第十九話
四人は温泉に浸かりながら、次の行き先を大まかに決め終えていた。
というのも、雪男だと噂されていた大きな針葉樹の木から光が反射したからだ。
木は大きく成長する途中で源泉が湧き出る穴を塞いでしまい、中には水圧で空洞が出来てしまっていた。そこが凍ったことにより、太陽の反射で雪男の目が光っているように見えたのだ。
こうして雪男伝説の真相は説かれたのだが、本物の雪男が住処をなくして逃げていったので、結局真相は嘘になってしまった。
幸い土鳥の卵は木の穴に引っかかっていたので、すぐに回収することが出来た。
つまり、木から反射した光が次の行き先というわけだ。
方角はわかったものの、そこに何があるのかわからない。ただ光に導かれるままに進むだけ。
だが、いくつか通ってきたことにより大体の見当はついた。
土鳥の卵には『冷』の性質が入っている。次は土の魔力元素を作るために『乾』という性質が必要になる。つまり砂漠か荒野と考えるのが妥当だ。
両方ともいくつもあるが、中から魔力と縁深い場所を探すというのがこれからの方針だ。
大陸に戻る船の上で、ヴィクターはいくつか聞いたことのある噂話をしていた。
「オレのオススメはラットバック砂漠だな。移動するオアシスなんてワクワクするだろう」
ヴィクターは瞳を輝かせるが、リットはなんとも言えずに肩をすくめた。
代わりにハドが「あのなぁ……」と口を挟んだ。「オレ達は乾の性質の現象を探しに行くんだ。オアシスを見つけるなら湿の性質になっちまうだろう。船酔いで頭がおかしくなってんのか?」
「今回は諦める。だが、見てろ。近いうちに必ずラットバック砂漠の謎を解いてみせるぞ」
「ずっと今回の話をしてんだよ……。もっとねぇのか? 踏み入れたら体が乾燥して砂になっちまうとか、世界を破壊する砂嵐が吹き荒れる場所とか」
「あるかもね」とクーが肩をすくめた。「でも、そんな噂話は全部嘘。なぜだかわかる? そんなとこ言ったら普通は死ぬから。誰も語り継ぐものはいないの」
クーは「はい次」とリットに意見を求めた。
「酔っ払いの戯言を聞いただけだけどよ。砂漠に森があるらしいぞ」
「あのねぇ……オアシスは関係ないって結論になったでしょう」
「そうじゃねぇんだ。なんでも一夜にして出来て、一夜にして消える森らしい。旅人を惑わすんだとよ」
「なにそれ……目的がわかんない……」
「だから酔っ払いの戯言だって言っただろ。それに今あるかも微妙なところだ」
リットがこの話を聞いたのは、今から何年後かはわからないが、とにかく未来でだ。なので、この時代には存在しない現象かもしれなかった。
「一応名前を聞いてあげるよ。なんて砂漠さ」
クーは偉そうに腰に手を当ててリットの顔を覗き込んだ。話半分。デタラメだったら怒る気満々だ。
「確か……『マルド砂漠』だ」
リットが砂漠の名前を口にすると、クーの表情はみるみる嫌悪の表情に変わっていった。
「うえぇ……まじで?」
「間違いねぇ。完全に思い出した。そのおっさんに○○で困るどって、散々くだらねぇダジャレを言われたからな。それがどうしたんだよ」
「森を捨てたエルフがダークエルフでしょ。でも、エルフ全員に捨てられた森はどうなるのかって話」
「まさか砂漠化したのか?」
「そゆこと。エルフ全員が逃げ出したのは、後にも先にも『マルドの森』だけ。エルフや妖精を呪いながら死んでいった森ってわけ。一説ではエルフや妖精は、一歩でも踏み入れたら呪い殺されるってさ」
「そんな噂をクーが信じるとは珍しいな」
「なかなかバカに出来ないもんだよ。髪の色や肌の色が変わってくのって、なかなかの恐怖だからね」
クーは浅黒い肌と真っ黒な髪を強調するようなポーズを取った。
今はダークエルフだが、クーにもただのエルフだった時代があった。クーのエルフ時代を知るものは、この世には殆どいないだろう。もしいたとしても、森を捨てたクーのことを語るようなエルフはいない。
「まさか……そこがクーの故郷ってわけじゃねぇよな」
「まさかまさかだよ。私は一人で森を捨てたんだから、太陽神に振り回される人生なんてまっぴらごめんだね。もし、ダークエルフにならないって言うなら、皆森を捨ててるね。で、話は戻るけど、私はそこの出身じゃないんだどさ。ダークエルフの出生の地なんだよねぇ。ある意味故郷?」
「ほう……」とハドが興味深いと頷いた。「つまり、初めてエルフが森を捨てた歴史ってことか」
「そうそう。森が消滅した上に、肌とか髪とか黒くなったでしょ。太陽神を怒らせたって、そりゃもう忌み嫌われたもんらしいよ。まぁ、数えるのも面倒くさいくらい昔の出来事だけど。いくら長寿のエルフでも、その時代の生き残りはいないってくらい昔の話だよ」
「森を捨てた原因ってのが魔力関係なら、目指す価値はあるな」
ハドは目標が定まってきたと考えたが、クーは難色を示した。
「その頃の話を知ってる人はいないって。だいたいさぁ……その時代の都合の悪いことって、大抵精霊を怒らせたとか、神を怒らせたとかばっかじゃん。裏を取るのは難しいと思うけどね」
森が消えて砂漠になったということは、日々との暮らしが奪われたということでもある。根を下ろしていた者たちは消えて、今は後から来た者が発展させた町しかない。
つまり伝承の類は綺麗さっぱり消えている可能性が高いのだ。
「まぁ、オレはどっちでもいいけどな」ハドは好きにしろと肩をすくめた後に、ヴィクターの背中に向かって顎をしゃくった。「あれを説得できるならな」
話を聞いていたヴィクターは既にマルド砂漠へと行き先を決めたらしく、知らない間に仲良くなった船員達と砂漠談義を始めた。
砂漠と砂浜との違いは、海と砂漠の太陽どちらが強いかなど、内容はくだらないものばかりだったが、誰もが楽しそうな表情を浮かべて笑い合っていた。
「だからなにもないんだってば……無駄足なの。聞いてる? ヴィクター」
マルド砂漠へ向かうのに乗り気ではないクーが苦言を呈するが、ヴィクターはなにもないからこそ手つかずの伝説が残っているのだとますますやる気になってしまった。
「ああなったら無理だな。大きな子供だ――二人共な」
ハドはヴィクターとクーを見て笑みを浮かべていた。
クーもマルド砂漠へ行きたくないというよりも、話を聞かないヴィクターにムキに反論しているだけに変わっていた。
「で、どうすんだ? 結局どうするかは決めねぇと」
「この場合はなにもしねぇのが正解だ」
ハドはゆっくりしようとリットを連れて部屋へと戻った。
今回も乗っているのは商船だが、お金を払い、客として乗っているので自由に行動出来る。
というのも、温泉が復活したことにより近くの村から、少ないながらも謝礼を貰ったからだ。
はした金を大事に持っていてもしょうがないと乗船代金に使い、今回は船仕事を手伝うことなくのんびり過ごすことが出来た。
だが、船の上でやることがないというのも暇なだけで、ヴィクターとクーは小さな騒ぎを起こして楽しんでいた。
リットとハドはのんびり出来るうちにしておこうと、騒動に関わるようなことをしていなかったので、自然と二人でいることが多くなっていた。
「ところでどうすんだ?」
リットは誰かが残したワインを勝手に飲みながら、土鳥の卵について聞いた。
「大物を狙う時の一番の弊害だな。結末を見るまでどうしていいのかがわからねぇ。形に残るものなら、売っぱらって等分するけどな。形に残らないものなら、思い出として残るだけだ」
「混沌の精霊を作ろうとしてた魔女の遺産だぞ……どう考えても予測不可能だ。良い結果だけが待ってると思えねぇけどな」
リットは土鳥の卵は自分が元の世界に戻るための鍵だと思っているので、それ相応の魔力が使われるものだと考えていた。少なくとも精霊界に多大な影響を及ぼすものだと。
精霊というのは子供を産んで子孫を残すものではない。リットが出会ってきた精霊は、この時代の精霊と同じだ。紋章を入れられたのは、何かしらのヘルプのサインだと魔女のクリクルは言っていた。
ウンディーネに紋章を入れられたからなのか、それとも今回の過去に行くことを知っていたからなのかはわからない。
精霊達は過去と未来と現在の全てを見通しており、そこからリットが選ばれたのか。それとも精霊も含めて、なにか別の強大な力に動かされているのか。
リットは混沌というのが、全ての謎を解く鍵だと思っていた。
「混沌の精霊だと!?」と物陰から声が響いた。
「盗み聞きか……」
リットがため息をつくと、若い魔女が睨みつけながら寄ってきた。
「ここは共同部屋だ。そこで酒を片手に大きな声で話しておいて、盗み聞きとはな……。それよりも、混沌の精霊と言ったな」
「さぁ、どうだったかな。オレはそんなこと言ってたか?」
リットは適当に誤魔化してしまおうと思って助けを求めたのだが、魔女と話してると頭が痛くなるとハドは逃げるように部屋を出ていってしまっていた。
「言っていたぞ。はっきりとな」
魔女は今までハドが座っていた椅子に座ると、どういうことだとリットを問い詰めた。
「酔ってて適当に言ったんだろう。安物のワインは酔いやすいからな」
「私のワインだ。だが、それは別にいい。問題は混沌の精霊を作り出そうとしているのではないかと言うことだ」
「作るのはアンタら魔女だろ。修行が上手くいってねぇでイラついてんだろうけどよ。絡んでくんなよ」
リットは魔女の大荷物を見て、この魔女が師匠の先を転々としている最中なのに気付いた。若い魔女が船に乗って一人旅しているのも修行の身ならではだ。本師匠が見つかっていれば、一緒に行動しているはずだからだ。
「いいか? 冒険者。一から説明するのは無駄だから、手軽に一言で説明してやる。混沌の精霊に近づけば誰かが犠牲になるぞ」
「どういうことだよ」
「混沌の精霊とはそういうものだ」
「なんでわかんだよ。その若さなら見習い魔女だろ」
「そのとおりだ。もっとも……私は誰からも師事を受けつもりはないがな」
魔女の顔は自信と自慢に満ちていた。
「なるほど……邪法を極めるつもりか」
「どうやら魔女に詳しいらしいな……。私はディアドレのことを調べ、ヨルムウトルを調べ上げて、邪法に辿り着いた。お利口な魔女では辿り着けないような領域にいると自負している。その私が忠告しているのだ。混沌の精霊には手を出すな」
「いたんだな……この時代にもバカが」
目の前にいるのは善悪の区別がつかないグリザベルのようだと、リットは苦笑いを浮かべた。
おそらくこの魔女は近いうちに命を落とすか、魔女の道を諦めることになる。自分が生まれた時代まで、ヨルムウトルのことが何も解決されていないからだ。
そんな魔女の話など聞くだけ無駄だと思っていたリットだが、魔女がある単語を出すと無視するわけには行かなくなった。
「混沌の精霊とは人工精霊のことだ。人の犠牲によって生まれる五つ目の元素」
魔女はぺらぺらと話し始めた。リットが魔女に詳しいと言っても所詮は男。聞きかじった程度の知識だと思っていたのと、邪法に手を出したことにより、周りに研究のことを話せる者がいなくなったせいで、鬱憤が溜まっていたのだ。聞いていないことまで話が止まらなかった。
邪法でも正法でも魔女は魔女。話したがりということだ。
「つまり……依代が必要ってことか」
「そうだ。混沌の精霊とは、人が精霊になったもののことだ。ディアドレが世界に影響を及ぼしたのも……。待て……なぜ依代のことを知っている」
気持ちよく話していた魔女は、ようやく変だと気付いた。目の前の男は自分の言うことを全て理解し、話してもいない依代のことを口に出したのだ。一気に頭の熱が冷めて冷静になった。
「さぁな」とリットが首を傾げると、魔女は動物の骨を砕いて粉にしたものをリットに投げつけた。
突然のことに、リットは咳き込んだ。ようやく落ち着き目に入った粉を拭って視界に入ってきたものは、驚愕に目を大きく開ける魔女の顔だった。
「信じられない……。誰がオマエを作った……」と背中に壁を付けてリットと距離を取った。
「若いつってもよ、子供の作り方を知らねぇよな年じゃねぇだろ」
「オマエは人間じゃないと言っているんだ! 魔力の流れではっきりわかった! オマエは混沌の精霊だ!!」
魔女にとっては驚愕の事実だが、リットにとっては驚くようなことではなかった。むしろ答えに近付いたと、ほっとした気持ちになっていた。
人間の自分はどこか別の世界にいるということは、そこに戻れるということだから。
自分がこの世界で犠牲になるということで、元の世界に戻れることだろうと思った。
そう思えば、こうして世界を回っているのも、あちこちで歪み始めた精霊界を正している途中なのだろうと納得さえ出来た。
だが、魔女は違った。突然答えが目の前に出てきたことにより、重度のパニックを引き起こしたのだ。
暴れて手がつけられなくなったので、船の中で軟禁され、港につくなりどこかへ連れ去られてしまった。
「なんだったんだ……」
ハドはわけのわからない船旅だったと、小さくなっていく魔女の奇声に耳を傾けた。
「さぁね。そんなことよりマルド砂漠へ行くよ!」
いつの間にか誰よりも乗り気になっていたクーが先導して歩き出した。
「なにがあったんだよ……あれ」
リット言葉にヴィクターは笑った。
「急に冒険者の血が騒ぎ出したんだろ。オレにもよくあることだ! やるぞ!」
ヴィクターは景気付けにリットの背中を強く叩くと、拳を掲げでクーの後を続いた。