6 苛立ちの疑問
『クラス対抗二人三脚リレー 立花桃火』
黒板にでかでかと書かれた種目名の隣の参加者の1人に自分の名前を見つけて、桃火は開いた口が塞がらなかった。
「……まじかー」
目をこすって先程より鮮明に見えるようになった自分の名前を脳内で反芻して、桃火は思わず溜息をつく。
そんな時、桃火を呼ぶ声が一つ。
「あ、桃火くん。ごめんね、勝手にメンバーに入れちゃって」
「……委員長、俺の記憶が正しければ去年のリレーは運動部が占拠してた気がするんだけど」
正確にはリレー以外の他の競技もなのだが、ちらりと黒板を見てみれば他の種目の参加者にも見慣れない名前がちらほら。どうやら今年から何かが変わったらしいことはすぐに理解できた。
奏はそんな桃火の思いに答えるようにすぐに頷いて、
「うん。去年はそうだったんだけど、今年から全員が活躍できるようにっていうことで、1人の生徒が参加できる種目の数が制限されちゃったの」
「……まじかー」
先程の竹田が言っていた予想が当たる形になり、桃火は授業をサボった事を少しだけ後悔する。とはいえそんなことをしても事実は何も変わらない。桃火はすぐに顔を上げると奏に尋ねた。
「俺が出る種目って変えることできる? リレーだと多分俺足引っ張っちゃうからさ」
足を引っ張ってしまうという危惧と共に体育大会に対するやる気を匂わせた一言。
できれば楽な種目がいい、と桃火が内心で願うが、それとは裏腹に奏は桃火の肩を叩くと、
「大丈夫! 私も運動苦手だけどリレーに出るし、桃火くんって去年補欠だったでしょ? なら今年こそは体育大会を楽しまなきゃ!」
「え、あ……はい」
皮肉でも嫌味でもない、百パーセントの善意をたたえた瞳で迫られて、桃火は思わず頷いてしまった。委員長ってこんな性格だったのか、と少し意外に思う。
というか、と桃火は一旦思考を止めた。
「雫さんはどこに入れたの? 来週の月曜から復帰するんだし、入れるんだよね?」
雫が来週から登校する事を今朝担任から言われたのはまだ皆の記憶には残っているだろう。
予想通り、奏は首を縦に振った。
「うん、雫さんも入れるよ。でも本人の意見も聞きたいから、来週の月曜日に雫さんに聞いてから決定するつもり」
じゃあ俺が参加する種目をなんで勝手に決めたんだ。
そんな事を言いそうになって桃火は慌てて口をおさえる。確かに勝手に種目を決められたのは不本意ではあるが、元はといえばサボりを決め込んだ桃火の責任である。奏は桃火が本当に体調不良で保健室に行ったと思い込んでいるのだろうが、それを込みにしてもこれ以上桃火は文句を言う気は無かった。
奏とわかれて自分の席についた桃火は、このやり場のない感情を食で発散しようと机脇にかけていた鞄に手を突っ込む。鞄から出てきた右手には消費期限ぎりぎりの市販のサンドイッチが握られている。
いつもなら正河がいるのだが、今日は違うクラスに行っているようで桃火の周りだけ人口密度が低い。
クラスを一度見渡してそう判断した桃火は、サンドイッチの封を切りその中のサンドイッチを掴もうとして、
「つかさ、あの吸血鬼って運動できんの? 留年してるし、足引っ張られても困るんだけど」
そんな言葉が偶然に耳に入ってきて、桃火は動きを止めた。
一度サンドイッチを置いて制服のポケットからスマホを取り出す。椅子の背もたれに背中を預けながらそれとなくクラス全体を改めて見渡す。しかし先程の声である程度の場所は掴めていた。
窓際の桃火に対し、その反対の入り口側の席。いつも女子生徒のグループが集まっているエリア。
声の主はそこのリーダー的存在の女子生徒だった。
桃火が名前を思い出そうと脳内で候補を列挙している中、その女子生徒達の会話は更に続いていく。
「確か、来週から来るんだよね? 入院してたって話だし、運動はできなそうかなぁ」
「やっぱ今年は去年よりいい成績にしたいしさ、運動できないなら補欠に回って欲しいんだけど、ルールがねぇ」
「あー、香織って最後までルール変更反対してたよね」
その一言で、声の主が藤原香織である事をやっと思い出す。
桃火の記憶が正しければ、香織は去年の体育大会で最多の3種目に出場してそのどれもが優勝とまではいかないが高成績で終わっている。
確かに、運動できる彼女からしたら今年の体育大会のルール改正はただの枷でしかないだろう。
香織が椅子の前脚を浮かせながら呟く。
「あーあ、いっそのこと体育大会の後に来てくれたらなぁ」
そんな香織の言葉に、周りの生徒が笑う。そこには肯定も否定もない。
香織自身、悪気はないのだろう。そうなって欲しいという願いはあるのだろうが、雫本人を嫌っているわけじゃない。このルール改正自体を彼女は嫌っているのだ。
「……と、と」
そこまで考えてから、スマホを握っている右手に予想外の力を入れていた事に気づき慌てて力を緩める。
(意味のない事はするな。分かってるだろ)
自分にそう言い聞かせてサンドイッチを頬張る。
確かに、先程の女子生徒達の会話には言い返したところがいくつかある。
しかし、意味がない。桃火の反論にあの女子生徒達は耳を貸さないだろうし、そもそも興味さえ持たないだろう。
雫は留年したんじゃなくて休学していただとか、そもそも雫という名前を知っているのかだとか、吸血鬼ではないだとか、ここ数日で分かった事実を全部抑えて無視するのがこの場での最適解だ。それは桃火が一番理解している。自覚のない悪意を相手にしたところで得られるものは何もないのだから。
ただ、それでも。
「……なんでだろうなぁ」
自分は案外お人好しなのかもしれない。
最低限の人付き合いしかしてこなかった自身の新事実に、桃火は誰に向けるわけでもなくため息をついた。
展開が早い気がしますがあしからず。




