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第二十四話

 まるで火山噴火でマグマが飛び出たような赤い光が空を染めた。それは夕焼けと呼ぶには余りにも暴力的であり、情緒のかけらのひとつもなかった。

「まるで世界の終わりだな」

 ヴィクターは紫の空を割るようにして、赤く燃える雲を見て楽しそうにガハハと笑っていた。

「笑い事じゃねぇよ……。厄災の王だって奴が、空を引き裂いて現れてもオレは驚かねぇぞ……」

 身を乗り出すヴィクターとは違い、ハドはたじろいでいた。恐怖心に煽られたのも大きいが、なによりクーが下がったほうがいいと、ハドの体を押さえつけるように腕を伸ばしているのだ。

 ハドの恐怖心につけ込むように、ヴィクターの期待に応えるように、空は次第に表情を変えていった。

 まず初めに感じたのは風だ。強風が吹き荒れる。その強さはまるで嵐のようで、城の壁を破壊し巻き上げるほどだった。砕けた壁は礫となって襲うことなく、赤い雲が渦を巻き始め吸い込まれるように空へと向かっていった。

 次に感じたのは水の中にいるような息苦しさだ。まるで水を吸っているかと思うほど空気が薄い。それは等しく襲い、ダークエルフのクーも精霊体となったリットも、人間のヴィクターとハドも同じ苦しさを感じた。

 誰もがこのまま死ぬのかもしれないと思った時だ。ふいにまぶたに光が灯った。

 ふと見上げれば、空には火そのものとも思えるような禍々しい太陽が浮かび上がっている。

 リット達は熱くもなく、眩しくもないただの光に照らされていた。気付けば空は渦巻いた雲に飲み込まれたように消え、ただの黒の空間に変わっていた。

 足元も城の床ではなくなっていた。何百年も経ち土に還ったかのように、大地の上に立っていた。

 リットは『闇に呑まれる』現象とは似て非なるものだと感じていた。だが、全く別物だとも思えない。現に感情が消えてしまったかのように、何も深く考えることが出来なくなっていたからだ。

 そんな空に立っているかのような浮遊感に襲われた時だ。

 ヴィクターが「ガハハ!」と笑った。「凄いぞ! 今なら空も飛べそうだ!」

 その笑い声はリット達の胸まで響き渡ると、急に体に自由が戻った。

「いやー……ヴィクターって無敵だね、やっぱり。舐めてたよ」

 クーは誰にも見せたことない険しい表情で深呼吸を繰り返した。クー自身もこんな感情を久しく感じていないので、自分がどんな顔をしているのかわかっていない。少なくとも、目の前のヴィクターと同じ顔はしていないことだけはわかった。

 ヴィクターは満面の笑みで「オレに勝とうなど、百年早い」と言ったが、クーがつられて笑うようなことはなかった。

「私が言ってるのは精霊の話だよ……。気を付けなよ……相手がサラマンダーだとしても、シルフだとしても私達を存在ごと消す力を持ってるんだから。……混沌の精霊だとしてもね」

 クーは何もない空間を睨みつけた。

 目を凝らしても、火の光を浴びても何も見つけられないが、目に見えない何かがそこに存在しているのはリット達にもわかった。

 精霊は「私は混沌の精霊だ。願いを叶えよう」と、言葉を空気に触れさせることなく、直接リット達に話しかけた。

「ちょっと……困っちゃうな。思い描いてたのと違うから……悪いんだけど、今回の話はなしの方向で」

 クーはこんなに禍々しい魔力を持った精霊が現れるとは思っていなかったので、この混沌の精霊と関わるのは危険だと距離を取ろうとした。

 しかし、いつの間にか足元の大地は縮小し、一歩も動けなくなってしまった。

「呼び出したのは貴様らだ。なにもしなくとも、それ相応の代償を払ってもらうことになる。私と共に無へと還ってもらうことにな」

 クーは怯まず混沌の精霊と折り合いをつけるために取引をしようとした。精霊との交渉はダークエルフの自分にしか出来ないと思ったからだ。しかし、話は平行線。誰の犠牲もなしに切り抜けられるような状況ではなかった。

 どうしたものかとクーが黙った瞬間。リットが口を挟んだ。

「アンタ……もしかして魔女か?」

「私は混沌の精霊だ」

 クーは危なから口出しないようにリットの腕を掴むが、リットには確信があった。

「ウィッチーズカーズだろ。この現象」

 リットが『闇に呑まれる』現象と似て非なるとものだと思ったのは、作り方が違うだけだ。

 魔女ディアドレが引き起こしたウィッチーズカーズは、事故から起きたことにより魔力が暴走して起こったもの。正しく混沌と呼ぶにふさわしいものだ。

 だが、今回の闇は違った。整頓されている闇だ。リットはこれにも経験があった。

 闇に呑まれた中でも使えるランプを作っていた時のことだ。グリザベルが再現した、疑似的な闇に呑まれる現象とそっくりだった。

 つまり、考えた上で作られた闇ということだ。

 自分が精霊体になっているせいか、リットはいつも感じられなかった魔力の流れというものを感じられるようになっていた。

 この空間はただピースが多いだけのパズルという印象だった。散乱しているが混濁はしていない。時間をかければ、正しく組み立てられそうだ。

「私は混沌の精霊。故に願いを叶えよう。それこそが四精霊にない力。混沌の精霊の役目だ」

 精霊との間に張り詰められた空気など関係なく、ヴィクターはいつもの調子だった。

「願いを叶える精霊っていうのは、子供を寝かしつけるお話の中だけに存在しているわけじゃないんだな。これだけで自慢ものだ」

「ならば願いを言え。なんでも叶えてやる」

「願いは決まっているぞ」

「だからダメだって! 本当に話を聞かないんだから……。精霊とは軽々しく契約しちゃダメなの」

 クーは慌ててヴィクターを止めた。

「じゃあ、どうしろって言うんだ。ずっとここにいるか? それも構わんぞ。ここはなかなか面白そうだ」

「とりあえずしばらくはね。願いを言わなければ、こっちも平行線に持ち込める。いい考えが浮かぶまで、ここにいるよ」

「無駄なことだ」

 混沌の精霊は全く感情のない声で言うが、ヴィクターは感情のありありの好奇心でうわずった声で質問した。

「ここには一人でいるのか?」

「精霊とはそういうものだ」

「それは違うぞ。四精霊は自然とともに生きている。混沌の精霊だからって、一人でこんなところにいる義理はないだろう。世界は広いぞ」

 ヴィクターがここに来るまでの冒険話を聞かせると、混沌の精霊が始めて感情に喉を震わせたため息が聞こえた気がした。

「知っている。世界は広く美しい。だからこそ心が壊れてしまうものもいるのだ」

 混沌の精霊の言葉は、遠回しに自分は人間だったと認めるような言い方だった。

「心が壊れたなら愛に治して貰うのが一番だな。広い世界の美しさは、愛があるからこそ気付くものだ。その愛は別の心あるものと作られる。一生増え続けるぞ」

「それも知っている。だが、その心を壊すのも心を持つものだ。男というだけで世界は狭くなり、世界を広げようとした女は、その世界を壊される。壊れた心は二度とは戻らない。だが、新たなものになることは出来る。二つの心を合わせて一つのものになるのだ」

「それが愛の営みだな」

 ヴィクターは最高の愛情表現の一つだと深く頷いた。その姿に、混沌の精霊は笑った。

 リットの思った通り、混沌の精霊とは魔女だ。それも土鳥の卵を作った。

 つまり、魔力の器を再構築して魔法生物になるように、愛し合った魔女が一つになろうとしたのだ。ベッドの上ではなく、一つの体へと。

 一つの体に二つの心があれば、文字通り死ぬまで一生一緒にいることが出来るはずだった。

 そのために作られたのが、精霊の力を無理矢理に作り出す『土鳥の卵』と呼ばれる魔宝石だ。

 魔女は世界をまわり、魔力を閉じ込めることによって、自然を壊してしまった。リット達は同じ場所を周り、それを元へと戻していたのだ。

 魔女が魔力を使うと、ウィッチーズカーズという現象が起こる。魔力がゼロに戻ろうとする現象だ。熱の魔力を使えば、ゼロに戻ろうと冷の魔力も起こる。

 つまり土鳥の卵には、再び混沌の精霊となる力が蓄えられてしまった。

 船で出会った魔女が言っていた犠牲とはこのこと。つまり、誰か別のものが混沌の精霊にならなければ、ここから出られないということ。

 そして、混沌の精霊に支払う代償というのが、混沌の精霊に成り代わるということだ。

 混沌の精霊はヴィクターと話すことにより感情を取り戻し、この空間の仕組みを話した。

 それを聞いてクーはため息をついた。

「それって反故に出来ないの? せっかく人間の心が戻ってきたんでしょ」

「無理だ。なぜなら、もうすでに契約をしてしまっているからだ。体液の契約が済まされている」

「してないはずだけど」

 クーはあり得ないというが、混沌の精霊は事実だと言った。

「ヴィクターとハドは体液の契約により、精霊と結びついてしまっている」

「二人とも……」

 クーはいつの間にやったのかと睨んだが、ハドは絶対にしていないと否定した。しかし、不意に思い当たることがあり、眉間にシワを寄せた。

「もしかして……体液ってのは小便も含まれてんのか?」

 土鳥の卵を発見したのは、男三人が立ちションをしたらたまたま出てきたものだ。つまり、小便が体液の契約となるのならば、三人とも契約したことになる。

「当然だ。涙、血、小便。どれも体液だからな」

「バカ……」とクーは男三人を睨みつけた。

「当初の予定通りだろ」とリットは肩をくすめた。「オレが契約すりゃいい。オレには影響はないはずだからな」

 リットはここで自分が混沌の精霊となれば、この世界での自分は元々混沌の精霊なので、それがプラスに働いて人間に戻り、元の世界へ帰れると思っていた。

 だが、精霊は「それは無理だ」と答えた。「この世界の者ではないだろう。この世界の者の願いしか叶えられない。叶えられる願い事は一つ。どちらかの願いだけだ」

 混沌の精霊はヴィクターとハドだと言った。

「考える時間をくれ」ハドはヴィクターと相談すると言ったが、ヴィクターは必要ないと答えた。

「オレが混沌の精霊になる。楽しそうだしな」

「んなわけねぇだろうが」

「そうだよ。よく考えなよ。何も考えずにおしっこかけたんだから、せめて今くらいは一生分くらい考えて」

 クーはこんなアホな契約の仕方は初めて聞いたと、呆れを通り越して怒っていた。

 三人が話し合っている間、リットは「なぁ」と混沌の精霊に話しかけた。

「なんだって魔女は愛にこだわるんだ?」

 リットはなぜ魔女は、ディアドレの失敗を繰り返すのかと疑問に思っていた。

「愛こそがすべてだからだ。愛に生まれ愛に終わる。それが魔力の根源だ。愛がなければ、誰も魔力を使おうなどと思わないだろう。男女の中だけではない。全ての愛のことだ」

「なるほど一理ある」

 リットは混沌の精霊の言うことを理解したわけでない。グリザベルがそうだと思って、合点がいったのだ。

 グリザベルの愛とは友情の愛。つまり、誰かの役に立ちたいという思いだ。

 グリザベルがディアドレにこだわったのも愛の一つ。誰かが決着をつけなければならないことを、自分が進んでやっただけのことだ。

 混沌の精霊は「心配するな」と声をかけた。「元の世界には戻れる。私のように魔女が作り出したものではなく、君は精霊が作り出した混沌の精霊だ。この言い方はおかしいな。君こそが正しい五精霊だ。長い時間の一瞬だけの存在だがな。つまり、魔女が作り出そうとしてる。エーテルそのものだ」

「気休めはやめてくれ。正直元に戻れる自信はねぇよ……」

 リットがそう思ったのは、ヴィクターもクーもハドも未来で会っているからだ。この中の誰かが混沌の精霊になったとしたら、その誰かは消えているはずだ。

 なにか抜け道があるはずだ。混沌の精霊自身も気付いていないようなことが。

 聞き齧った魔女の知識や体験してきたことを思い出してみるリットだが、これだと思うものは見つからない。

 リットのそんな姿を、混沌の精霊は過去に通ってきた道だと眺めていた。正法をやり尽くし、なんとか別の方法はないかと模索した結果。大抵のものは邪法に行き着く。

 つまり何かを犠牲にしなければならないということだ。

「つーかよ、本当に願い事ってのは叶えられるのか?」

「それほどの力がある。天変地異にも似た力を見てきただろう? 自分には使えない力だがな」

「どんなことでもか?」

「当然だ」

「それって、例えばハドとヴィクターで何度も使いまわすことって出来るのか? 例えば今回はハドが願い事を叶えてもらって混沌の精霊になり、同じことを繰り返し今度はヴィクターが願いを叶えてもらって混沌の精霊になるとか」

「それは不可能だ」

「自然を元に戻しちまったから、魔力を土鳥の卵に入れる術がないってことか……」

「そうではない。それならば、愚かなもので力のある魔女をそそ退かせればいい。不可能だと言うのは、記憶をなくすからだ。つまり、ここで願いを叶えて貰えば、次の瞬間には日常だ。その時に願いは叶っている。それすらも気付かないだろうがな」

「なんて厄介な力を作ってくれたんだか……」

「だが、犠牲になった者のことを思い出さなくて済む。それを願ってこの力になったわけではないがな。私はただ日常を生きたかったんだ。今となっては、彼なのか彼女なのかわからないがな」

 混沌の精霊は自分の記憶もこの空間では徐々に消えていくと言った。

「待てよ。願いが叶えば混沌の精霊になるってことは、結局願いは叶わないってことじゃねぇのか? 今まで誰の願いも叶えてねぇだろ?」

「自分の力だぞ。どういう力かは自分が一番わかっている」

「でも、矛盾してるだろ。考えられることは一つ。これは嘘だってことだ。つまり人の願いを叶えるってのは、自分が自由になる餌ってことじゃねぇのか?」

「……なぜそう思う」

「急に人間臭くなったからだ。なにか誘導されてる気がする。最初に派手な演出で脅すってのは効果があるからな。それから急に譲歩してきた。こっちに訴えかけるようにな」

 リットはいつしかディアナでヴィクターと一緒に見た芝居のようだと思った。この勘が当たれば、誰も犠牲になる必要がなくなる。

 いくらヴィクターが万物から好かれると言えども、欲望に身を染めて精霊になったものが心を開くのはおかしい。

 そう考えると、途端に目の前の精霊は胡散臭いものに思えてきた。

「元は人だ。精霊にも心はある」

 混沌の精霊の雰囲気が変わったような気がした。勘違いかもしれないが判断がつかない。

 リットはクーに意見を仰ぐことにした

「クー……どう思う」

「なにが? こっちはヴィクターの暴走を抑えるのに手一杯なの」

 ヴィクターはすっかり自分が叶えてもらう気になり、あれもこれもと願い事を考えていたのだ。

 リットに話しかけれたことでクーが振り向くと、力が抜けたのを見計らってヴィクターは一歩前に出た。

 何もない空間に落ちることはなく、ヴィクターの歩みに合わせて土の地面が湧いて出た。

 それはまるで、混沌の精霊に誘導されているように見えた。

「願いがあるなら、先にこう言うんだ。『混沌の精霊よ、私の願いを叶えたまえ』と」

「よし、混沌の精霊よ、私の願いを叶えたまえ」

 ヴィクターは考えることもなく復唱した。

 その言葉を聞いて、姿の見えない混沌の精霊がニヤリと笑うのを感じた。

「契約完了だ」






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