第十六話
「いやー完璧だったでしょ」
クーは酒場で得意げに言った。
船員の負傷者はゼロ。今となってはクラーケンに襲われたのも自慢話だ。
時が経てば笑い話にはなるだろうが、時が経てば経つほどクーは恨まれていくだろう。
それでも今は一緒に危機を潜り抜けた仲間ということで、船員達と馬鹿騒ぎをしているところだった。
「命あってラッキーだとは思うけどよ……よくまぁ……騒げるな」
リットは陸についた安心感からどっと疲れが出ていたが、酒を飲むと聞かされればハドのように宿に帰ったりはしない。
それはヴィクターも同じことで、楽しそうに体を揺らしながらビールを飲んでいた。
「命があるから騒げるんだ。誰かが死んだわけじゃない。もっと楽しそうな顔をしたらどうだ?」
「見張り台からクラーケンが追いかけてくる姿を見てねぇから、そんな呑気な顔で笑えんだよ……」
「なんだ? クラーケンの姿を見たのか?」ヴィクターは心底悔しそうな顔をすると、皆を呼び集めた。「おーい! リットがクラーケンの姿を見たらしいぞ!」
すると、リットのテーブルには酒を片手に持った船員達が集まり、クラーケンはどんな姿だったのか、触手をこっちに向けていたかなど、矢継ぎ早に質問が飛んだ。
その一つ一つの返答に大げさに驚き、また笑い合った。気付けば立派な酔っ払いになっていた。
いくつも質問に答えて、やっと酔っ払いの輪から逃げ出したリットは「ありゃ、伝説の秘宝のことなんてすっかり忘れてんな」と、率先して盛り上がるヴィクターを見てため息を落とした。
「伝説の秘宝だと? 何を海賊みたいなことを言っているんだ」
同じく輪から離れてきた船長が話しかけてきた。
「どっかの洞窟にあんだとよ。ペングイン大陸を雪積もる大陸にしたって秘宝がな」
「それは秘宝とは言わないだろう。夢物語って言うんだ」
「ちげえねぇ。でも、アンタら船乗りはそういう噂をよく聞くんだろ? なんか聞いたことねぇか?」
「今自分で言ってただろう。そう言う話は聞く。聞き過ぎるほどだ。なにを聞きたい? 雨を降らすカエルのことか? 踊る猫のことか? 金の小便を流す老人って話もあるぞ」
「散々こきつかってきた船長に、痛い目を見せる猿とかいねぇのか?」
「そう怒るな。噂話はそう言うものだと言うのは、君達冒険者のほうがよくわかっていることだろう。雪に関する話なら、東の国には雪女と言う妖怪がいるそうだ。他にも色々いるそうだが覚えてはいない」
「ここにきて、手がかりが東の国とはな」
リットはやっていられないとため息を落とした。東の国に知り合いがいるなら、そっちに向かってもいいが今は誰もいない。薬売りで妖怪のテンコは生きているだろうが、この時代では知り合いではない。
「そうだ! ペングイン大陸には魔族の地があるぞ」
「知ってるよ。スリー・ピー・アロウだろう」
「キャラセット沼はどうだ?」
「ウィル・オー・ウィスプが住んでるところだろ。知ってる」
「他には……そうだな……」
「おいおい、手当たり次第に教えろって言ってんじゃねぇよ。噂では洞窟だ。なんか洞窟の話はねぇのか」
「ペングイン大陸だぞ。洞窟は腐るほどある」
「そうなんだよな……スリー・ピー・アロウってのも洞窟だからな。天望の木に、あとは……そういや、テスカガンドってのは闇に呑まれてんのか?」
「当然だろう。何を言ってるんだ」
船長は当たり前のことを聞くなと呆れていたが、リットはまだ闇に呑まれる影響が少ないことを理解した。
知っている情報では闇に呑まれて航海が大変なはずだが、船ではそういった情報はなかった。東の国の大灯台が活躍するのは、まだ先の話と言うことだ。
「大灯台か……」
リットがつぶやくと、暇になったクーが絡んできた。
「なになに? 大灯台ってのが次の行き先なの?」
「いや、見ておきたいと思っただけだ」
この時代の大灯台はまだ龍に壊される前のものだと言うことを、リットは不意に思い出して、どうせなら見てみたいと思ったのだが、クーにあっさり却下された。
「目的もないのに東の国なんかに行くわけないでしょう。こっからどんだけかかると思ってるのさ。冒険ってのは観光じゃないんだよ」
「だから思っただけって言っただろ。つーかよ、行き先が決まらねぇなら、今だって結局観光じゃねぇか……」
クーはこの地域名物の毛深イノシシのバラ焼を堪能しており、今も片手に骨つき肉を持っているところだった。
「寒いせいなのか、脂肪たっぷりで美味しいよ。海でとれない貴重な脂がいっぱい。リットも食べておいたほうがいいよ」
「そうだ! あったぞ! 噂話だ! 雪男が守る洞窟。確か名前は……スノウアップルの蛇洞窟だ」
スノウアップルの蛇洞窟とは、文字通り蛇のように曲がりくねった洞窟だ。
スノウアップルというのは土地の名であり、雪が風に転がされてダマになり、更に風に吹かれて転がりリンゴのように丸くなったものがいくつも落ちている現象のことだ。それを追いかけていくと洞窟の入り口にたどり着くという。
「リンゴの代わりに蛇に食われるってことだ」船長は笑うと「スノウアップルは近いぞ。宿に戻れば地図があるんじゃないか? スノウアップルの町につけば、全員が知ってるような噂だ」と言った。
「町人全員が知ってるのは、噂じゃなくて伝承だろ。どう思う?」
口周りをソースでベタベタにしたクーに聞くが、リットの期待していた答えは返ってこなかった。
「どう思うかじゃなくて、リットが今の話を聞いてどうしたいかだよ。いつまでも私のお尻を追いかけてちゃ、ただの尻フェチになるだけで成長しないよ」
クーはからかうように、リットに向けて形の良いお尻を振った。
「あのなぁ……元はクー達が追いかけてたものだろうよ」
「今じゃリットも追いかけてるものでしょ。どうしてもって言うなら、なんか意見をあげてもいいけど……一生私のお尻の下に敷かれるよ」
リットはここでなにをやったところで、未来はどうせクーの手の上で転がされるのがわかっていた。だが、素直にクーに意見を聞く気分でもなくなっていた。
無言で立ち上がると、他の船員にも話を聞こうと席を外した。
「あーらら、男はいくつになっても男の子だね。ところで、その噂って本当なの?」
リットが見えなくなった途端に、クーは噂の真相を船長に確かめ始めた。
「噂があるのは本当だ。噂の内容が本当かどうかはわからない」
「雪男ってのは、誰か姿を見たわけ?」
「見たから噂になってると思うんだが?」
船長は冷たく言った。立場上、クーのせいで船員が危険に晒されたことをすぐ忘れることは出来なかったからだ。
しかし、クーは恨まれるのなんて慣れっこなので、気にせずどんどんと質問をしていった。
「つまり雪男を見たっていう噂はあるけど、実際に見た者はいない。蛇洞窟の場所もわかってるっていうのにだ。そして蛇洞窟があるのは、『風』の力で雪だまが出来る土地ってわけね。雪っていうのは最終的に水になるもの。なるほどね」
「あまり関わりたくはないが、答えは出てるんじゃないのか?」
「出ちゃったねー。でも、可愛いと思わない? 私にいいとこ見せようと頑張ってる姿」
「歪んでる」
「そりゃ歪むよ。何年ダークエルフやってると思ってるのさ。人間はいいよ、色々見過ぎて歪む前に寿命が来るんだからね」
楽しそうに笑っているクーに向かって船長は肩をすくめると、仲良くする理由もないと席を離れた。
翌日、クーと同じ答えに辿り着いたリットは、クーを叩き起こしてそのことを説明した。
「ほら、可愛い」
「なんだってんだよ」
茶化されたと思ったリットは睨んだが、クーに指で垂れ目にされてしまい、凄んだのが台無しになってしまった。
「なーんでも。行き先が決まったんなら、準備を整えるためにもヴィクターを引きずって宿に戻ろうか。雪国なら準備するものはたくさんあるからね」
クーはヴィクターの足を掴むと引きずって酒場を出ていった。
どうもまた手のひらで転がされてるような気がしたリットだが、どう転がされているのかわからないので文句を言うことも出来なかった。
宿ではぐっすり眠り、完璧な体調のハドが、紅茶を飲んで冬の朝を楽しんでいた。
「おう、負け犬ども。朝なのにひでぇつらだな」
「オレの顔の文句はクーに言ってくれ……」
ヴィクターは雪道を引き摺られて霜焼けになった顔をさすった。
「私への文句はリットに言って。理由は面倒臭いから」
クーはベッドへ飛び込むと、リットから話があると告げて自分はぐっすり眠りに入った。
リットは辿り着いた考えを説明すると、ハドは静かに何度も頷いた。
「なるほどな……確かに行く価値はあるな。雪男というのは気になるが……それともう一つ……」
「なんだ? 文句なら聞くけどよ。代案がなけりゃ、そっくりそのまま文句を返すぞ」
「順調過ぎると思ってんだ。行く先々に答えが転がってる気がする。誰かに糸で引っ張られているみたいで気持ち悪い……」
ハドの鋭さは大したものだと思っていた。
柄でもないし、説明が面倒なのでリットは話さないが、おそらく精霊のなんらかの力が働いているのだろうと思っていた。
クリクルが言っていた。紋章を消すための為すべきこと。それはこれのことだろうとリットは思っていた。
そう思ったのは、港で出会った魔女が混沌の精霊という言葉を口に出したところからだ。
過去にディアドレがエーテルという五つ目の元素を作り出して、闇に呑まれるという世界が出来てしまった時のように、これからなにかしら事件が起こる可能性がある。それを阻止するのが自分の役目だと。
土鳥の卵が原因になるのか、それとも事件を解決するアイテムになるのかはまだわからないが、引っ張られる糸に身を任せた方がいい。
もしも、それが間違っていたとしたら、ヴィクターやクー。それにハドがどうにかしてくれるという信頼感がある。
結局頼っているのだと、リットは笑った。
「おい、笑うなよ。別に雪男が怖いって言ってるんじゃねぇんだ。誰かの罠だったらどうすんだってことだ。誘い込まれた先には、なにがあるかわからないからな」
「なにもなかったらつまらんだろう……」
ヴィクターは呆れも通り越した表情でハドを見ていた。
「いいか? リットがクーの尻を拭いてるなら、ヴィクターの尻を拭いてるのはオレなんだぞ」
「オレはいい歳の大人だぞ。尻なんか拭いてもらうか」
「誰が宿屋の娘とのいざこざの間に入ってやったんだよ。あのままじゃ、宿屋を継いで冒険どころじゃなかったんだぞ」
「酷い話だな……女の目当てはオレの体でも愛でもなく、家を出る理由だった。それなのに、あの親父ときたら宿を継げと来たもんだ。娘の話などなにも聞いていない。家を出たくなる理由もわかるってなもんだ」
「こっちはこんがらがった三角関係を解くのに、どんだけ苦労したか知ってんのか?」
「だからいつも言ってるだろ。ハドには感謝してる。いつも愛してる」
「あのなぁ……オレとの冒険も一生続くわけじゃねぇんだぞ。オレと離れた瞬間、父親になりそうだ。いや、もうなってるかも知れねぇぞ」
ハドの言葉にリットは大きく頷いた。
何年後かは知らないが、今のハドの言葉はヴィクターに突き刺さっているだろうと。
「子供か……たくさん欲しいものだ。二人や、三人じゃないぞ。十人は欲しいな」
「ネズミじゃねぇんだぞ。そんなほいほい出来るかよ」
「願えば不可能じゃないさ。な? リット」
「あー……それに関してはノーコメントだ……」
「なんだ、子供は嫌いか? オレは大好きだぞ。色んなことを教えてやりたい」
「今教わってるよ」
リットが小さな声で言うと、ヴィクタは最高だなと笑った。
「子供でいて友人。最高の関係だとは思わないか?」
「どうだろうな。でも、オレは好きだぞ。そういう関係はな」
リットはヴィクターの肩を優しく叩くと、町に冒険に必要なものを買いに行くと出ていった。
「聞いたか? ハド」
「聞いたよ」
「オレのことを好きだと」
「まさかオレにも言えってんじゃねぇだろうな……」
「ハド」
「あのな」
「ハァド」
「だからよ。やめろよこういうの……気持ち悪いからよ」
「ハド」
「わかったよ。頼りにしてるって言ってんだろ。いつも。ヴィクターがいるから安心して旅が出来てるんだ」
「ハド!」
ヴィクターが抱きつこうとしたが、ハドが素早く避けたのでクーが眠るベッドに飛び込んでしまった。
「もううるさーい!」とクーも参戦したので、宿は大騒動になっていた。
それは宿から離れたリットにも聞こえていた。
「本当にあいつらはうるせぇな……」