第十二話
クエン川というのは比較的流れが緩やかな川だ。それはなだらかな山を流れてくるからであり、大雨が降りやっと大岩を乗り上げるくらいの水量だ。
だが、目の前に流れる川は一本岩を這うように高く上り、周囲のどの木よりも高い位置で飛沫となっていた。
思わず目が離せなくなっていたリットだが、クーが「こっちこっち」としつこく呼ぶので、従って近付いたのだが足を取られて転んでしまった。
それは川の流れではない。生き物にぶつかれたかのような強風に足元をすくわれたのだ。
リットが盛大に転んだのを見て、クーはいたずらが成功した子供そのままにキャキャっと笑っていた。
「酒を奢らせた恨みか?」
「先に答えを教えてあげたの。ハドの嫌味な講義より全然マシでしょ」
クーはリットに手を伸ばして起こすと、先にある洞窟を指した。そこへ足元に落ちている枝や枯れ葉を拾って投げて見せた。
そのおかげで、風は飲み込まれるように洞窟に向かっているのがわかった。
「つまり風の力で、川は岩を上ってるってことか?」
「正しくは石柱だな」とヴィクターが付け足した。「今ハドが上を調べに行っているが、本当はあの洞窟に向けて川が流れていたはずだ。それをどこぞの誰かが崖の上の川へと合流させた。こんな無茶苦茶な方法でな」
ヴィクターは石柱の周りを歩いた。川の水は一滴残らず石柱を上っている。
戻ってきたハドの報告では、石柱の頂上ではさらに強い風が吹き込み、崖上を流れる別の川まで水の橋を作って流れているとのことだった。
「まったく目的はわからねぇな……」
ハドが首を傾げると、ヴィクターは「意味などない。彫刻だろう」と言った。
「彫刻としても意味がわかんねぇって言ってんだよ。ヴィクターならなんてタイトルをつける?」
「そうだな……」ヴィクターは顎に手を当てて考えると、首を横に振った。「ダメだ。下ネタしか思い浮かばんな」
「頭に思い浮かぶのは、それが欲しくてたまらないからだよ」
クーはヴィクターに呆れると、自分の目で頂上を見てこようと近くの木から木へとどんどん上っていった。
ハドも近くを探索してくるといなくなると、チャンスだとヴィクターがリットの肩を抱いた。
「オレの考えていることがわかるか?」
「まさか……抱擁の続きってんなら断るぞ」
「そうじゃない。見ろ、あの誰も寄せ付けないような暗がり。チャンスだと思わないか?」
「やっぱり続きじゃねぇか……」
「わからん男だな……。そんなに暗がりで抱いて欲しいのか? オレが言ってるのは、風になにかあるんじゃないかってことだ。クーもハドも水になにかあると思っているがな。この現象を作り出しているのは風だぞ。そしてどうだ? 風はどこに向かって吹いている?」
「言われりゃ、そう思うけどよ……」
「思うなら、確かめるまでだ」
ヴィクターはご機嫌な鼻歌を歌いながら、リットを無理矢理連れて洞窟の中に入っていた。
洞窟というのは地下水脈と繋がるもので、あっという間に行き止まりだった。水の通り道はあるが、人間が入れる大きさではない。沈むように水が流れ込んでいっている。川が流れていればの話だが。
洞窟の奥は風と共に吸い込まれた枝や枯れ葉、それに虫の死骸などでいっぱいになっていた。
「枯れ葉に枝に虫。鳥にとっちゃ楽園かもなここは」
リットは枝を拾って、ゴミの山をほじり返してみるが風に舞うだけでなにも出てこなかった。
「オレの勘も外れるな……なにかあると思ったんだがな……」
「勘じゃなくて、思いつきだからだろ。あんなあからさまに怪しいもんが建てられてるのに、無視して洞窟の中に入る奴がいるかよ」
「思いつきは大事だろう。思いつくからこその行動だ。リットだって、グリフォンのことを思い出し、そこから思いついて呼んでみたんだろう? 同じことだ。今回はたまたま結果が出なかったが、後悔するようなことでもない」
ヴィクターは言葉通り全く気にした様子もなく洞窟を出て行った。
リットもすぐに後を続こうとしたのだが、吹き寄せる強風のせいで上手いこと前に進むことができない。まるで見えない迷路を歩くかのように、ふらふらになりながらようやく外に出ると、クーもハドも戻ってきていた。
「その様子じゃ、何もなさそうだな。こっちも何もなしだ」
ハドは周囲に目立ったものはないと報告し、クーも同じだった。
「まぁ、とりあえず一晩過ごしてみるのがいいかもね。カッパーライトも夕日で彫刻が現れたし、なんかタイミングがあるのかも。二、三日過ごしてみてダメだったら、次のとこ行ってみよう。冒険は気長にだよ」
クーの提案に全員が納得して、上る滝の側で一晩過ごしたのだが、結果は何も変わらず寝ても覚めてもただ滝が上っているだけだった。
「なんて人を舐めた彫刻なんでしょうね! ていてい! てい!」
クーが石柱に蹴りを入れるたびに、飛沫が舞った。滝のように上がることなく、ただ落ちる飛沫だ。
「冒険は気長にじゃなかったのか?」
リットはクーをどかせると滝で顔を洗った。冷たい水は気持ちいいが、鼻をつままなければ痛い思いをすることになる。
ヴィクターは水筒を逆さに構えて、上る滝の水を汲む。そばで一日側で過ごせば、滝の扱いにも慣れたものだった。
「それは心に余裕がある時だけ。ぶっちゃけ言うとつまんない。こんなの観光だもん。冒険じゃない。張り合いがないよ」
「一人だけなんにも見つけてないんじゃ腐るわな」
ハドは沸かしたお湯を飲んで落ち着いていた。
「煽っても無駄。今回ばかりは意味わからないもん。仮に、なにか見つけてどうなるの? 水の道でも出来るわけ? それに乗って移動? 私達は人魚ってわけだ」
「オレに当たるなよ……。そもそも得体の知れないものを追いかけるのが今回の冒険だろ。諦めるのか?」
「わからーん!」とクーは大声を張り上げた。
それに対して、誰かがなにかを言うことはなかった。クーの言っていた変な予感というのが、また心中渦巻いているのがわかっていたからだ。
そのまま特に誰からの意見があるわけでもなく、滝の流れと共に上っていく魚を手づかみで取って朝ご飯になった。
その後は静かな時間が流れた。クーの感情の爆発により空気が悪くなったわけではなく、個人の時間が流れているので各々好きなことをやっているからだ。
リットはといえばクーのことを考えていた。なにか原因があるのは間違いない。三人との違いは、人間ではなくダークエルフだと言うこと。ダークエルフということはエルフと違って、森を捨てたので太陽神の加護は受けられない。だが、魚も食べているので、それによる体調不良が原因ではない。
他は魔力の器が人間よりも大きいので、周囲の魔力に影響を受けやすいということだ。これは可能性があった。ここの魔力がクーに合わないのだという。
しかし、リットはもう一つ思い浮かんだことがあった。土鳥の卵に夕日の光が当たった時だ。リットは狂獣病を治すのに使った牙宝石のことを思い出していた。あの時は未来のクーと共に謎解きをしたのだが、あの石は月の光に当てることで魔力を持つ。
土鳥の卵にも何かしら魔力が込められているのではないかと考えたのだ。
リットがリュックから土鳥の卵を取り出した瞬間だ。
「うー! がー!」とクーが飛びかかってきた。「これかぁ――変な感じの原因は!!」
リットの予想通り、土鳥の卵は魔力が篭っていたらしく、それをわずかに感じていたクーは様子がおかしかったのだ。
今まで気付かなかったのは精霊の紋章と関係ありそうだったが、リットはそれを言うことはなかった。
「魔力? なんの魔力だ?」
ヴィクターはわかりもしないのに、土鳥の卵をまじまじ見ながら言った。
「熱だよ。太陽の熱でも吸ったみたいに純粋な熱」
「太陽っていや、火の王様みてぇなもんだからな」
ハドも土鳥の卵を熱心に見てみるが、魔力がこもっているのかどうかもわからない。
それは同じ人間のリットも同じだったが、リットは二人とは違うところがある。それは魔女から知識をもらい、ことあるごとに魔力の基礎とは応用とは。と教わっていることだ。
土鳥の卵が文字通り『土』ならば、ハドの言うとおり太陽は『火』に例えられる。土と火という魔力元素を繋ぐのは『乾』という性質だ。土鳥の卵は太陽に乾かされ『熱』という性質を持った。熱は火と風の魔力元素を繋げる性質。しかし、風を起こすにはもう一つ重要な性質がある。それは『湿』だ。熱と湿が合わさることにより、風という魔力元素になるのだ。
つまり、ヴィクターが言っていたように、風になにかあるかもしれないということだ。
リットがそのことを説明すると、ヴィクターが深く頷いた。
「つまりこの石柱は水を移動させるためのものではなく、水をせき止めるために建てられたということだな」
「熱と湿。上昇気流か?」
ハドの言葉を聞いて一目散に駆け出したのはクーだ。今度こそ遅れを取るまいと洞窟の中へ駆け込んだ。
理由は洞窟の中に、土鳥の卵がはめられるような枠があると確信したからだ。
熱という性質になった土鳥の卵が、川の水にある湿と合わさることで、何かが起こるということ。
それは全員が思い浮かんだ。
ただクーの行動がいち早かっただけ。
遅れてリットが洞窟に入ると、すでに積もった枯れ木や枯れ葉がどかされ、クーが鼻の穴を自慢げに広げていた。
「見つけちゃったもんね。あなー」
クーがつま先で指し示す場所には、石で作られた枠があった。カッパーライト城と同じく、土鳥の卵がピッタリはまる大きさで。
クーはリットのポケットに手をつっこんで土鳥の卵を取り出すと、了承も取らずにいきなりはめ込んだ。
が、何も起こらない。
「クー……川の水をどうにかしねぇと。何も怒らねぇだろ」
ハドはバカだなと首を横に振ると洞窟を出ていった。
「あらら……やっちゃった。でも、今回見つけたのは私だかんね。皆覚えておくように。いいね?」
「わかったわかった」とリットが洞窟を出ていくと、クーの飛び蹴りを喰らいそうになった。
「あっ、避けたね!」
「外したんだろ。クーの蹴りを避けられるかよ」
「もう! 風が邪魔すぎるよ!」
「そもそもなんで蹴りを入れられるんだよ……」
「生意気だからに決まってるでしょ。スキあり!!」
クーは再び飛び蹴りをするが、またしても風に流されてしまった。リットを狙っていたはずが、少し斜め後ろの石柱へ。それは見事に命中し、石像にヒビが入った。
クーはやってしまったと「あっ」と声を漏らしたが、もうすでに遅い。
ヒビは水圧の追撃を受けて石柱を破壊したのだ。
しかし、ちょうどよく洞窟に向かって流れ込んだので、クーはほっと胸を撫で下ろした。
「危ない危ない……やらかすところだったよ」
「本当に悪運が強いな」
ハドは大したもんだと笑いながら洞窟へ入っていく。
川は想像とは違う流れ方をしていた。
土に這うことなく宙に浮かぶようにして流れているのだ。それが、土鳥の卵をはめた地面から、真上にに向かって流れていき。再び上る滝を作っていたのだ。
ハドは洞窟に入って見ることは出来なかったが、三人には洞窟からクジラの潮のように噴き出す滝が見えていた。
それもただの逆に上る滝ではない。磨かれた鏡のように反射しているのだ。
水が風に押し出されるのと同時に、現れたものがもう一つ。カッパーライトの古城から発せられた光だ。それが鏡のように反射する滝の側面に当たり、新たな場所へと光で導いているのだ。
クーは珍しく圧倒されたというな顔で「わーお」と驚いた。「これって、もしかして物凄いお宝へと続いてるんじゃない? こんなにワクワクするの初めてだもん」
「同感だ」とヴィクターはクーの背中を思いきり叩いた。興奮してたことにより、力加減を忘れていたのだ。
しかし、同じく興奮に我を忘れ気味になっていたクーは痛みを感じることはなかった。
「なんだなんだ? なにが起こったんだ?」
一人事態を把握できていないハドが慌てて洞窟から出てくると、三人と同じ方向に視線を向けたが、反応は別のものだった。
膝をつき手をつき、まるで絶望を前にしたかのようだった。
「オレが言えた口じゃねぇけど、空気を悪くしてるぞ」
リットの言葉にもハドは振り向かない。うなだれて土を見つめたままだ。
「あと何回これを繰り返すんだってんだよ……」
言われてリットはハッとなった。ヴィクターやクーはどんな過酷な環境だろうが生き抜く術はあるが、リットとハドはそこまでの術はない。
今回はたまたま安全な場所にあったが、次はどこに台座があるのかわからない。
ここまで盛り上がったヴィクターとクーを止められるはずもなく、リットとハドはただ冒険の安全を祈るばかりだった。