15 指南
当然ながら、打算で生きてきた桃火にとって人脈というものは無いに等しい。とはいえ、香織に手伝いをして貰う為にも桃火は最低限戦力になるくらいバレーの腕を上げなければならず、その際にバレーの練習相手として同じ種目に出場する正河に白羽の矢が立ったのは当然の帰結であった。
「おーい、そっち行ったぞー」
「分かってる。……あ」
丁度手を挙げた位置にボールが来たのにも関わらず指を掠めて床に落ちたボールを見て、正河がこの日何回目かのため息を漏らした。
「だーかーらー、ボールが来たらこう、ふわっと返せって」
「お前を練習相手に選んだのは俺だけど、お前教えるの下手だろ」
桃火から見て、というか誰から見ても、正河は天才といわれる部類に入る。
手本を見ればそれと同じくらいの事はすぐに出来るし、問題をカバーできるほどのフィジカルを持っているのが正河という男だ。
故に感覚で物事を覚える彼にとって人に教えるという行為は苦手としているようで、彼が教える側に回るとまるで幼稚園児を相手にしているような気分になる。
「お前はそれなりに体力もあるし、慣れれば直ぐに即戦力になれそうだぞ」
「それ前にも言われたよ。俺の場合はその慣れがいっこうにこない事が問題なんだ」
「うーん……、お前ってこの昼休み以外にも、家とかでも練習してんだろ?」
「そりゃあな」
バレーが苦手な以上、毎日練習を重ねてどうにか克服していくしか道はない。そして不器用な桃火にとって、昼休みだけでは練習時間が足りないのだ。
しかしそれで成果が出ているかと言われれば別問題な訳で。
「もう木曜日なのに上達してないのは少し心配だな……。どうする? いっそのこと俺が全力でお前にサーブを打つか?」
「お前の全力は洒落にならないからやめてくれ」
練習初日に「加減するから」といって正河から放たれたサーブが、桃火から腕の感覚を奪った出来事は桃火の記憶に新しい。
全力で拒否する桃火を見て正河は諦めたように頷いて、
「仕方ない、取り敢えずパスを練習するか。もう一回上げるぞー」
「ああ、頼む」
桃火が構えると同時に、彼と少し距離を取った正河の手から軽い音とともにボールが上がる。
それを目で追いながら落下地点を予測した桃火は、丁度そのボールの真下に立つ。
「よっ」
ボールが三角形を作った両手に乗ると同時、そんな軽い気合いとともに桃火が両手を上に押し出すと、やや不格好な音とともにボールが跳ね上がる。
「おお、いいじゃん。じゃあもう一回な」
ゆっくりと弧を描いて落ちてきたボールを正河が苦労することなく打ち返す。
桃火は先程の感覚を思い出しながらもう一度ボールの落下地点と自分の手を位置を合わせて、
「ダメ。もう少し後ろ」
「うおっ」
ぐい、と服を引っ張られた衝撃で桃火はバランスを崩し、落ちてきたボールは重力に引かれるまま体育館の床を叩いた。
なんとかバランスを取り振り向いた桃火は、そこにいた人物を見て驚きの声を上げる。
「香織さん? テストは来週の月曜って言った気が――」
「別にテストしにきたんじゃないよ。毎日ここにいるって聞いたから、その見物」
タバコの臭いを微塵も感じせない香織は、地面に転がったボールを持つと、それを桃火の額に当てる。
「オーバーは額の辺りでやるの。さっきみたいに真上で取ろうとしても上手くいかないよ」
「え? ああ、ありがとう。でもなんで?」
「ほら、あれ」
ひょい、と香織が指さした先には、こちらを見て疑問符を浮かべている正河の姿。
「あいつ、運動神経いいのに教えるの下手でしょ? あんたの事だから正河以外に友達いないだろうし、だからだよ」
「……? 香織さん、それはどういう……」
いまいち意味が分からない香織の言葉に首を傾げる桃火。
香織はその様子を見て呆れたように溜息を吐く。そして決心したように言い切った。
「……練習。今日と明日だけ見てあげる」
「え、いいの?」
「素人が正河に練習を頼んでも意味ないでしょ。文句ある?」
「い、いえ、何も」
「そ。じゃあ最初はオーバーからね。まずは――」
慣れた様子でオーバーハンドパスのコツを話していく香織。月曜日とは全く印象の違う彼女に戸惑いながら、桃火は一つだけ問いを出した。
「なんでいきなり練習相手に?」
「……前にも言ったけど、私はバレーで優勝したい。だから、その為に練習する人を突き落とすような事はしない」
「でも、そうしたらこっちの手伝いを受けることになるかも――」
「別にいい」
「え?」
予想外の答えに桃火は思わず声を上げてしまう。
香織はボールを掌で揺らしながら、
「私はお願いするだけの奴は大嫌いだし、だから最初のあんたのお願いを断った。でも二回目のあんたの提案は飲んだ。願うだけじゃなかったから。そしてその日から、あんたは無謀にもバレーの練習を毎日してる」
そこには「上手くなれっこない」という嘲りが含まれていたが、次の言葉にはそれは含まれていなかった。
「クラスの女子の話を聞いてるとさ、あいつ――雫の話がよく聞こえてくる」
それは桃火も知っていた事だ。まだまだ雫に対する根も歯もない噂は健在なのだから。それも全て悪い噂となれば耳に残らない方がおかしいだろう。
「大体の奴らが気持ち悪いだとか、吸血鬼だとか言ってるのを見てさ、ちょっと嫌だったんだよね」
「それは、俺もだよ」
好きな人の悪口を聞いて穏やかでいられるほど桃火の心は広くない。それと同時に雫に対する好意を再認識するのもまた事実だが、やはり悪い噂というのは聞きたくないのだ。
香織は揺らしていたボールを両手で掴む。視線を桃火へ。
「……私は、あんたのほうについてもいいと思ってる。だけど、それだとそっちのお願いを私が飲んでるだけになる。だから私はあんたにバレーを教える。あと2日で上手くなって、私を頷かせてみて」
お前次第だ。
つい先日竹田に言われた言葉を思い出す。
香織の答えはもう分かった。あとは桃火の努力次第。
香織もこの答えを出すのにそれなりの時間を要した筈だ。少なくとも、今日この場にくるまでは熟考に熟考に重ねたのだろう。
そして考えた上で、この結論を出した。
桃火は香織に向き合う。同じくらいの身長なのに彼女の方が大きく感じるのは錯覚だろうか。
香織と交渉した時のように、桃火は彼女に向かって頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「ん。じゃあ二日で上手くなってね」
「が、頑張ります」
緊張気味な桃火の返答に、香織は小さく笑う。
「……いや俺は?」
そんな正河の声は届かなかった。
ここから少しずつ説明の足りない箇所が出てくると思いますが、どうか最後までお付き合いください。




