俺とクロネコ
俺は仕事に疲れ果てていた。
そこに現れた一匹のクロネコ。
その中が現れて、次第に笑顔を取り戻し。
大人の優しい童話です。
『疲れた』
最近はこの言葉ばかり、何かの呪文のように呟いている。
俺は片道2時間、電車に揺られ仕事というものをしに行くサラリーマンだ。
職種は新人教育。
だが、そんなことはどーでもいい。
俺が今気になっているのはそんなことではないのだ。
帰り道に昔好きだったギターをなんとなく楽器屋に見に行った。
昔というか、今よりも若かった頃。
欲しくてたまらなかった黒いレスポール。
今なら買える。
そう、たしかに買えるのだ。
だが、俺は手に取りもせずに眺めるだけで帰ってきてしまった。
疲れてるのだ。
試しに弾くとか、店員とのやり取りも、ましてや買うと決めるとか疲れていてできない気がした。
その帰り道に、会った?見つけた?
クロネコ1匹。
俺は今このクロネコに夢中だ。
野良猫なんだろーか?
首輪もしないで家の前をうろついていた。
ウチの前は、車通りも多いので、車に跳ねられたりしたらイヤだなと思い、抱き上げて家の中に入れた。
子猫ではない。
もう大人ネコだ。
このクロネコに俺は今夢中なのだった。
俺の家族は今、妻だけだ。
子供たち2人はもう、仕事を始めて一人暮らしをしている。
妻とは仲がいいと思う。
仕事から帰ってくれば、妻が作ったご飯が待っているのだから。
クロネコは俺たち夫婦になついた。
そのなつき方が、小さな頃の子供たちのようで可愛くて俺たちはスマホで写真を撮ったり、やったことのないFacebookをようやくやってみたり、とにかく夢中になった。
このクロネコがきて、1番喜んでいるのは妻だった。
ある日、その理由を聞いてみると。
『あなたとの会話が増えて嬉しいのよ』と、少し恥ずかしそうに自白した。
俺たち夫婦はこのクロネコに、ブラッくんと、名前をつけた。
真っ黒なオスのクロネコにピッタリな気がした。
ブラッくんの写真を撮ったり、動画を撮ったりした。
そして、ある休日の日、なぜかわからないけど。
妻を連れて都内の楽器屋に車で行った。
『ギターを見に行こうと思って。見に行くだけだよ。買わないから。』と、言い訳めいた言葉を何度も妻に言った。
妻は、笑って買ったらいいのに。と、そのたびに返事した。
楽器屋には、お目当ての黒いレスポールがライトに当たり飾ってあった。
お値段、38万円ほど。
高いが、買えないほどではない。
だが、趣味で買うにはもったいないかなと悩んでいた時、妻がこう言った。
『あの黒いギター、ブラッくんのようね。丸くて黒くて。このギターいいんじゃない?ブラッくんと、名前をつけて可愛がったら?』と、俺が欲しいギターを指差してこう言った。
俺はそのブラッくんギターを試し弾きさせてもらい、その音にすごく満足して、購入することに決めた。
帰り道に、こんな曲弾けたらかっこいいなって妻と車の中で笑い合い、クロネコのブラッくんが待つ家に急いだ。
帰り道は妻に感謝のつもりで、ファミレスで夕ご飯とパフェを食べた。
妻は『美味しい!美味しい!』と、ずっと笑っていた。
帰るとクロネコのブラッくんに弾いてみせた。
指がまだ柔らかく、弦を押さえきれなくて変な音になった。
きっと、クロネコのブラッくんもギターのブラッくんも笑っていたと思う。
なぜなら、俺たち夫婦も、笑っていたのだから。
それから、1週間後。
妻が頭痛で行った病院で入院になった。
検査入院だった。
なんでも、造影剤を頭の血管に入れて検査するそうだ。
俺は『大丈夫だよ』と、妻に言いながら心の中ではアタフタしていた。
検査の結果は、もやもや病だった。
手術が必要となり、妻は手術の準備をして再入院した。
ギターは弾かれなくなった。
誰も笑わなくなった。
いや、妻だけが笑っていた。
『ここの病院のご飯は美味しいのよ』
『今日、病院のカフェでカフェオレ飲んだのよ』
俺は早く仕事から帰るようにさせてもらい、帰りに妻のお見舞いに毎日行った。
妻の手術は朝早く始まった。
ずっと終わるのを病院のデイルームで待った。
8時間かかり、手術は無事に終わった。
集中治療室で1番最初に妻が言ったのは
『ギター、弾いてる?たまには弾いてね』だった。
ホッとして家に帰り、ギターを手に取った。
なんだか、弾いてるうちに泣けてきた。
そして、ラブソングを何曲か弾きながら泣いていた。
すると、ブラッくんがスリスリと甘えてきて、俺はブラッくんを抱き上げ手術が成功したこと。
そして、ありがとうと言った。
仕事だけだった俺が会社を早く終えて、妻のお見舞いに行けたのがブラッくんのおかげのような気がしたのだ。
そして、また、つたないラブソングを2曲くらい弾いた。とても、聴けたもんじゃなかったが、なんだか愛の塊になったような、愛情で胸いっぱいだった。
それから、ブラッくんは消えた。
2週間後、妻が残念がっていたが。
そして、寂しげに笑いながら、こう言った。
『あの子は愛情を思い出させてくれる子だった。どこかの家に愛を配りに行ったのかもね』
俺はまた仕事で忙しくなった。
しかし、『疲れた』とは言わなくなり、毎日ギターを弾いて歌っている。
最後まで読んでくださってありがとうございました!