16 出来る限りの成果
体育大会当日、桃火の姿は雫の自宅の前にあった。
その理由は言わずもがな、約束を果たすためだ。
「……おはよう。二週間ぶりかな」
「まあそれくらいですね。おはようございます、雫さん」
運動着姿の雫に挨拶を返した桃火は早速学校に行こうと踵を返すが、右腕を掴まれてその動作の停止を余儀なくされた。
雫の顔を見る。そこには心配そうな顔が浮かぶ。
「無理はしなかった?」
「無理してたらここに来てませんよ。強いて言うなら全身が筋肉痛になりましたけど」
「筋肉痛……?」
数日前の香織との練習の影響は、未だに桃火の両腕を苛んでいる。
湿布を貼った腕を運動着越しに撫でながら、桃火は雫を外に誘った。
「じゃあ行きましょう。開会式もあるので」
「う、うん……」
見たところ雫の準備は整っている。その予想通り、桃火の言葉に頷いた雫は靴を履いて外に出ようとして、
「……ごめん」
「いえ、ゆっくりで大丈夫ですよ」
ずっと離れていた場所にもう一度行く。それはかなり勇気のいる行動だ。
当日までにどうにかすると桃火が約束したとはいえ、本人にとってはその約束が履行されているのか分からない。しかし桃火も学校に着くまでそれを言う気はなかった。だから雫の気分が落ち着くのを待つことにしたのだ。
雫の足がゆっくりと前に出る。白い髪が太陽の光を受けて煌めく。久しぶりに受けたであろう日差しに目を細めながら雫の手が扉から離れた。
ばたん、と扉が閉まる。
自身の手を胸の辺りに持っていき、ゆっくりと深呼吸する。
二、三回それを行ってから、雫は桃火の方へ改めて顔を向けた。
「……行こうか」
「はい」
〜〜〜
雫のゆっくりとした歩みに合わせて桃火が学校に到着したのは、体育大会の開会式が始まろうとしている頃であった。
校舎の窓から体育館に移動している生徒達の姿を確認しながら、桃火は手早く靴を履き替えていつもの道を進む。
階段を上りながら、桃火は隣を歩く雫を見る。その表情は少しだけ固い。
「もう少しゆっくり行きますか?」
「い、いや、大丈夫。開会式ももうすぐみたいだし、早く行こう」
そう言う雫の表情に余裕は見られない。それでも大丈夫と答えたのは、ここまで来たらもう戻れないと悟ったからだろうか。
「…………」
しかしいくら考えても本当の気持ちなんて分からない。だから桃火は行動で示すことにした。
右手で雫の左手を握る。ぴくり、と左手が少し跳ね、やがて雫が遠慮がちに桃火の方を見てくる。
「急ぎましょう」
「……うん」
「教室についたら離すので安心してください」
「へっ? あ、ああうん、そうだね」
慌てたように雫が頷く。
少しだけ緊張が解れたらしい彼女を見て、桃火は少し安心しながら雫の手を握って階段を上り切った。
教室へ続くいつもの道を歩き切り、いつもより大きな喧騒が伝わってくる教室の前へ辿り着く。
桃火は握っていた雫の手を離し、教室の扉の取っ手を掴む。
「いきますよ」
「……うん」
頷く雫を確認してから、桃火はゆっくりと息を吸う。
そして若干の緊張を含んだ右手に力を込めると、いつもより少し重く感じる扉を開け放った。
直後、教室にいた生徒達の視線は一瞬だけ桃火に向き、その隣にいる雫に焦点が合った途端、教室内はしん、と静まり返った。
登校してくるとは思っておらず驚いている者、少数派だが来たか、と思っている者。
ぐい、とクラスメイトには見えない位置から雫が桃火の運動着の裾を握る。その姿を見て少し苦笑しつつ桃火は慣れた足取りで教室内を歩くと、一人の生徒の席の前に立った。
「おはよう、香織さん」
「ん、おはよう。雫もね」
「う、うん。おはよう……」
「そんなに緊張しないでよ。今日同じ種目に出るチームメイトなんだし」
「う、うん……」
ややぎこちなく返答する雫。その時、丁度頭上から開会式の開始を予告するアナウンスが流れる。
香織は立ち上がると、桃火の横を通り抜けて雫の腕を掴んだ。
「もう開会式か。じゃあ行こっか、雫」
「へ? あ、あの……」
「はーい、開会式なので移動してくださーい」
説明を求める雫の声も奏の声にかき消される。
何がなんだか分からないと言わんばかりの表情をこちらに向ける雫に、桃火はひらひらと手を振るだけで答えた。
展開が早いと思った人。そう、私です。
香織の指南から体育大会当日までの描写は書き切れないと判断したので斬りました。ちょこちょこ解説を挟んだりしていきますので最後までお付き合いください(二回目
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