準備運動を始めた。
「勝ったのはオレだろ。つーかよ、たかだか城の探索になに体をほぐしてんだよ」
リットはお遊びに混ざるつもりはないと、崩れた柱に腰掛けていた。
「必要だから体を温めるに決まっているだろう」
ヴィクターが念入りに手首や足首の柔軟をすると、クーは負けじと腰をひねった。
「やる気がなければ座ってればいいよ。負けを認めて参加しないのも立派な選択。言い訳も考えなくて済むしね」
クーは最後に屈伸すると、急に高く飛び上がって二階の床を掴んで真上の部屋へと移動した。
「時間は夕暮れまでだな」
ヴィクターも同じように二階の床を掴むと、振り子のように体を振って向かいの部屋へと飛んだ。
「やることがねぇなら、せめて焚き火の準備くらいしとけよ。オマエは客じゃなくて下っ端なんだからな」
ハドは二人を真似して無理することなく、ゆっくり歩いて一階の奥へと消えていった。
リットは煽られようが頼み込まれようが、城の秘密探しに混ざるつもりはない。そう決めていたはずなのだが、楽しそうに探索するヴィクターの声や、いちいち煽るために一階を経由するクー。思いの外熱中して全く姿を見せなくなったハドに影響されたせいか、探せばなにか見つかるのではないかという気持ちになっていた。
だが感化されて動くとろくなことにならないのもわかっているので、ハドに言われたとおり火をおこしておこうとリットは城を離れた。
周りに木はなく、木製の家具は雨風にやられて腐ってしまい燃えるようなものはなかったので、平原を歩き回って薪を集めるしかない。
太い枝はなく、風に飛ばされる枯れ葉や小枝ばかり、いつの間にかリットは城からかなり離れたところまで歩いていた。
低木が多くなり、枝が増えたのだが、結局燃やすには今ひとつの大きさばかりだ。湯は沸かせるが、一夜を明かすには足りない。なにせこの辺りは寒いので、焚き火がないと寝冷えしてしまう。
リットは来る方角を間違えたかと城を振り返った。
お城があるということは、生活していく上で必要な火や水に困ることがあってはいけないので、どこかに資源があるはずだ。
リットは文句を言われるのがわかっていつつも、来た道を戻るしかなかった。
「薪もまともに見つけられないとは。驚いた」
ハドが肩をすくめると、リットも同じく肩をすくめ返した。
「そっちはヴィクターに乗せられてなにか見つけたか? それとも乗せられたのは尻馬か」
「図に乗るなよ」とハドは怖い顔を近付けた。
眉間にシワを寄せてすごんだ顔も、リットにとっては懐かしい思い出の一つ。自然と口元に笑みが浮かんでいた。
それが不敵な笑みに見えたハドは、リットに一言言ってやろうと思っていたのだが、クーが軽やかに上の階から飛んで下りてきたので何も言わなかった。リットに小言を言うより、クーに小言を言うほうが優先度が高いからだ。
「いいか? 飽きたとは絶対に口に出すなよ。もういいじゃんも、寝て明日考えようもなしだ。いいな?」
クーの表情が不満に染まっているのに気付いたハドは、クーがわがままを言う前に釘をさした。
「じゃあおさらばして、どっかでお酒を飲もう。そうだ! 奢るって約束だったよね。はいはい私の負けってことで。無事完結。さぁ、飲みに行く奴ついてこーい!」
クーは勢いよく拳を掲げるが、呼応するものはいなかった。ヴィクターはまだ探索を続けているし、リットはハドに両腕を押さえられていて手を上げることが出来なかった。
「ヴィクターを一人で置いていって目を離してみろ。合流する頃には女どころか子供も連れてるぞ」
「そんなわけ……って言い切れないのがヴィクターなんだよねぇ。しょうがない……盛り上がった者同士、もう少し探索してみますか」
クーは気合の入れ直しだと自分を鼓舞しながら、また城の探索に動き出した。
「さて……。問題はリットだな」ハドはリットを見てため息をついた。「まったく……。結局オレが面倒を見るのか……。土鳥の卵の前に、冒険者の卵の世話たなぁ……」
「迷惑かけちゃ申し訳ねぇな。気にせず好きにやってくれ」
リットは座ろうとするが、すぐに手を引っ張られた。
「そうは行くか。オレは教え役。実践して持ち運ぶのはリットだからな」
「なにをさせる気だよ」
「焚き火をするのに、そんな枝だけじゃ足りねぇだろう。いいからついてこい」
リットはハドの後ろをついていきながら、内心また始まったと思っていた。
ランプ作りの修行の時もこうだったからだ。
長いうんちくから始まり、自分の見解を述べる。そうして辿り着いた先は答えではない。まずは式を見せられて、それから答えはこうだというものを見せてくる。
今回も全く同じだった。
こういった気温が低いところでは、植物が分解されずに出来た泥炭があるという。
その証拠に、城の中には泥炭地の乾燥により発生する野火の記録が残されていた。すなわち湿原が近くにあるということだ。というハドの情報通り、しばらく歩くと平原に光が反射した。
こんなところで光るのは水くらいのもので、近付くにつれて足音はネチャネチャと泥を含む音に変わっていった。
そして、掘り起こされて溝が作られている泥炭地を見つけたのだが、これは答えではない。
なぜなら、このまま使うには水分が多すぎるので使えない。乾燥させるための倉庫が別にあるはずだと、そこを見つけて、泥炭に実際に火をつけてみて、ようやく講釈は終わりだ。
「最初は煙が多いけどな。火がまわると煙は減ってくる。良い色だと思わねぇか? 薪みてぇにバチバチうるさくねぇし、石炭みてぇに暴力的な炎でもない。柔らかい炎だ。見ろよ、この炎。まるで銅だ。カッパーライトって国の名前も頷けるな」
「それか? ハドがランプに興味持ったきっかけってのは」
リットは赤橙色に燃える火と、土臭い独特な煙を見ながら聞いた。
「ランプに興味なんかねぇよ。んなこと一言も言ってねぇだろ。ただな、興味がなくてもやれることが増えてくってだけだ。うちにはどんな環境にも臆さず突っ込んで行く奴が。二人もいる。それで、壊れたランプの修理はオレに回ってくるってだけだ」
ハドの言葉にリットは一つ納得した。それは、ハドは特殊な環境で道具を修理する技術を持っているということだ。土地に詳しく、冒険の経験を活かして、知らない土地でも特徴を掴むことが出来る。なのでヴィクターやクーとも渡り合っていけるのだ。
「頭良かったんだな。オレはてっきりふんぞり返ってるだけの男だと思ってた」
「そりゃあ、オマエが一番下っ端だからだ。一から丁寧に教えると思うか? そんな奴は下っ端にもいらねぇよ。理想は勝手に育つことだ。オレの知識は勝手に使ってもいい。まずはなんでも自分でやって見る奴が理想だ。そうすりゃ、リットも下っ端から弟子くらいにしてやる」
ハドは頑張ってみろと笑いを響かせた。
その笑いは前にも見たことがあった笑い方だったと、リットは思い出していた。
ハドの弟子になって初めての依頼。ハドの家にある本を読み漁って作り上げたランプのことだ。
そこでリットは特殊なオイルを作る方法や、ガラスのことを学んだ。どれも正解とは呼べない邪道な方法だ。そこへ進むことが出来たのは、ハドが様々な知識を持っていて本にまとめていた。さらには、それをリットが読むのを咎めなかったからだ。
そして、初めて作ったランプを客に売ったところで、ハドが笑ったのだった。
今になって、修行先はクーが探してくれたことも思い出していた。同時にずいぶんヴィクターの庇護下にいたのだと、少しの恥ずかしさとありがたみを感じていた。
「その性格を直さねぇと、たぶん弟子に恨まられるぞ。将来な」
「師匠ってのは恨まれてなんぼのもんじゃねぇのか? 和気あいあいの家族になんてなられちゃあ、自立しねぇだろ。師匠の仕事ってのは、弟子が独り立ち出来るように育て上げることだ。じゃねぇと、いつまでも師匠に褒められるのが目的になって、自分の目標が見つからねぇだろ? だから、オレが師匠になるとしたら、そりゃもう恐れられるだろう。弟子は小便を漏らしてるかもな」
ハドの笑い声は泥炭の煙を揺らし、火に最後の力を与えた。一瞬強く赤く染まり、すぐに燃え尽きた。残ったのは灰ではなく、泥炭に混ざっていた土がレンガ色に焼けた残骸だ。
「忙しすぎて漏らす暇もなかったっつーの……」
リットの恨みのこもったつぶやきは、ハドには聞こえていなかった。
「なんにせよ。オレが師匠になることはねぇよ。ヴィクターやクーならともかく、オレは後世に残したいと思うようなもんはねぇからな」
「そりゃ同意だな。昔の自慢話をするなら酒場でいいからな」
リットは太陽から発せられる銅色の光が眩しくて目を細めた。
いつのまにか夕方になっており、世界の色を暗く物悲しく変えるところだった。
ハドはいくつか乾いた泥炭を袋に入れると、リットに投げ渡した。
泥炭は軽い素材なので、何事もなく受け取ったリットだったが、急にハドの手が伸びてきた。
一瞬殴られるのかと思うほどの勢いと位置だったが、ハドの手はリットの顔ではなく肩に向かっていた。
ハドは肩を掴んでぐっとリットを引き寄せると、空いたほうの手で城を指した。
「見ろよ……女の石像だ!」
崩れた城は夕日に照らされると、複雑に影を作り出し、まるで黒一色で描き上げた絵画のように女の姿を浮かび上がらせたのだ。
「カッパーライトってのは夕日の色のことだったってことか?」
ハドは「知るか!」と叫ぶとリットを置いて走り出した。
「なにを急いでんだよ」
「クーに連続で膝を折らせるチャンスなんて二度とねぇぞ! どんな顔するか見ものだと思うだろ!?」
「確かに……」
リットもこんなことは二度とないと思い、ハドに続いて走り出した。
「どうした? 子供みたいに走ってきて。お化けでも出たのか?」
日も傾いたので探索を辞めたヴィクターは、二人が息を切らして戻ってくるのをニコニコしながら見ていた。
全力疾走で何も喋れずにいるハドだが、視線だけは地面に向けることなくクーを見ていた。
その輝く瞳に、クーは彼が何を言おうとしているのか察した。
「あー……やだやだやだやだやだやだやだー! 聞きたくない。あーもう! 絶対いや! ヴィクターにだって連敗は悔しいのに、この二人にまたも出し抜かれるだなんて絶対いや! 息よ止まれ。いや……止まるな。なんだったら根を止めろぉ……」
「物騒なこと言うな……」ヴィクターはため息をひとつ挟むと、ぐっとリットに顔を近づけた。「で、答えを見つけたのか?」
リットも息が上がっているので、なにも言うことが出来ない。
伝わったのか勝手に解釈したのか、ヴィクターは頷くとリット達が来た道を走っていった。
「あっ! 抜け駆け!」
クーは二人から逃げるようにヴィクターを追いかけていったのだが、もう答えを見た二人は満足していた。
ハドとリットは同時に寝転がると、深呼吸をして息を整えた。
「見たか? クーのあの悔しそうな顔」
ハドの嬉しげに弾む声に、リットはゆっくり力強く頷いた。
「墓場に入れる荷物の一つにはなるな」
「オレもだ」
ハドがやったなと伸ばす拳に、リットは静かに拳をぶつけた。