赤色まぶし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらやくん。点滴終わったかい?
私は全然だねえ。注射もあまり好きじゃないけど、それ以前に血の質の方が心配さ。寝不足だし、食事は乱れまくりだし。こんな血を摂ったりした日には、かえって命取りになると思うよ。
しかし、相手の血で自分の血を補うって、考えてみるとすごい発想だと思わないかい? ケガなどで外に流れ出る血。それを他者からでもなんでも、補うことができれば体を動かすことができる。初めて気が付いた人、かなり過酷な経験をしていたんじゃないかな?
それに私自身、自分の血をめぐって不思議なことを体験したからね。血を提供することに、ちょっとした抵抗があるんだ。
――なんだい、興味があるかい?
それじゃ、そのときの話をしようか。
私が自分の家に、家族の血液が保存されているのを知ったのは、小学校の高学年に差し掛かったときだったか。
家の戸棚には、砂糖入れと各種常備薬が同じ場所に入れられていてね。シュガーポットを取り出すとき、巻き添えを食らった薬の袋がいくつか、床へ落ちてしまったんだ。
転がる薬の容器たち。袋から転げ出たそれらのうち、私の名前の張られたものが見つかって「おや?」と思ったんだ。
当時の私は、病院に通っていない。それにこの容器そのものが、信玄餅の蜜が入っているものにそっくりで、薬局などで用意してくれるものではないような気がしたんだ。
そして、その中身というのが赤黒くそまった血のかけらだ。
よくかさぶたをとったり、鼻血が固まったりするときにこぼれ落ちるものがあるだろう? あれとそっくりのものが、口に近くまでびっしり詰まっている。
血液そのものもいれたのか、底に近いところには赤い液体もこびりついていた。私は思わず、顔をしかめる。
確かにこれまで、かさぶたをはがしてしまった経験はあるし、血を流すケガだって何度もしたことがある。けれども、まさかそのとき流したものが、ここに入れられているというのはどうにも信じがたい。
いたずらか何かだろう、と私は断じる。自分の名前を書いたシールが張られているのはいい気がしないが、元のようにこぼれた袋の中へ戻してやる。
袋には、私のものと同じような容器がいくつか入っている。のぞきみただけだが、どうやら家族全員の分があるようだった。
その日の晩。私は夕飯の片づけが終わった母親に呼び出される。
尋ねられたのは、あの薬の袋の件。昼間の間に動かしたかどうかということだった。
ぱっと見は問題なく戻したはずなのに、細かいところまでチェックされているとは、私としても意外が。素直に認めると、ひとまず夜が明けるまでは、そのままにしてほしいとお願いされる。
そこまで念を押されると、私のほうが気になってくる。理由を尋ね返すと、そろそろ「まぶし」の時間がやってくるのだとか。
「私らの住んでいるところは、死者がたまりやすいという言い伝えがある。すでに四十九日を過ぎても、何かしらの事情でこちらにとどまっている人たちがいるんだよ。
そのうちの理由のひとつが、血の化粧が足りないから。亡くなったとき、失血によって命を失いすぎると、生者どころか死者としてすら、認識されないことがあるのさ。
よく儀式とかでは、血を使うと効果が増すって聞いたことないかい? 血が足りないと、他の血が足りている奴らに押しのけられて、行くべきところへ行けなくなってしまう。
だから、あたしたちの血を貸してやるんだ。中にないなら、せめて外から。顔に塗りたくって血がたくさんあるように見せかけるんだよ。
ちょうどこんな、生暖かい夜にはね」
母親の話を、冗談半分に聞いていた私。
どちらにせよ、家族の流した血を保管しているというのは本当臭かった。自分のものに限らないとなれば、協力者がたくさんいるのは疑いない。
しょせんは迷信だろ、と私はいつも通りの夜を過ごして、布団に潜り込んだんだ。
ところが、日付を回るころになって、急激にお腹がすいてきた。夕飯はしっかり食べたはずなのに、腹の虫がなって仕方ない。
台所で、ちょこっとおかずの残りでもつまむか、と上着を羽織って私は階段を下りていく。
あまり食べてしまうと、翌朝に母親が作ってくれるお弁当のおかずが減ってしまう。昨日のおかずの残りを、温めなおして弁当に詰めることが多いからだ。
足音を忍ばせながら階段を降り切る私だけど、ふと台所から断続的に、紙の袋を揺らすような音がする。
真っ先に思い浮かべたのは、ゴキブリだ。あいつらが何かの上を這うときに、その足元でかさかさと音がたつ。そのときのものにそっくりだったんだ。
どうしてじかに目にすると、あいつらに嫌悪感がわくのだろう? 明かりをつけようかつけまいか、一瞬迷った。あいつらを視界に入れたくないのはやまやまだが、知らずに踏みつけたり、あまつさえ手で触ったりしたときの感触は、想像するだけで吐き気がしてくる。
私は明かりをつけることにしたんだ。
とたん、私の鼻を強烈な臭いがつく。
さびた鉄のような臭い。これまでも嗅いだことのある、血液の臭いだ。
がたんと、ひとつだけ椅子を大きく揺らす音がしたかと思うと、私の顔を真正面から何かが通り抜けていった。
風のようにも思えたが、私の顔面へ確かにぶつかってきたものがある。べっとりと私の顔を濡らし、あごから垂れんとする粘り気に富んだ液体。まばたきするたび、まつげ同士さえくっつきそうになるそれは、今も私の中を流れているだろう、赤黒くて黄色みを帯びたものだ。
洗面所に飛び込んだ私は、自分の目をのぞいて、顔面が全体的にたっぷりと血で塗られているのを見る。しっかり洗い落として戻った先には、玄関外へぽつぽつと、ヘンゼルとグレーテルのまいたパンのように続く、赤い斑点の姿があった。
台所には、あの血液の入った容器が散らばっている。自分の分と、私に塗った分でしっかり使い切ったのだろう。いずれも容器の底に赤い色がわずかに残るだけで、口からじかにこぼれているものはなかったんだ。