第二話
「おい……なんだってんだよ」
リットは周りの酔っぱらいの「やれやれ」「いけいけ」コールを聞いてうんざりしていた。
「なにって、この私を口説くんだもん。それなりの覚悟があってのことでしょ? 行くよ、それ!」
クーは顔を目掛けて容赦なくパンチを繰り出した。
リットが避けられたのは偶然が六で、残りの四割はクーの癖をなんとなく知っていたからだ。
だが、いつも自分の上手を行くのがクーだ。次には殴られる可能性がぐんと高くなる。こんなところに連れ出されて歯まで折られたらたまらないと、リットは降参するように両手を上げた。
「わかったわかった。抱きつくなり、なんなり好きにしろよ。その代わり、ちゃんと家まで送り返せよ」
「あらまっ。どんだけ自分に自信がある子なんだろうね……。そんなベッドへの誘い方……呆れちゃうよ――!」
クーは再びパンチを繰り出そうとしたのだが、一匹のヒハキトカゲに噛ませていた布が緩んでいたせいで、威嚇のために吐いた火がちょうどクーを襲ったのだった。
「おい! バカ!」「しっかりしろよ!」と、冒険者達は機敏に動いて鎮火した。
幸い、床に少し焦げ跡が付く程度ですんだ。
「すいません……姉さん」と、騒動の原因だった冒険者がクーに謝った。
「もう……びっくり。気を付けなよ。酒場を燃やしたなんてなったら、冒険者としてもうやっていけなくなるよ」
クーは一安心だと息を吐いたのだが、とっさのことにリットを抱きしめていた。
「おい、これで満足したか?」
「あらま。これまたぴったりな抱き心地で。君、私専用の抱き枕にならない?」
「あのなぁ……こっちは真剣に困ってんだよ」
「あららぁ……どうやら私の勘違いのようで……。本当にナンパじゃないの? ……それは残念。皆怖がっちゃってさ、ここらじゃ全然女として見てくれないの。ねぇねぇ、今からでもナンパしてみない?」
「また夫婦ごっこしろってのか? 今度はどこに連れてくつもりだよ……」
クーは眉間にシワを作って首を傾げると、急にお酒を二杯頼んで、ひとつをリットに渡して奢りだと告げた。
「よくわかんないけどさ。迷惑かけた分奢るよ。遠慮せずに、ぐっとやっちゃって」
そのクーの態度に今度はリットが首を傾げた。あまりにも会話が噛み合わない。
「クーだよな? シャレー・クー。ダークエルフで冒険者の」
「そうだよ。でも君とは初対面。名前も知らないもん。なんていう名前?」クーは聞いてから、しまったと口を手で押さえた。「そういう作戦かぁ……。君は策士だね。私が名前を聞いたってことは、こっちが口説いてるってことになっちゃうもんね」
この調子はクーで間違いない。だが嘘をついている様子もない。これはいったいどういうことかと、リットはカウンターに肘をついて頭を抱えた。
「もう……今度は飲みすぎたフリ? まさか、いつもそうやって宿屋まで運ばせてるの? お姉さんは騙されないぞー」
クーは腕の隙間からリットの頬をつついた。
「わかった……」とリットは顔を上げると「リットだ」と握手を求めた。
なにか反応があるかと思ったが、クーは自己紹介を受け入れるだけ。
クーは「リットね」と手を握ると「なかなかおもしろい男だね。ベッドはまだ早いけど。朝まで付き合ってあげちゃうよ。皆もね!」と、コップを高く掲げて酒場の全員と乾杯したのだった。
これが夢かどうかなにかは、酔って寝て覚めればわかるだろうと、リットは酒を一気に煽った。
「おやおや……こりゃまたいい飲みっぷりで。可愛いねぇ。私にいいところ見せようとしてるでしょ。ようし……今日一番盛り上がって飲んだ子には、お姉さん全額おごっちゃうよん!!」
既に酔っ払ったクーが気前よく宣言するものだから、酒場の酔っぱらい達は大盛りあがりだ。
これ以上のピークはありえないと言うほどの盛り上がりだったが、一人の男が酒場に入ってくるとあっさりとピークは限界突破した。
「ガハハ! オレのご帰還だ。もっと盛り上がっていいぞ。なぜか聞いてくれ」
男が大声で言うと、酔っぱらいは声を揃えて『なんでだー?』と大声で返した。
「大型のヒハキトカゲを十匹捕まえて売り払ってきたからだ! 今日はオレの奢りだ! 儲けた金は全部この店で使うぞ!!」
この言葉を聞いた店主は、たった一人で酔っ払い全員よりも大きな声で雄叫びを上げた。
「あーらら……私の気前の良さが取られちゃった……」
「それは悪かったな」男はクーに近付いてきた。
「いいよ、私のお金じゃないし」
「そっちじゃない。トカゲ取り競争はオレの勝ちだってことだ」
「……いいよ、恋人君に慰めてもらうから」
クーは泣き真似をしながらしなだれかかってきたが、リットは関わっていられないと無視を決め込んだ。
「なんだクーに恋人か? そりゃまた!? ……苦労するぞ」
「ちょっと……まだ本性がバレてないんだから言わないでよ。だいたいお互い様でしょ! ヴィクター!!」
クーが男の名前を呼ぶと、リットは驚きに立ち上がった。
「ヴィクター!?」
そう、リットの目の前にいたのは在りし日の父親。ヴィクターの姿だった。記憶にあるよりかなり若い顔だが、面影はどこにでもありすぎるほどの残っている。
「そうだ、ヴィクターだ。よろしくな」
ヴィクターはリットを力強く抱きしめると、最後に背中を景気よく叩いてから離れた。
「信じられねぇ……頭がおかしくなりそうだ……これは夢か?」
ヴィクターを見たまま呆けるリットに、クーはやれやれと肩をすくめた。
「しょうがないなぁ? 上がいい? 下がいい?」
リットが「あ?」と気のない返事をすると、クーは「じゃあ真ん中ね」と、リットのお腹をパンチした。
「おい……なにすんだよ……」
あまりの痛みにリットは夢ではないのがわかるのと同時に、お腹を押さえてうずくまった。
「夢か確かめてあげたの。上って答えればキスしてあげたのに。残念だぁね。下って答えれば、大事なところをデコピンだけどね」
酒が回ってるクーは、これは面白いことを言ったと自分で笑っていた。
「クー……なにをしてくれてるんだ……」
ヴィクターはしゃがむと、大丈夫かとリットの腹をさすった。
「おい……やめろ……」
「殴ったのはオレじゃないぞ」
「殴られたあと……そんな強くさすられたら……どうなるかくらいわかんだろ……こっちは酒を飲んでんだぞ……」
リットの口から出た言葉はそれが最後だった。それ以降は別のものが口から出て、ぐったりしてしまった。
「あーあ……これで私達はまたハドに怒られる……」
クーが酔いも醒めたと項垂れると、ヴィクターも項垂れた。
「こっちはまだ一滴も飲んでないんだぞ。まぁ、仕方ない……連れてって介抱するか」ヴィクターはリットを軽々担ぎ上げると、稼いできた全額をカウンターに置いて「皆は好きに飲んでてくれ」と言い残して店を出ていった。
しばらくしてリットが目を開けたのは、頭に響くような説教が嫌でも耳に入ってくるからだ。
気絶はしていなく、体に力が入らなかっただけなのだが、ベッドに寝かさせると体調も良くなってきた。そこへくどくどと長い説教が始まったものだから、耳だけがやたらと敏感になって言葉を拾っていたのだ。
「だから言ってんだろ。軽はずみなことはするなって……。オレ達は、もう名前も売れてきてるんだぜ。せっかくの良い噂が悪評になったらどうするんだ」
「私はいいけどね。悪評どんと来い。その方が箔が付いてかっこよくない? ほら、私ってダークな雰囲気で売ってるから」
「ダークエルフなだけだろ」
「あらま……酷い……私だって好きでダークエルフになったんじゃないのに……よよよ」
クーが泣き真似をすると、ヴィクターがそれに乗っかった。
「君は酷い男だ……」
「好きでダークエルフになったんだろ。じゃなかったら、ただのエルフだ」
「まぁ、そりゃそうだよね」クーはケロッと態度を戻すと、ここがタイミングだと話題を変えた。「ところで見つかったの? 『土鳥の卵』は」
「まったくだ……せっかく他の冒険者がヒハキトカゲの捕獲に躍起になってるのに。噂話はドラゴンだ、魔人だ、堕天使襲来だとよ。しょうもねぇ話ばかりだ。クソ! チャンスが消える!!」
男は水平一直線の前髪を、手でぐちゃぐちゃにかきあげて大声を上げた。
「本当に口が悪いんだから……悪評は君のせいだと思うよ」
「でも、真面目だ。良い噂も彼のおかげみたいなもんだろ? 普通はクソ! なんて言ったら、そこらの物を蹴り飛ばす。でも、見てみろ。地団駄一つ踏んでいない」
「ヴィクター……クー……頼むから真面目になってくれよ。土鳥の卵を見つけてからが本当の勝負なんだぞ……」
「わかってる。だが、森の木の根本をしらみつぶしに探してるんだぞ。たまには息抜きもしたくなる。ヒハキトカゲを捕まえるくらいいだろ」
「捕まえたのは男だろ……」
「ヒハキトカゲもゲロハキオトコも似たようなもんでしょう。たまにはハメを外したら? 真面目過ぎはハゲるよ、ハド」
クーがもう一人の男を『ハド』と呼んだ瞬間。リットの頭の中では過去の思い出が目まぐるしく流れていた。
そして、声と名前と顔が一致すると、今日何度したかわからない驚きの表情をハドに向けたのだった。
「今度はハドだぁ? 冒険者だったのか? でも、髪がある……」
「……喧嘩売ってんのか?」
ハドは切れ長の目を更に細くしてリットを睨みつけた。
リットが知る『ハド・ウォーキン』という男は、自分がランプ屋を開く前に修行していた師匠の名前だ。
「アンタが売ってんのはランプだろ? いや、売ったのはオレか……」
「おーい……酔っぱらいを連れて来るなら、しっかり酔いを醒ましてから連れてこいよ」
「何を言ってる……ハド。酔いが醒めていたら、酔っ払いじゃないだろ」
ヴィクターはハドをからかい、クーはリットがハドに髪があると言って驚いていたことに大ウケしていた。
「あー! うるせぇ! 少しは考えてからものを喋れ!」
ハドの怒鳴り文句にリットは聞き覚えがあった。いつも、少しは考えてから――しろ。と怒られていたからだ。
わからないことだらけのリットだったが、一つだけわかったことがある。ここは過去の世界だということ。それも、ヴィクターがまだ冒険者だった時代だ。自分が生まれているのかどうかさえもわからない。
「オレはなんでここにいんだ……」
リットが倒れるようにベッドに座ると、クーがまいったと頭をかいた。
「飲ませすぎたかな?」
「かな? じゃないだろ。どうすんだよ……」
ハドはクーを睨みつけた。
「言い訳させてもらうけど、私がお酒を奢る前からリットは酔ってたよ」
「それはもういいんだよ。問題は、土鳥の卵のことを聞かれたことだ。そいつが冒険者じゃなくても、冒険者でも横取りされるぞ」
三人がどうすると話し合っている間。リットも一人で考えをまとめていた。
過去に来たことは確かだが、どうやって、なぜ、どうして、と次々と疑問が湧いてくる。自分が未来から来たことを言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのかもわからない。
リットが答えを出すより早く、三人は答えを出しそうだった。
「連れてく? 冗談だろ」
ハドはありえないと首を横に振った。
「マジもマジ、本気よん。あー見えて、冒険者の知識はかなり持ってるよ。それも私に近い考え方をしてる。つまり優秀かもしれない」
「それは自分が優秀だって言いたいのか?」
ハドのため息に、クーは満足げな笑みを浮かべた。
「そゆことー。でも、ヒハキトカゲの油と唾液を混ぜる有用性を知ってたんだよ。”まだ広めてないのに”さ。それに、なんか面白そうなことこぼしてたし」
クーはリットが言ったあることを思い出して、子供のように瞳を輝かせていた。
「いいんじゃないか?」とヴィクターもクーの考えに賛同した。
「また……そんな簡単によ……」
「オレ達だけじゃ手詰まりになってるのも確かだろう? 土鳥の卵だって、新しい風に吹かれて顔を出すかも知れないぞ。それに、リットはオレの大切な存在になる。オレの勘がそう言ってるんだ」
「いつから男もイケるようになったんだ?」
茶化して答えを濁そうとするハドの目を、ヴィクターは真っ直ぐに見つめた。
「ハド……オレの勘が間違ってたことあるか?」
「いっぱいある。――まぁ、助かってるほうが多いか……」
ハドは負けたと二人に見えるように両手を上げると、リットの元へ近付いていった。
「話し合った結果。オマエを仲間に引き込むことにした。しっかり働けよ。ここじゃ下っ端だ」
ハドは握手のついでに、リットの手を引っ張って立たせた。
リットは何も言えずにいた。どうしていいかわからない状況。ヴィクターの運に乗っかったほうが、良い方角に風が吹くとは思うのだが、逆に取り返しのつかない状況になる可能性もある。
しかし、リットの考えていることなどお構いなしに、話はどんどん勝手に進んでいた。
「いやー仲間が増える瞬間ってのはたまらんな。そう思わんか?」
ヴィクターはハドの肩とリットの肩に手を回した。
「そうだよ。下っ端ってことは弟みたいもんだし、ムチだけじゃなくてアメもあげなきゃね」
クーも空いている方のハドとリットの肩に手を回した。
「わーったよ……今日は特別だ。リット、ついてこい。飲みに行くぞ」
ハドが言うと、ヴィクターとクーは必要以上に盛り上がってみせた。
リットはこの記憶にはない懐かしい面々と行動を共にすることになったのだ。