第十八話
蛇洞窟と呼ばれているので、四人はどれだけ長い洞窟かと覚悟していたのだが、あっという間に行き止まりについてしまった。冒険者じゃなくても入れるような短い距離だ。
あえて問題点を挙げるのならば、凍りついた地面はよく滑る。それだけだった。
「これは……空振りかもな。まぁ、よくあることだ」
ヴィクターはここに来るまでが楽しかったので、十分満足していた。クラーケンから逃げ、雪原を走る船にも乗った。これに勝る経験はなかなかない。
だが、それに満足出来ないのはクーとハドだ。
クーは勘が外れた悔しさから、凍りついた地面や壁を剥がしたりして、どこかに抜け道がないか探しているし、ハドはこんな遠いところまで時間とお金を使って来たのに無駄足になってたまるかと、必死になって土鳥の卵がハマりそうな場所を探していた。
リットはすっかり明かり係にされており、クーに呼ばれ、ハドに呼ばれ、ランプを片手に滑る地面をうろうろしていた。
「大変だな」
ヴィクターは白い息を吐いてガハハと笑ってリットの肩を叩いた。
「そう思うなら、松明代わりになるような枝でも拾ってきて手伝えよ。こんだけ雪が降ってんだ。乾燥した枝くらいすぐに見つかるだろ」
「まぁやることもないしな」
ヴィクターは鼻歌を響かせながら太い枝を拾って帰ってくると、クーがしゃがんで睨みつけている地面を照らした。
「おかしい……」
クーがつぶやくとヴィクターは首を傾げた。
「おかしいところなんてないと思うがな」
「それがおかしいって言ってるの。こんな短い洞窟、なんの為にあるのか意味不明。なによりおかしいのが、動物の巣になってないこと」
クーは靴の先で氷を削った。
氷の先はすぐに地面。動物の糞も、餌になった後の骨もなにもない。それどころか、牙も毛の一本も落ちていない。あからさまに動物がここを避けているということだ。
だが、理由は謎。こんな安全な場所をなぜ避けるのか。雪も風も凌げる恰好の巣になるはずだ。魔力の流れも、クーが感じられる範囲では安定している。
「確かに……動物が避ける理由はわからんな。もし、外が吹雪ならここで数日過ごしたいくらいだ。こう言う時は大抵なにかがある」
「だから、そう言ってるじゃん。なにもないのはおかしいって」
「オレが言ってるのは、なにかが起こるってことだ。動物が近寄らない場所というのは、人間も近寄らないほうがいい場所というのがほとんどだ」
「そう思うなら、ヴィクターもなにか探してよ。邪魔だからあっちで」
クーは煙が目に染みるとヴィクターを押してどかすと、手元を照らすようにリットを呼びつけた。
リットはハドに「邪魔だから持っていろ」と渡された土鳥の卵を強く握ると、ため息をつきながらクーの元へと行ったのだが、ヴィクターが枝を燃やして照らしていた地面は熱で溶けていて、更にツルツルにさせていた。
あっと思う間もなく盛大に転けたリットは、クーに向かって一直線に滑っていくが、クーが乱暴に押し返したことによって、行き止まりにぶつかってしまった。
しかし、そのおかげで勢いは多少衰え、リットには怪我もなく、ランプも割れることはなかった。
「もう……さっさと出るぞ。やってらんねんねぇよ……こんな狭い洞窟の中で」
リットは船に乗った時からろくなことがないと、早くペングイン大陸を離れたかったのだが、ろくでもないことは続けて起こるものだ。
クーとハドの視線はリットの下半身に向かっていた。足先が壁に埋まっていたのだ。
リットの嫌な予感は当たり、クーは何も言わずにその場から離れると、言葉の代わりに遠くから走る足音を響かせた。
その足音はすぐに消え、氷を滑る鋭い音に切り替わると、リットは「おい! バカ!! やめろ!!」と叫んだ。
しかしクーは止まらず、リットの足は埋まっているので逃げることは出来ない。
迫るクーの足は近付くにつれてスピードを増している。
頭を踏まれると思ったリットだが、クーは大股を開いて滑ってきたので、頭を蹴られるではなく、肩車をされるように重なってきた。
そんな頭を襲う圧迫感とは逆に、押された勢いで壁が崩れたので、足元には解放感を感じた。
「みーつけた! 秘密の入り口!」
クーがリットの頭を抱えて喜ぶと、リットの体が傾いた。
壁の向こうは下り坂。壁が崩れるのと同時に地面も削られ、リットはまるでソリのように滑り落ちたのだ。
ヴィクターとハドが助けてくれると思ったのだが、ハドはリットよりも先に坂道を滑り出していた。
咄嗟の出来事にリットが土鳥の卵を手放してしまい、坂道を転がり落ちていってしまったので、掴み取ろうと慌てて飛び出したのだ。
しかし、結果は失敗。今更止まることもできず、ただただ滑り落ちるだけだった。
遅れて滑り落ちてくるヴィクターに、クーは「ちょっとちょっと! ヴィクターまで落ちてきたら、誰が私達を助けてくれるのさ!!」と叫んだ。
「あのままあの場に残って、誰がオレを助けてくれるんだ?」
ヴィクターの後ろには人影が二つ。なんと、存在しないと思われた雪男が二人。ものすごい形相で坂道を滑り追いかけてきている。
「雪男って魔法生物のことなんだ……。うわぁ……厄介……」クーは雪男が足元に水を這わせてスピードを上げるのを見て、追いつかれるのは時間の問題だと思った。「よし! 方向転換!」
クーに頭をペチペチと叩かれたリットだが、自分は寝そべった格好で滑っているので、雪男の姿も見えないし、どうすればいいのかわからなかった。
「方向転換って簡単に言うなよ……。こっちは天井しか見えねぇんだ。どうすりゃいいんだよ」
「しょうがないな……こんなにくっついてサービスだよ」
クーは胸を押しつけるようにリットの頭を抱え込むと、右足のかかとを地面に強く押し付けてお尻を振った。
するとリットの体は地面ではなく、壁に向かって斜めに滑っていった。しかし、壁にぶつかることはなく、勢いのまま天井に向かって滑っていった。
「おい! 天井ってことは……」
リットが一瞬浮遊感を覚えたのだが、すぐに逆側の壁に滑り出した。
そしてまた床へと、筒状の坂道をぐるぐると回転していた。
こうして始まった雪男との氷の洞窟の追いかけっこは、抜きつ抜かれつつ。それに加えて、転がり落ちる土鳥の卵を掴む必要もある。大波乱のまま、どこへ繋がっているのかわからない坂道を下っていく。
ただ、ヴィクターの楽しそうな雄叫びがずっと響いていた。
状況がわからないリットには、その雄叫びも恐怖を煽る要素でしかなかった。前方では一足先に滑り落ちたハドの悲鳴も響いているので、尚更恐怖心を煽る。
抱きつかれているクーの温もりだけが唯一ほっとさせるのだが、無茶な下り方をさせている張本人なので、結局のところリットが安心出来るものはなかった。
それにとどめを刺すように、クーが「あっ……」とこぼした。
「なんだよ! あっ! ってのは……見えねぇんだから、状況くらい説明しろ」
「んーっと。お先真っ暗ってやつ?」
クーの言葉と同時に、リットの体は再び浮遊感に襲われた。壁を経由する一瞬の浮遊感ではない。随分長いこと感じるので、落ちていることはわかった。問題はその距離だ。
いくら叫ぼうが一向に地面に着く気配がない。明らかに着地と同時に、死の世界へ旅立つ高さだ。
しかし、クーが「よっと」と空中でリットを抱きかかえると、衝撃もなく地面へと降り立った。
「ダークエルフだもん。妖精までは行かなくても、風の魔力でクッションくらい作れるよ。まぁ、そんなことしなくて大丈夫だったみたいだけど」
クーは抱きかかえられていたリットは、乱暴に地面に落とされ驚いた。
地面に積もった雪は驚くほど柔らかく、冷たさもないからだ。まるで羽毛の上にいるような温かさもある。
すぐ目の前でハドが頭から埋まっていたのだが、腰が抜けたリットは助けることができなかった。
遅れてヴィクターが降って落ちてくると、その反動でハドはひっくり返った。
「死ぬかと思った……」
ハドは肩を落として項垂れた。ランプはリットが持っているので、真っ暗の中をひたすら落ちていく恐怖を感じていたのだ。
そんなハドの肩を掴んだヴィクターは「見たか? あの雪男!? 最後は壁の中に消えていったぞ!」
「魔法生物だって言ったでしょ。この不思議な雪から産まれたんだろうね。ここは彼らの生まれ故郷みたいなもの。入られたら嫌だよねってこと」
クーは掴んで舞わせた雪は、確かに雪男の毛皮と同じように見えた。
更にクーの話を聞くと、ここは坂道と魔力の流れが変わっており、この柔らかく固まらない雪はそれが影響して出来たものだという。
「魔女がここを見つけたら押し寄せて来るな……」
リットは壁に手をついてなんとか立ち上がるが、下が固まらない雪のせいで滑り、盛大に転んでしまった。
それはヴィクターもハドも同じで、クーだけが平気に歩いていた。
「情けない男連中……それより、ハド」
こんな変な魔力の流れ方をしている場所なら、きっと何かあるはずだと土鳥の卵を受け取ろうとしたのだが、ハドは土鳥の卵を掴むことができなかった。
一緒に転がり落ちた土鳥の卵は、この不思議な雪の下に埋まったということになる。
「この中を探すのか……」
リットは無理だろうと思ったが、ヴィクターは既に捜索を始めていた。
「歩くより泳ぐ方が楽だぞ。やってみろ。まるで雲の中を泳いでいるようだ」
ヴィクターは顔だけ出して言うと、再び雪の中へと潜っていった。
「よくこの得体の知れないものの中に入っていけるな」
リットがはしゃぐヴィクターに呆れていると、クーも同感だと頷いていた。
「ここは地底湖だろうね。元はだけど。雪が入ってくるようなところはないし……。この独特の魔力空間で、独自の文化を気付いてきたのかも」
クーは落ちてきた穴を見上げたが、暗くて何も見えない。
雪男がここまで追ってこないのは、ここが魔力の根源の場所だからだろうと考えていた。
「正直……勘弁願いたいんだけどな。魔力云々の地ってのはよ」
「ペングイン大陸は、取り分けそういう地が多いんだよ。魔族が住む穴もあるし、ウィル・オー・ウィスプが住む沼もある。それにヴァンパイアが取り仕切る城もある。だから魔女もここを選んだんじゃない? どっちもね」
クーが言っているのは、闇に呑まれるという現象を引き起こしたディアドレと、土鳥の卵を作ったと思われる魔女のことだ。
「どっちの魔女のことでもいいんだけどよ……。オレには嫌な予感しかしねぇぞ……」
リットはここが地底湖とだと知らされてから、不安しか湧いてこなかった。
現在土鳥の卵の中には湿の性質が入っている。これを冷の性質と入れ替えるときに、水という魔力元素の力が使われる。
つまり、この地底湖は水に満たされるのではないかということだ。
そうなれば溺死に凍死と、助からない道はいくらでも浮かんでくる。
そのことを言うと、リットはクーに鼻で笑われた。
「こういう時は普通助かる道を考えるんもんだよ。根暗なんだから……ほら、笑って。にこっり」
クーはリットの両頬をつまむと無理やり口角を上げさせた。
リットが反論しようにもクーが手を離さないので、口から言葉になって出てこなかった。
「なに遊んでんだよ……」
雪の中から顔を出したハドは、汗だくの顔で二人を睨みつけた。
「遊ばれてんだよ……わかんだろ。つーか、その汗はどうしたんだよ」
「知りたけりゃ潜れ。まるで湯の中に入ってるみてぇだぞ。奥に潜れば潜るほどな」
リットは「雪だぞ」と反論してみたものの、最初に感じたとおり、ここの雪は冷たくない。ほんのりとした温かさを感じるのは事実だった。
「潜ってみようか」
クーはリットの返事も聞かずに、無理やり雪の中へと引きずり込んだ。
水を潜るのと似たような感覚だが、それよりずっと速く底へと向かっている。まるで水を滑り落ちているかのようだ。
息苦しさはあるが、呼吸が出来ないわけではない。そして、ハドの言うようにどんどん周囲の温度が上がっていった。
この全身に感じる温かさ、リットには覚えがあった。
「温泉か?」
「温泉?」とクーが聞き返すのと同時に、ヴィクターが「見つけたぞ!」と声を上げた。
しかし、二人にはその言葉には反応せずに一つの仮説を立て始めた。
ここが地底湖ではなく源泉だった場合のことだ。
冷の性質により熱を持ったまま凍らされて雪のようになっていたら。
懸念するべきことは二つ。
一つは毒素が含まれている源泉だった場合。
もう一つは高熱の源泉だった場合だ。
どちらも答えは一つ。向かうべきは死だ。
「ヴィクター!!」
クーは叫びながら、リットを引き上げて雪の中を這い上がると、ヴィクターが「おう、ここだ」と手を振っているのが見えた。
「いい? どっちを見つけたのかはわからないけど、穴に石をハメないこと。わかった?」
クーは仮説を話すと、ヴィクターはたまならなく嬉しそうな表情を浮かべた。
「温泉かぁ……東の国まで行く手間が省けたな」
「ちょっと待った……。もしかして見つけたって、両方見つけたってこと?」
「それどころか、もう石はハメてきた。……逃げるか」
ヴィクターが壁に向かって走り出すと、クーは「ハド!!」と叫んだ。
「もう逃げてる!」
ハドの声はヴィクターが走っていった方向から聞こえていた。
クーも壁の前まで走ると、リットに振り返った。
「私の腰を抱きしめて、お尻に顔を埋める。わかった?」
「わかんねぇよ……」
「肩周りを邪魔されたくないし、こういうのは勢いが大事なの。落ちても助けてる余裕はないからね。それでもいいなら、足首でもどこでも好きに掴まって」
クーは高くジャンプすると、両手に持ったナイフを壁に突き刺した。
落ちてきた穴をナイフ二本で上るということを理解出来たリットだったが、同時にあまりにも無謀だということも理解出来た。
しかし、迷っている暇もなく、こういう時はクーの言うことを聞くのが正解だと経験上分かっているので、クーの腰を抱きしめてお尻に顔を埋めた。
クーの「行くよ!」という声と、リットの体が揺れるのと同時に、動物の咆哮のような音が下から聞こえてきた。
気付けば雪は溶け出し、ふつふつと煮える湯が空気を押し上げて音を立てていた。
そして湧き出るのを止めていた氷の蓋が溶けるのと同時に、ものすごい勢いで水かさが増してきたのだ。
しかし、リットは下を見ている余裕などない。
揺れに揺れるクーから振り落とされないように、お尻に顔を埋めるのに必死だったからだ。
なんとか穴を這い上がったものの、今度は滑り落ちてきた坂道がある。
いずれは熱湯に追いつかれると思っていたが、先に危険を察知して逃げ出した雪男が氷の道を作っていたおかげで、その道を辿って逃げることが出来た。
外にいたワーウルフは「なんだなんだ!?」と逃げていく雪男に驚くと、次いで必死に走ってくる四人を見て更に驚いた。その後ろにはすぐに蒸気が煙のようになって襲ってきていたからだ。
四人は船に乗り込もうと雪の上を滑るように走るがもう遅かった。高波のようなお湯に襲われ、飲み込まれてしまったのだ。
お湯はあっという間に周囲の雪を溶かしたかと思うと、当たりには大きな湖が誕生した。
「おいおい……困るぞ。これじゃあただの船だ」
湖に浮かぶ船の上で、ワーウルフはどうやって帰ればいいんだと遠吠えを上げた。
クーは湖から顔を上げると、「あらま……いいお湯なことで」と一息ついた。
氷の洞窟を通ったことにより、熱湯は丁度いい温度まで下がり、四人は火傷することなく済んだのだった。
振り返れば、蛇洞窟からはチロチロと絶え間なくお湯が流れ出ており、天然温泉になっていた。目の前は湖と雪景色という最高のロケーションだ。
「やりすぎだろう……」とリットはため息をつくと、お湯にブクブクと口を沈めていった。
「私のせいじゃないでしょ」
「魔女に言ってんだよ。滝の位置を変えたり、源泉をせき止めたり。やりたい放題に程があんだろ……」
「まぁ、それは確かにね。精霊に怒りを買ってもおかしくないね」
クーはお湯の温かさに気持ち良さそうに目を細めた。
その瞳の端には、雪原を走っていく雪男の姿がかすかに映った。
これでここらに広がっている雪男の噂話が、本当の話になると思うと笑わずにいられなかった。