第五話
「遅い! こっちはいつから待ってたと思ってるのさ! 昨日の夕方だよ! 夕方! 言い訳は聞かないよ! 正当な理由もね!」
夜になって宿に帰ってきたリットとヴィクターをクーが怒鳴りつけた。
「酒代を稼いでたんだ」
ヴィクターが報酬の入った小袋を高く掲げると、クーの態度はころっと一変した。
「いやん、もう。許しちゃう。さすがはヴィクターだね」
「許されるか。これからどうしようか考えるって時に、無駄に時間を過ごさせやがって」
予定通りに進まずイライラするハドに、ヴィクターはニカっと笑いかけた。
「それは、二日酔いもよくなっただろうな。さぁ、じっくり考えるか」
「えー……お酒は?」と最後までクーは不満そうにしていたが、ヴィクターが椅子に座ると、自分も渋々椅子に座った。
「さて、意見がある者は?」とハドが仕切りだすと、リットが手を挙げた。「おっ? 新入り、やる気があんな。なんだ?」
「オレの椅子がねぇよ」
ハドはしっかり椅子に腰掛け、ヴィクターはだらしなく背もたれに背中を預け、クーは椅子を逆にして背もたれに肘を乗せてその上に顎を乗せていた。
「ベッドにでも腰掛けてろよ……。他は?」
ハドの質問にクーとヴィクターが挙手した。
「私の膝の上にでも座る?」
「オレの膝の上でもいいぞ」
「オマエらなぁ……」ハドは机に肘をつけて項垂れた。「今度茶化したら、馬の代わりにして馬車を引っ張らせるぞ」
「魔女に聞くのが一番だ。こういう変なものについてはな」
リットは机の真ん中に置かれた土鳥の卵を見ながら言った。
正体が何であれ、特殊なものなら魔女に聞くのが一番いい。リットの経験から導き出されるのはそれだった。
ただ落ちているのならその道の専門家に聞けばいいが、特殊な現れ方をしたものは大抵魔法や精霊と関わりがある。
ハドはリットの考えに賛同した。何も意見を出さないヴィクターとクーより頼りになると、これ見よがしに褒めるほどだった。
しかし、一つ問題があった。
「で、どの魔女に話を聞くんだ?」
というハドの言葉に、リットは黙ってベッドに座った。答えはないということだ。
この時代にグリザベルはいなさそうなので頼ることは出来ない。他に知り合いの魔女は若い姿でいるだろうが、若くなっていられたら姿がわからないし、この時代どこにいるのかもわからない。
「おいおい……今までの時間本当にふらふらしてただけなのかよ……。オマエらは本当にろくな働きをしねぇな」
「言ってくれるんじゃん、ハド。そう言うからには、何か考えがあるんでしょ。出し惜しみしてないで話しなよ」
「ない。そんなものがあったら、オマエらを頼るかよ」
「なーんだ。じゃあ、話がまとまったら起こしてよね」
クーは椅子から飛ぶようにして降りると、そのままの勢いでリットの横に飛び込んだ。
ベッドが軋み、埃を立てると、まるで煙のように視界を塞いだので、すぐさまリットは立ち上がった。
「うわ……なんか嫌味な感じ。ここで頭の一つでも撫でるのが男ってもんだよ」
ジロリとリットを睨んだクーだったが、あまりに埃が舞い上がっているので、自分もベッドから降りて窓を開けた。
外へと流れていく埃を見ながらリットは、あることを思い出していた。
テントの中で見た光景。煙に込められた魔力。
「『ウィッチーズ・マーケット』だ。あそこに行きゃ、魔女に話を聞ける」
「なんだそれは?」
聞いたことない言葉にヴィクターは目を輝かせた。
各地にいる魔女が研究成果を発表する為に集まる集会。それが、ウィッチーズ・マーケットだ。
王道な研究から、誰にも理解されないような研究まで、日の目を浴びない情報が山ほどある場所だ。リット達の欲しがる答えまではないかもしれないが、つなぎ合わせるヒントが見つかる可能性は高い。
「問題は、どこで開かれるかは魔女しかわからねぇ。入るには招待状が必要。そして、男禁止だ」
リットは以上の理由から使えない情報だと言ったのだが、三人の反応は違った。
「そういうのを使える情報と言うんだ。少しは柔軟に考えやがれ」
口は悪いが、ハドはよくやったと言うようにリットの背中を叩くと、地図を広げて魔女が多くいそうな場所を探し出した。
「なら、ちょっくら知り合いの魔女に聞いてみるよ」
クーはリットにも会わせた魔女に情報を聞き出してくると、窓から飛び出していった。
すぐそこの木の枝に飛び移り、家の屋根へ。まるで猫のような動きだった。
ヴィクターだけは椅子から動かずにリットを見ていた。
「冒険者の第一歩だな」
「何がだよ」
「みんなリットの一言で、動き出してる。止まった時間を動き出すのが冒険者だ」
「そんな大層なもんじゃねぇよ」
「そう言うものだぞ。ヒハキトカゲのことだってそうだ。燻ってた奴らが、集まって大金を得たんだぞ。それで終わりの奴もいれば、次に向かうものいる。だが等しく同じことは、自分の意思で自分の時間を動かしたと言うことだ。どうする? 人の時間で見つけたものは、夢幻の類に化けてしまうぞ」
ヴィクターが意味ありげな笑みで手を伸ばすと、リットはしっかりとその手を握った。
「わーったよ。オレが調べてくるよ。オレにしかわからねぇことは山ほどあるからな」
リットは魔女と深く関わった経験を生かし、クーの手伝いでもしようと宿を出ていった。
「なかなか面白い男だ。そう思わんか?」
ヴィクターはウキウキしながらハドに言った。
「重大な秘密を抱えてそうなところがか?」
「なんだ気付いていたのか」
「そりゃな。言えない秘密を聞き出すほど野暮じゃないってだけだ」
「オマエは若者を正しく導けそうだな。何かを極めて、将来師匠になってみるのはどうだ?」
「自分のことで手一杯だよ。それなのに、最近じゃ二人分の面倒も見てる。いや、三人か」
ハドはヴィクターを見て嫌味に笑った。
「なら尚更師匠向きだ。悪ガキ三人も面倒を見てるんだからな」
「ヴィクター。そういうオマエはどうなんだよ。ずっと冒険者をやるつもりか?」
「オレか? そうだなぁ……世界を愛してるうちはそうだな」
「なんだそれ」
「世界と言うのは愛されっぱなしで、誰かを愛するってことはないからな。振り向かせたくなるだろ?」
「まったくわかんねぇよ……変態の持論はな」
その頃。クーを追いかけて魔女の元へ向かっていたリットは、店には入れず外に追い出されていた。
魔力を乱されたくないという理由から、出入り禁止と宣言されたのだ。
グリザベルの声が勝手に出てきた出来事が原因だ。リットとしてはもう少し踏み込んで聞きたかったのだが、魔女があまりに取り乱すので、クーに店の外へと放り投げ出されたのだった。
だが、話は長く終わりそうにない。リットは何回目かわからないあくびをしながら、空に流れる雲をぼーっと眺めていた。
暇すぎて少しまぶたが重くなった頃。急にクーがリットの手を掴んで店の中に引き入れた。
「ほら早く入って! 急いで!」
「なんなんだよ……」
リットは店に入るなりクーに首元を掴まれ、カウンターに組み敷かれていた。
「さぁ、どうする? 知ってることを話さないと、私はここでリットと結婚して暮らすよ」
「わかった! わかったから! その男を早く追い出しておくれ!!」
魔女は恐れ慄いて後ろに壁にぶつかった。
棚から降って落ちてくる瓶を割れないようにキャッチしたクーは「そうそう、それでいいの」と頷くと、リットを外へと追い出した。
「まったく……昨日の友は今日の敵だね……。無理難題ばかり押し付けてからに……」
魔女はクーには敵わなさそうだと諦めのため息をついた。
「別に魔女の社交場を荒らしに行こうって言うわけじゃないんだからいいでしょ。それに無理難題を押し付けあってるのはお互い様。その水晶玉だって私が見つけてきたんだから」
「わかってるよ。ウィッチーズ・マーケットというのは確かにあるよ。それももうすぐさ。月が猫の三日月目になる時期。カロットの一本森の南。うさぎ尻尾石を中心にテントが張られる。だけど入れないよ。ウィッチーズ・マーケットの招待状には色々細工がされていてね。部外者は入れないようになってるのさ」
「それをなんとかするのはこっちのお仕事だから大丈夫。それよりさ」
「まだ聞きたいことがあるのかい」
「あれってなんなの? 面白いもの?」
クーは魔女を見たまま親指で自分の後ろを指した。対象はもちろん壁向こうにいるリットのことだ。
「なんにもわからない。だから怖いものだ。まるでゴーストだ」
「リットは生きてるよ」
「わかっている。とにかく、あの男がいるとなぜか魔力がざわつく。連れて歩くなら気をつけることだ。何が起こるかわかないから」
「それって、つまり楽しいことでしょ」
クーの瞳は好奇心に溢れていた。どんな世界に巻き込まれるのだろうと。
「これ以上は話したくないね。これ以上あの男と関わらせようとするのなら、本当の敵になってもらう」
魔女の強い瞳にクーはお手上げをして、お礼を言ってから店を出た。
「リットってさー。魔女になにかしたわけ?」
「なに言ってんだよ。むしろされてんだ。どんだけ迷惑をかけられたか一から話してやりてぇよ」
クーは「うんうん」と頷いたが、リットは魔女の用事は済んだと歩き出してしまった。「ちょっと! そこは話すところでしょ」
「クーに話すとややこしくされるに決まってる」
「あーら……出会ったばかりなのに、あれこれ言ってくれちゃってまぁ……」クーはリットの顔をジロジロ見ながら優しく顔の輪郭をなぞった。「ねね? もしかして私達って出会ったことある?」
「あるぞ。ベッドも一緒にしたことある。結果はいつも同じ。オレは布団を奪われる」
「こんな男知ってたら忘れるわけないか……。それで、魔女に嫌われ者のリット君は、今後の良い考えるはあるのかね? ん?」
クーは顔の輪郭をなぞっていた手でリットの鼻先をつついた。
「どうにかクーが魔女になることだな。そうすりゃ、残りは弟子ってことで一緒に中に入れる」
「そんな簡単に言うけどさ。そういうのは一度でもやってみてから言ってよね」
「中になら入ったことあるぞ。自慢とお香のにおいがする嫌な場所だった」
リットは前にグリザベルについてウィッチーズ・マーケットに入ったことを思い出した。
女尊男卑のあの中では、リットは魔女に散々あしらわれたのだ。
リットが眉間に皺を寄せるので、クーは鼻先に押し当てていた指の力を強めて豚鼻にした。
「ブーブーしてるとそういう顔になっちゃうよ。にっこりしないと。ね?」
その笑顔はあまりにもクーだったので、リットは思わずじっと見つめてしまった。
「ダークエルフってのは本当に歳を取らねぇんだな」
「失礼な。ちゃんと年は取っていますー。顔とか体にでないだけ。君よりも何倍もいろんな体験をして来て、知識を深めてきているのだ。すごいっしょ?」
クーは腰に手を当ててふんぞり返った。
「本当すげえよ……本人なら迷わず頼りにしてる」
目の前のクーが同じ時代を生きていたクーならば、これほど頼りになる存在はないのにとリットは肩を落とした。
その姿を見たクーはなにやら面白いものを見つけた笑みで、リットの腕を抱いた。
「その瞳は私を通して誰かに想いを馳せてるね。もしかして恋人だったり? もしかして私に似てるとか? もし、恋人じゃないなら、口説かれる練習相手になってあげようか?」
「なら、黙って静かに歩いてくれるか?」
「あらら……ずいぶん奥ゆかしい子を好きになったんだねぇ。女をリードしそうにも見えないから、引っ張ってくれる女を選んだほうがいいと思うけどなぁ」
「まぁな」
それからリットとクーは一言も話さずに宿についたのだが、到着した途端クーが叫んだ。
「やられた!」
「クーがやられるとは……。そんなに曲者なのか? 知り合いの魔女というのは」
ヴィクターは珍しいこともあるものだと驚いていた。
「違う! リットにやられた!」
「同意のもとなら問題ないだろ」
「騙されたって言ってるの! さっさと帰りたいからでしょ! 私を黙らせて歩かせるために、大人しい子が好きだなんて嘘言ったんでしょ!」
「オレは最初から、黙って静かに歩いてくれとだけ言ったぞ」
「うわぁ……詭弁。男不審になっちゃいそう」
クーは唇を尖らせると、半眼でリットを睨んだ。
「なんかわからないが……やったな。クーに一泡吹かせるなんて大したものだ」
ヴィクターがタッチだと片手をあげると、リットはその手を強く叩いた。
その音は強く響き、リットにはなにか新しい道への始まりの鐘のように聞こえた。