第十七話
白く霞む視界。撃ちつける雪は、その一粒一粒が体温を奪っていくようだった。実際に、頬に当たり溶けた雪は、濡れて風を一層冷たく感じさせた。
積もる雪は落とし穴のようで、下が固り氷になった雪か、柔らかく降り積もった雪かわからない。
リットは何度も足を取られながら歩いていた。
他の三人もリットほどではないにしろ、何度か体勢を崩している。
「あー! もうイライラする!!」とクーが雪玉を握って闇雲に投げた。
雪玉は見事リットの後頭部に命中して砕けた。
痛くはないが、いきなりのことにビックリしたリットはクーを睨みつけた。
「おい……ランプの火が消えたらどうすんだよ。この吹雪の中じゃ、マッチを擦るのも一苦労なんだぞ」
「知らない! なんなのこの地面。一歩ごとにギャンブルしてるようなもんじゃん。意味わかんないー。滑るか、落ちるか、なんともないか。三分の二がハズレじゃん! やってらんない!」
クーが雪玉を手当たり次第に投げると、ヴィクターが豪快に転んだ。
後ろ向きにゴロンと。それはもう見事に雪に埋まった。
「ガハハ! オレが一番だな。この転び方は誰にも真似出来ないだろう!」
「なに笑ってんだよ……。アホなことして凍傷にでもなったらどうすんだ」
ハドは一度休憩を挟もうと、ヴィクターに手を貸して立たせた。
「町の人はこんな天気になるなんて言ってなかったのに……。もしかして私達騙されてる?」
クーの身勝手さにリットは呆れて、寒さに染まった白いため息をついた。
「なに言ってんだ。むしろ無駄足だって教えてくれたのに、ヴィクターとクーが行くって言い出したんだぞ」
四人はスノウアップルの蛇洞窟の近くにある町についていた。そこで聞いた衝撃の情報は、雪男の噂というのは出どころがはっきりしている偽の情報だと言うことだ。
洞窟近くには、周囲の木よりも一際高く育った針葉樹の木が数本ある。それに雪が積もった姿が、白い毛皮を着ているように見えるので、雪男が出たと言われるようになったのだった。
それに加えて、スノウアップルと呼ばれる雪玉が作られる現象が起こるものだから、それは雪女が作ったものだとか、雪男の食糧だとか、話が脚色されて広がっていったのだった。
しかし、それで納得しなかったのがヴィクターとクーだ。
雪男を見たものは全員が全員、光る瞳を見たと言うものだから、これは何かあると洞窟に向かうと半ば強引に決めたのだ。
リットとハドは反対し、行くにしても慣れない雪道を歩いてきた疲れが取れてからにしようと提案した。しかし、移動するなら今のうちと町人に言われると、チャンスは今しかないと、宿に寄ることなく続きを歩き出したのだった。
「まったく……踏んだり蹴ったりだな……」
ハドはぶつぶつ文句を言いながらも、町で万が一の時にと教わった雪洞を掘り始めた。
この辺りに森はなく平原が延々と続く。下手に歩き回れば、方向がわからなくなる。吹雪の時はじっとしてるのが一番だ。
特に凝ったものではないので、すぐに出来上がった。
真下に穴を掘って底を平らにし、木で屋根を作るだけのもの。凌げる寒さも、吹雪に当たるよりも少しマシなくらいだ。
だが、四人寄り添えばそこそこの暖かさになった。
「よく皆こんなところで生活出来るよね。私だったらすぐ出てくよ、こんな土地」
クーはやっていられないと不機嫌に唇を尖らせた。
「ダークエルフになったのがよくわかるセリフだな」
ハドの皮肉にクーはイーっと歯を剥き出しにした。
それから二人はあの時はどうとか、もっと前はこうだったとか、昔のことを持ち出して口喧嘩を始めた。
大抵はクーに原因があることばかりで、よくハドは我慢して来たものだとリットは感心して聞いていた。
話を聞いていると、三人は出会ってから凄く長い時間を過ごしたわけではないらしい。たまたま手を組んだ案件から仲良くなり、今まで関係が続いているとのことだ。これから先もずっと一緒に冒険するわけではなく、別に興味移れば分かれて別々の道を歩くドライな関係だ。
だがリットは今後も三人の関係が続いているのを知っているので、なんだかんだ運命的な出会いになったのだろうと思っていた。
これだけのことを共に経験すれば一生忘れられないだろう。
しかし、そうなると自分の存在はどうなるんだとリットは首を傾げた。ここでのことを三人は未来では覚えていない。
問題いを解決すれば、夢物語のように自分の存在もなかったことになるのかもしれない。
少しの寂しさも感じたが、リットはそれでもいいと思っていた。まさか若き日のヴィクターと一緒に冒険出来るなんて思っていなかった。それこそまさに夢物語だ。
「エッチな笑みを浮かべてるけど、当たってるのはおっぱいじゃなくて、火付けようの枯れ葉の塊だからね」
クーは考え事をして黙ったまま笑みを浮かべているリットを不審に見ていた。
「そりゃ残念だな。大きくなったと思ったのに」
リットは言い返すが、クーのほうが上手なのは変わらない。
「大きくなったのはリットでしょ。それとも、寒さで小さくなった?」
「リットの負けだな」
ヴィクターはやられたなと笑った。
その豪快な笑いに呼応するように地面が揺れた。
長く止まることなない揺れにハドは警戒した。
「まさか雪崩か?」
「雪原のど真ん中だぞ」
リットはあり得ないと言うが、揺れは大きくなるばかり。このままでは生き埋めになると、四人は穴から這い出した。
すると目に映ったのは晴天。まばらな雲が浮かぶ青空だった。先ほどのまでの猛吹雪はなんだったのかと思うほどだ。
しかし、もっと驚いたのはリット達のすぐ横に船が停泊していたことだ。
サイズは中サイズの漁船程度で、見た目も普通の船に見えるが、見上げていた視線を徐々に下ろしていくと、船底には長い板が三本張られていた。
遠くから伸びる三本の跡を見るに、この船は雪の上を滑って移動する特殊な船だった。
「おい……そんなところに穴を開けたら困るよ……船の滑り板がハマったらどうすんだ」
船から毛むくじゃらの男が降りてきて文句を言うと、クーが「雪男?」と聞いた。
「失礼なこと言うな」男がフードを取ると長く伸びた鼻と大きな口が露わになった。「オレはワーウルフだ。そしてこれは雪原帆船。ここらを移動するには必需品だぞ」
町人はこれに乗って移動するチャンスだと言っていたのだ。風が強く、帆船なら雪原をぐんぐん進んでいくと。しかし、クーが最後まで聞かないせいで、猛吹雪の中を歩くハメになってしまったのだ。
そのことを話すと、ワーウルフは驚いていた。
「よくこんなところを歩こうと思ったな……。普通は死が頭をよぎって躊躇するぞ。海を泳いで渡ろうとするのと同じくらい無謀だ」
ワーウルフは大変だっただろうと船に乗るように言った。
「助かった……。おかしいと思ったんだ目印もない雪原を歩けだなんて。にしても……凄えな。ソリとは全然違う」
リットは雪原を走る船から景色を見ながら言った。
風を孕み膨らむ帆は海の船となにも変わらないが、雪原ともなると一味も二味も違った。雪を豪快に掻き分けて進むのは、ここ以外では見られない光景だ。
「そうだろう。今面白いもの見せてやるから楽しみにしてな」
ワーウルフはニヤリと笑うと、ロープが垂れ下がっている木に向かって船を走らせた。
そのロープには罠が仕掛けられており、雪の中を穴を掘って進む小動物を捕らえていた。
「海と変わんねぇな。まるで漁業だ」
「ここらは本当に雪原がずっと広がってるからな。ここで生まれたオレも迷う時があるくらいだ。獲物を追って雪に潜ってみろ。雪から顔を出した時には方向感覚がなくなって、あっという間に行き倒れだ」
「だってさ」
クーは穴を掘ってやり過ごそうとしたハドに向かって、からかって肩をすくめた。
「全員が賛同しただろ……。まぁ、なんにせよ助かった。このまま蛇洞窟まで案内してくれたら助かる」
「いいぞ。そう遠くもないし、あそこにも罠を仕掛けてあるからついでだ」
雪原帆船が蛇洞窟に近付くにつれて、雪原は姿を変え始めた。
雪が風に捲られて丸まった跡が、見えるようになってきたのだ。
それを見てワクワクしたクーは「いよいよって感じだね」とリットの背中を叩いた。
「なにがいよいよだ……本当にハズレ洞窟を進むつもりか?」
「ハズレかどうかまだわかんないでしょ。潜るまでは」
「潜って出てきたら、また吹雪の中を歩くハメになるって言ってんだ」
「そんなことにならないよ。この雪原帆船があるんだから」
「おーっと、それは困るぞ。オレにも生活がある。出てくるかどうかもわからない旅人を待ってる暇なんてない」
ワーウルフが断ると、クーはありげな笑みを浮かべた。
「それはどうかな。これがないと困るんじゃない?」
そう言ってクーがポケットから出したのは牙だった。
「それは!?」ワーウルフは慌てて腰の小袋を開けて中を確認すると、大事にしまっていたものがないと肩を落とした。「いつの間に取ったんだ?」
「取ったんじゃないよ。落ちてたのを拾ったの。ちゃんと袋の穴は確認しないと」
「見たところ、この牙はヴァンパイアのものと見た。ワーウルフがヴァンパイアの牙を持ってるだなんて、何をするか想像つくね。チクらないけど。……返してほしい?」
ワーウルフは無言で頷いた。
「条件は一つだけ。美味しいご飯を用意して、この船で待ってること。わかった? ワンチャン」
クーはニーッと笑うと、ワーウルフは観念した。この牙を失えば、反旗を翻すための長期計画の出鼻をくじかれることになるからだ。
「そのうち背中から刺されるぞ……」
リットはやり過ぎだと忠告するが、クーは気にした様子もなくケラケラ笑っていた。
そしてたどり着いた蛇洞窟。その横には先ほどの吹雪で出来上がった雪男の木。その根元には、丸く大きな雪玉がいくつも転がっていた。
「噂そのものだな」ヴィクターは洞窟を注意深く見ると「ちょっとあからさま過ぎないか」と、珍しく疑問を口にした。
「何もないはずだけどな」とワーウルフが言った。「蛇のように曲がりくねっているだけで、何人も奥まで行って帰ってきてるぞ。手ぶらでな」
「クー様の勘をなめちゃいかんよ。私が何かあると思ったら、何かあるって相場は決まってるの」
「何かあるまで諦めないからだろ」
ハドは言っても無駄かと、洞窟に入る準備を始めた。
「じゃあ、あるってことじゃん。ね?」
「そうだな。雪男の瞳が光ってないのが気がかりだが」
ヴィクターは木を見上げて言った。自分が怪しいと思っていた噂は、少なくともここでは役に立たなかった。
「吹雪の最中だったら光ったんじゃないの? それより、食料はまだ?」
クーはワーウルフが焼いている小動物の肉を見て、遅いと足を慣らした。
「これはオレの食事なんだけどな……」
「戻ってきたら、ちゃんと牙も返すし、謝礼も払うって。冒険者にいいことすると、倍になって返ってくるって知らないの?」
「オレは今のままで十分幸せ」
「じゃあ、一度不幸にすれば納得する?」
クーの脅すような口調に、ワーウルフは好きにしてくれと食糧を差し出した。
「さぁ、いくよ」
クーはヴィクターとハドを船から蹴り落とすと、リットに向かって微笑んだ。
蹴られるか、自分から降りるから選択を迫っているのだ。
リットはため息を一つ挟んで自ら降りようとしたのだが、そのため息が気に入らなかったらしく、結局クーに蹴り落とされた。
「気を付けろよ」というワーウルフの心配は、四人が帰ってこないと牙が返ってこないことからきているのだが、都合よく解釈したクーは大きく手を振り替えした。
「ありがとねん。心配してくれて」
「この図太さがありゃ無敵だな」
ハドがつぶやくとリットとヴィクターは心の中で頷いた。
一言でも口に出したり、頷いて見せたら、今のハドのようになるのはわかっているからだ。
ハドは「えーい!」というクーの掛け声と共に、ソリのように滑らされて洞窟の奥へと消えていったのだ。それもランプをくくりつけられて。
おかげで、残り三人は安全を確認した上で歩くことができた。
蛇洞窟は聞いていた通り曲がりくねった道をしているので、ハドは遠くまで滑らされることなく、途中の壁にぶつかって止まっていた。




