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恋と打算と吸血鬼  作者: 吾亦紅
21/23

20 強がりの先に

 桃火が雫の前に姿を現したのは、決勝戦が始まる直前のことだった。


「遅いよ」

「ごめん、居眠りしてたら遅れた……って、雫さん? どうかしました?」

「い、いや、なんでも……」

「……?」


 妙に目を逸らしている雫を見て桃火が香織へと視線を送る。しかし香織は知らんと言わんばかりにその視線を手で払った。意味がわからない。

 結局試合が始まるまでに雫の態度の理由は分からず、香織率いるチームはいよいよ決勝戦が行われるコートへと並んだ。

 審判の合図で挨拶を交わすと、観客席から歓声が上がる。1日目の最後を飾る試合とあって、生徒達の熱気も最高潮に達している。

 しかしそんな中でも、桃火の具合の悪さが回復することはなかった。


(気を抜くと倒れそうだ……)


 体を包む倦怠感、寒気、揺れる視界。間違いなくバレーができる状態ではない。

 体育大会のバレーの試合は先に20点先取したチームの勝ちとなる。桃火はその20点を取り終えるまで、自身の体調不良とも戦わなければいけなかった。

 ホイッスルが鳴ると同時に、桃火は揺れる視界と呼吸を無理やり整えて構える。

 恐らく初心者であろう相手チームの選手が覚束ない手つきでボールを上げる。バレーの練習を始めたときの桃火のような不格好な音が響いた。


「雫」

「分かった」


 ネットを越えて飛んできたボールを雫が余裕をもって受け止める。そして彼女の腕から上がったボールを更に香織がネット前にあげると、既に準備していた正河が跳び上がると同時に勢いよく腕を振るった。


「ぃよいしょぉぉ!」


 そんな気合いと共に放たれたスパイクは相手チームの手をすり抜けて、体育館の床にボールが叩きつけられた。

 このチーム内でできる最高の連携にチーム内外から歓声が上がる。


「よっし! 今日は調子いいぜ!」

「分かったから。ほら、正河のサーブ」


 とはいえ、まだ一点取っただけだ。これをあと19回繰り返さなければいけない。


「よーし、いくぞー!」


 正河の元気な声と共にサーブが上がる。

 コートの真ん中に落ちたボールを相手チームの選手が上げ、そのそばにいたリーダーらしき男がネットの前にボールをあげる。

 先程の香織チームと同じ動き。ならば次は、


「桃火! そっちくるよ!」


 香織の叫ぶと同時に、上がったボールに相手選手の1人が跳び上がった。


(正面……!)


 スパイクを正面に受けたことは何回かある。

 だから桃火はその時の経験を活かして咄嗟に構えた。だが、


「あっ……」


 ぐらりと視界が揺れる。それは桃火の体調が更に悪化したことを意味していた。

 体勢がずれ、相手チームから放たれたボールは桃火の腕を掠めて運良くコート端にいた正河の腕に引っかかる。


「香織頼むぞ!」

「わかってる、よっ」


 正河があげたボールを香織が相手コートに返すと、丁度初心者らしい生徒の頭上に落ち香織チームに一点が追加される。

 再び歓声が上がる中、香織は桃火に近寄ってくるとその耳元でさりげなく囁いた。


「大丈夫?」

「……はっきりいって大丈夫じゃない。でも、この試合が終わるまでは持たせる」

「……そ。取り敢えずあんたはボールを上げるのに集中して。攻撃は私達がやる」

「ありがとう」

「別にあんたの為じゃない。優勝までは付き合ってもらうから」


 雫の前でかっこいい所見せたいんでしょ?

 そう付け足して香織は所定の位置へ戻っていく。

 大きく息を吸う。歓声がどこか遠くから聞こえるのは意識が朦朧としているからだろうか。


「……よし」


 自身の両手で頰を叩く。じんわりとした痛みが今は眠気覚ましとして働いてくれる。

 香織の協力のもと桃火は雫をクラスへ復帰させることに成功した。ならば次は桃火が彼女の願いを叶える番だ。

 相手チームがサーブを打つ構えを見せる。

 これから何十回も見るであろう光景を前に、桃火は意識をボールのみに集中させた。


 〜〜〜


 試合は淡々と進んでいった。

 どちらかが点差をつける訳でもなく、点を取られては取り返される試合。

 そんな一進一退の展開が続き、やがて20点まで両チームあと1点のところまでもつれこんだ。


「桃火、次サーブ」

「ああ、うん」


 香織の手から緩い軌道を描いて落ちてきたボールを桃火が掴む。

 桃火の体調は、幸運にも試合当初の状態を保っていた。理由としては香織がそれとなく桃火を気遣ったプレーをしていたからだろう。


「…………」


 ホイッスルが鳴ると同時に桃火はボールを自分の目線と同じ高さに上げる。

 優勝まであと一点。デュースはない。どんな結果であれ、この桃火のサーブで決着がつくのだ。

 震える足に力を入れる。以前身体中は異常だらけではあるが、サーブするだけの力はまだ残っている。

 観客でさえ固唾を飲んで見守る中、桃火は緊張が解けたその一瞬を縫ってボールを上げて、打った。


 その時の桃火のサーブは、練習で覚えた要素を全て備えた模範的なサーブといえた。その証拠に、そのサーブはネットを越えて相手チームの1人の選手の腕にまで届いたのだから。

 だが、この時、


(くそ、今かよ……!)


 そのサーブが引き金のように、桃火が無理やり押さえつけていた緊張だとか体調不良だとかが、音を立てて彼の心の中から溢れはじめた。

 思わず膝をつきたくなるのを桃火は懸命にこらえて自身が打ち出したボールを睨む。


「……桃火くん?」


 最初にその異常に気付いたのは雫だった。

 こちらに顔を向けた雫に、桃火は手を前に出してその動きを制す。

 勝つか負けるかの瀬戸際で余所見は致命的な結果を招く。そしてそれに呼応するかのように鋭い声が響いた。


「雫! 前!」

「――っ!」


 香織の声に雫が即座に前を向く。

 この時、目前に迫っていたボールを正河の方へ打ち返したのは雫の能力の高さ故だろう。


 わき上がる歓声と共にやや不格好な軌道でボールが上がると、正河はすぐにボールの落下地点を予測し、そのまま相手コートに打ち込もうと地面を蹴る。


「ふっ……!」


 見慣れた正河の跳躍。寸分の狂いなく正河の右手にボールが来る。そして、ボールを相手コートに幾度となく沈めてきた正河のスパイクがネットを越えようとして、


「なっ……!?」


 直後、正河の口から初めて動揺が漏れる。そしてそれは、桃火を含めた他のチームメイトも同じだった。

 正河の前のネットの、その奥。恐らく相手チームで一番背の低い選手。当然ながらガードなんてできるはずがない、と思っていた。

 しかし結果は、最後の抵抗と言わんばかりに彼が伸ばした手が正河が放ったスパイクを止めていた。

 ばん、という音とともにボールが跳ね返り、香織チームのコートに降ってくる。そしてその先は、不幸なことにチームの中では一番の初心者である女子生徒がいた。

 ありえない結果に香織さえも硬直してしまいカバーに入ろうにも間に合わない。


「きゃっ……!」


 思わず目を瞑ってしまった女子生徒の手にボールが当たり、コートを越えて更に後ろ方へボールが飛んでいく。

 敗北。そんな二文字が頭に浮かぶ。

 この距離は正河でさえ届かない。そして今宙を舞っているボールが床につけば相手チームの勝利だ。

 誰もが不可能だと無意識に断じた、その瞬間、


「間に合え……!」


 体調不良が故に正河のスパイクがブロックされた時も比較的早く動揺から立ち直っていた桃火が、今まさに床につきそうなボールにあと数メートルの場所まで肉薄する。


(あと少し……!)


 うまく動かない肺に必死に酸素を取り入れながら走る。仮にここで負けてしまえば、香織との約束を破る以上に、先程ボールを弾いてしまった女子生徒が責任を感じてしまう。

 雫と同じようにはさせたくなかったのだ。


「桃火! 頼む!」

「桃火!」

「桃火くん!」


 声援を背に受け、桃火は最後の力を振り絞ってボールの下に滑り込んだ。そして、


「届けよ!」


 そう叫んで、あかじめ用意していた右足でボールを蹴り上げた。


「いっ、てっ……!」


 桃火はその勢いのままに観客の中に突っ込むと、やがてその奥の壁に背中をぶつけて勢いよく咳き込んだ。


(勝った、か……?)


 体の力が抜けていく中、観客の悲鳴とも歓声ともとれる音が桃火の体を打つ。今頃コートでは各チームが一喜一憂しているころだろうか。

 狭くなっていく視界の中にこちらに駆け寄ってくる影を見つけた気がしたが、桃火は限界と言わんばかりに今度こそ意識を手放した。

明日は投稿できるか分かりません。

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