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第一話

「旦那ァ……大丈夫ですかァ?」

 ノーラはベッドで眠ったままのリットに言うが、なんも反応はない。指の一本さえ動くことはなかった。

 リットがこんな状態になったのはつい先程のことだった。だが、その前からちょくちょく異変はあった。

 転ぶことは増えたし、階段を踏み外すこともあった。色々あるなかでも一番多かったのが、目測の見誤りだ。

 コップを掴めなかったり、椅子に座れなかったり、距離感がおかしくなっていた。さすがに変だと思い、一度医者のキルオに見てもらったのだが診断は異常なし。

 新種の風邪かも知れないと、原因を探ってもらっている最中だった。

 当の本人は二日酔いが長引いたくらいだろうと思っていた。なので特に店を閉めることもなく、いつもと同じ生活をしていた。

 実際にこんな状況になったのは初めてのことなので、ノーラもどうしていいかわからずに困り果てていると、グリフォンの翼の音が大きく響いた。

 ドアを蹴破るようにして家に入ってきたのは、グリザベルとマー。それにデルフィナだった。

 デルフィナは力なくベッドに横になるリットを見て「遅かったか……」と呟いた。

「こんなになったのはついさっきですよ。ちょっと前までは、具合が悪いなりにも動けてましたから」

 ノーラはリットの体を揺さぶってみたが、返事すら返ってくることはなかった。

「説明している暇はない。とにかく運ぶぞ」

 魔女達がリットをベッドから引っ張り起こそうとしているのを見て、チルカはさすがに何事かと止めた。

「ちょっとちょっと! 目に見える病人になにしてんのよ。いつも悪態をつく口がすっかり閉じてるのよ。どのくらい具合が悪いのかなんて、見てわかるでしょう! 今すぐ手を離さないと殺すわよ!」

「だから話している暇はないと言っただろう! ここにいてはリットが消えてしまう!!」

 グリザベルが物凄い剣幕で言うので、チルカはグッと言葉を飲み込むしかなかった。

「もし、心配ならついてこい。そこで説明してやる」

 デルフィナはリットの足を持つと、グリザベルは脇の下を抱え、マーは下から腰を支えた。一息つく間もなく急足で階段を降りて行こうとするので、ノーラとチルカも慌てて続いた。

「どこに連れていくんスかァ?」

「メグリメグルの古代遺跡だ!」

 グリザベルはいつものグリフォンにリットの体を縛り付けると、ノーラにはもう一匹のグリフォンに乗れと指示し、先にマーと一緒に飛んで行った。

 そして、デルフィナと一緒にグリフォンに乗って飛び立ったノーラとチルカは、改めて今回の話を聞いた。

 まず『メグリメグルの古代遺跡』というのは、ディアドレが精霊と交流を持ったことを書いた『精魔録』が書かれた舞台だ。

 精霊が生まれた場所とも言われている。

 リットをそこに連れていくのは、言うまでもなく紋章が関係していた。異変を最初に気付いたのはデルフィナだった。いつもと違う魔力の流れ。それ自体は稀にあることだ。精霊の生息分布が変わったのだろうと思っていた。

 しかし、おかしなことに魔力は一方向で流れ続けたのだ。魔力は巡り巡るものであり、一方にだけ流れるものではない。そして、それはリットの住む町の方角へと向かっていた。

 デルフィナが住む山がある地方にいる精霊は、リットの家がある場所とは違う精霊だ。それなのに、魔力が向かうのは不自然極まりない。

 デルフィナはグリザベルと相談して、過去にリットがウンディーネと出会った。泣き虫ジョンの滝が出来る湖に向かった。ウンディーネはいなかったが、やはりそこも魔力の流れがおかしかった。

 一大事だと気付くと、デルフィナは最近リットが関わった魔女をグリザベルに集めさせた。

 そこで各々の意見を持ち寄って会議をしたところ。驚くべき事実につながってしまった。

 リットの魂はこの世界から消えつつあると。

 魔力の器が魂ごと何かに引っ張られ、現世に止まれなくなってしまっている。そのせいで、目測の誤りが増えたのだ。このまま放っておくと、リットは魂の消滅とともに体も消えてしまう。

 そこで、魔女達がリットの安全を考えて導き出したのが、リットの魂が引っ張られてる空間へ、リットの体を送り出そうということだ。

「まったく意味がわからないっス……」

「つまりですわ。何者かがリットさんのことを呼んでいるのです。別の世界から」

 シーナはノーラを落ち着かせるように、しゃがんで同じ目線になり話していた。

 メグリメグルの古代遺跡には既に魔女達が集まっており、師匠達が準備をしている間。弟子達が説明の続きを引き受けていた。

「別の世界ってなんなのよ……」

「それがわからないから困ってる」

 マーはどうしたものかと首を傾げていた。

 師匠達の話を立ち聞きしていたのだが、師匠達も混乱していたからだ。なんとか無理矢理結論付けなければ手遅れになってしまうので、一つの仮説を立ててそこに矛盾がないかを徹底的に話し合った後。すぐにリットの元へ向かったのだった。

「最初は杞憂の可能性もありましたが……グリザベル様の話だと、リットさんの土地の魔力の流れがおかしかったので確信したと。シルフと関わってましたから、紋章が原因だということです」

 ヤッカは自分も詳しいことはわからないと、申し訳なさそうな表情で頭を下げた。

「リットの腕は別世界の扉を開く鍵になってる。そう言ってた」

 マーは袖を捲って説明すると、ノーラはリゼーネの迷いの森から死んだ森へ移動する時。リットだけが不思議な水溜りに反応して、移動出来たことを思い出した。

「とにかく聞きたいのは大丈夫なんスかァ。ってことですけど……」

「名のある魔女がこれだけ集まっているのですわ! 大船に乗ったつもりで安心してください!」

 シーナが力強く励ましたところで、デルフィナがやってきて「責任の取れないことを言うな」と叱った。

 それほど危険で予測不可能なことが起こっているのだった。

「ひとまず準備は出来た。あとはリット次第だ」

 グリザベルは送り届けるところを見たいだろうと、ノーラ達を呼びにきた。

「ちょっとちょっと……。まさか、話に聞いてた魔女の白骨化みたいになるんじゃないでしょうね……。いやよ、こんな奴が死んでくのを見てるなんて」

 チルカは最後に悪態をついてみたが、リットが反応することはなかった。

「大丈夫っスよ。旦那はなんだかんだでなんとかしますから。お酒だけ飲みすぎないようにしてくださいね」

「ノーラ……なにのんきなことを言ってるのよ……」

「旦那なら自分でどうにか出来るような気がしましてね」

「その通りだ」とグリザベルが力強く頷いた。「リット。声は出せなくとも、意識が朦朧としても聞こえてはいるだろう。これからお主をどこかへ送り飛ばす。そこがどこかは我らにもわからぬが……その世界にお主がそうなった原因があるはずだ。それを解決してこい。そうすればお主はこの世界へ戻ってこられる。わかったな? 原因を探せ。今は魂と体のバランスが崩れてしんどいが、向こうの世界では治っている。我の言葉を信じろ。わかったな?」

 グリザベルは遺跡の柱を使って作られた魔法陣の中心で寝るリットから離れると、ノーラ達にも離れるように言った。

 柱の数は五本。そのどれもが今しがた建てられたかのような不思議な真新しさがあった。

 グリザベル、デルフィナ、ルードル、クリクル、ボディマの五人がそれぞれの柱に手を触れると、柱が光を放った。

 たった一瞬の光だったが、その間にリットの姿はこの世界から消えていた。



 小鳥のさえずり。木漏れ日。花々の匂い。前髪をくすぐるほどよい風。

 リットが目を覚ましたのは、なんの変哲もない森の外れだった。

 体を起こしてすぐに街が見えた。ぼやける距離だが、歩いていけない距離ではない。

 とりあえずあの街を目指そうと立ち上がったリットだが、なぜこんなところにいるのだと疑問に思った。

 全く見覚えのない森というのは、遠くに見える街の風景でわかる。

 これはもしかしなくても、泥酔してどこか適当に歩いてきてしまったと思った。そうでなければこんなところにいる理由はない。

 二日酔いをしていないのは奇跡だなと、リットは自分で自分を笑った。

 そして、やはり家に帰るためにも、一度街に寄る必要がある。あそこへ行こうと、近くの木に向かって立ちションをしながら決めた。

 妙に軽い体のせいか、リットの足取りは止まることを知らず、ぐんぐんと進んであっという間に街へとついていた。

 街並みは平凡。だが、人通りは多い。

 これはなにかこの街を中心に動いているなと思ったリットだったが、今はそんなことは関係ない。まずは街に帰れなければならないのだから。

「――って思ったんだけどよ。なんでオレはここにいるんだ?」

 リットは注がれたばかりのウイスキーを片手に持って首をかしげた。

「こっちに聞かれてもわからんよ……」ちょび髭の店主は怪訝な顔でリットを見た。「ここらじゃ見ない顔だな……」

「もしかしてお得意様専用の店だったか?」

 リットはこの街の決まりごとでもあるかも知れないと、店の中を見回しながら言った。

「いや、最近は冒険者のたまり場だったからな。ここに来る酒飲みの顔と名前はあらかた覚えちまったのさ。この街には最近来たんだろ?」

「最近どころか、今ついたばっかだ」

「そりゃ、なんともマヌケな話だな……。ここらの『ヒハキトカゲ』は、あらかた冒険者に捕獲されちまったぞ」

「ヒハキトカゲだぁ? なんでそんなものに冒険者が群がってんだよ」

 ヒハキトカゲとはオイルがとれるトカゲのことで、リットの店にも置いてある。

 体内に火袋という器官があり、そこに燃焼性の高い油を蓄えている。外敵から身を守る時に、この油を喉奥から霧状にして吹き出し、火打ち石の様になっている前歯をこすり合わせて発火させる生物だ。

 特に珍しいものではないはずだと、リットは不思議に思った。

「なんでって……おい……冒険者じゃないのか?」

 店主はヒハキトカゲの価値を知らないだなんてと、目を大きく開いて驚いていた。

「んなものになるかよ。一部を除いて、根無し草みてぇな奴らばっかじゃねぇか。噂話という水に流されてばっかりのな」

「違いない」

 リットは店主とひとしきり笑いあったあと、悪い予感がしてズボンのポケットに手を突っ込んだ。こういう時の予感は当たるものだ。お金はまったくもっていなかった。これじゃあ自分が根無し草だ。

 今飲んでるウイスキーの代金も支払えないので、さすがにマズイと思ったリットだったが、次々に客が入ってきて陽気な雰囲気に包まれると、酔いが回ったのと合わさって、悪い癖が出てしまった。

 後のことは後で考えようと、酒のおかわりを注文したのだった。

 二杯も飲めば、この酒場の雰囲気にも打ち解け、リットは冒険者の自慢話に加わっていた。

 内容はヒハキトカゲを何匹捕獲したかだ。

「見ろよ。オレは三匹だ。焦げた髪も勲章だな」

 冒険者の一人が焦げた髪と、カゴに入ったヒハキトカゲを自慢気に見せた。

 ヒハキトカゲはタオルを咥えさせられており、歯を打ち鳴らして火が吐けないようにされていた。

「オレは一匹だけどな。見ろよ、この大きさを。火袋もさぞ大きいだろうよ」

 もう一人の冒険者は、倍の大きさもあるヒハキトカゲを高く掲げて自慢した。

「つーかよ、なんで今ヒハキトカゲなんだ? オイルの新しい使い道でも見付かったのか?」

 リットがウイスキーを一口飲んで言うと、周りの冒険者はざわついた。

「なんでって……なぁ?」

「ああ……。ついこの間だろ? ヒハキトカゲのオイルを取り出す解体の仕方が知れ渡ったのは?」

 冒険者はリットを世間知らずだという目で見ていたが、リットは逆に同じ視線をお繰り返してやった。

「解体だぁ? あんなもん入れ替わり時期に勝手に吐き出すだろ。山火事が起こる原因を知らねぇのか?」

 リットの言葉は、一匹も取れなかった冒険者の自虐のジョークだと受け取られて笑われてしまった。

「ケツに火がついてるのはそっちだろ? 一匹も取れなかったんじゃ、ひとこと言いたくなる気持ちはわかるけどな」

 冒険者の一人が大笑いを響かせると、残りも続いて笑った。

 それは嫌味な笑いではなく、気持ちのいい笑いだった。

 そして、また別の席で自慢が始まると、皆今度はそっちへ参加しようとこぞって移動していった。

 リットの横にいるのは一人の男の冒険者だ。じっとリットを見ていた。

「なんだ? ジョークは終わった。それでいいだろ?」

「いや……どうも。話がしっくり来すぎてな。うちの故郷は山火事が多いんだ。そこら辺にオイルを吐かれているなら、ちょっとしたことで火事が起きる。今の話が本当なら、オレは故郷に帰って、対策と一儲けができる。なぁ、他に知ってることはないか?」

 男は頼むから教えてくれとリットの手を握った。

「本当に知らねぇのか?」

 リットは少し考えてから、ヒハキトカゲの唾液と火袋の中の油を合わせると、オイルが長持ちすることを教えてやった。

「まさか……でも、言われれば納得だ。口の中を火傷しないように、粘着性の唾液に守られている。それが火を消してしまうような普通の唾液だったら、ヒハキトカゲなんて呼ばれないもんな!」

 男は一世一代のチャンスだと、着の身着のままで故郷に帰ろうとした。

 しかし、握っていた手は、今度はリットに握られており、離れることが出来なかった。

「情報ってのはタダじゃねぇんだ。酒の二杯でも奢るのが普通だろ」

 リットは自分の酒代を男に払ってもらうと、手を離して送り出した。

「あんな情報で酒二杯か……。儲けたんだが、儲け損ねたんだがわからねぇな……」

「どうだろうね……私なら。もっとふっかけるね」

 という女の声が静かに――だが良く響くと、酒場の喧騒が止んだ。

 皆女の方を見て、『今日も現れた……』という顔をしている。

「だって、本当なら安すぎるし、嘘なら君は世界一の詐欺師になれるよ。あんなよく出来た嘘は思いつかないもん」

 最後に「ね?」と首を傾げて笑みを浮かべる女性の顔。その顔はリットがよく知った顔だった。

「クー? なんだ……ちょうど良かった。どうしようか困ってたんだ」

「はい?」

「さては……あれだな。オレが寝てる隙に、あっちの世界を通ってここに連れてきたんだろ。びっくりさせんなよ……。酒でも奢ってもらわなけりゃ割に合わねぇよ」

 リットがクーの肩に馴れ馴れしく肘をついた時。

 周りの冒険者は「このっ! バカ!」と一斉に止めようとした。

「ほほう……このクー様を軽々しく口説こうだなんて、よっぽど自分に自信のあるおバカさんか、それかヤケになったおバカさんだね。もしくはただのおバカさんか」

 クーはにやりと笑みを浮かべると、面白いことになるよと周りの冒険者を煽って、この場を盛り上げろとそそのかした。






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