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恋と打算と吸血鬼  作者: 吾亦紅
14/23

13 気まぐれな助言

 休日明けの月曜日の朝。

 学校の門が開けられてすぐの時間にも関わらず、桃火の姿は既に教室にあった。いつもの数十分ははやい登校である。

 理由は一つ。一番早くこの教室にいるとある人物と二人きりで話をしたかったからだ。


「香織さん、ちょっといいかな?」


 できるだけ警戒させないように言葉を選ぶ。

 予想外の客人に香織は一瞬動きを止めたが、やがていつものように緩やかな動きで桃火を見据える。

 緩慢な動きで香織は口を開いた。


「なに? もしかしてバレーのこと? それなら一人分くらいは私がカバーするから問題ないよ」

「うん、知ってる。でも俺は雫さんの事で話があるんだ」


 雫は、という言葉を聞いた瞬間、ほんの少しだけ香織の瞳が揺れる。その意味は桃火には分からない。

 香織はスマホをいじりながら答える。


「なんで私? 先生でも良いいでしょ、それ。まさか私のせいであいつが不登校になったって言いたいの?」


 言葉に少しトゲが混ざるのを感じながら、桃火は自分の席に逃げ帰りたくなる衝動を抑えて言葉を続ける。


「いや、香織さんのせいじゃない。あれは事故だし、そもそも香織さんは関わってない。だからこれは押し付けみたいになるんだけど、少し協力してほしい」

「協力?」

「うん。雫さんがクラスに復帰できるようにする、その手伝い」


 雫がこのクラスに復帰できない理由は、言わずもがな教室内の雰囲気である。

「普通の人は持っていないものを持っていた」「彼女は本物の吸血鬼ではないか」など、生徒たちの口から発せられる無意識の悪意が雫から場所を奪ったのだ。

 ならばその空気を消してしまえば、雫はクラスに居場所を見つけることができる。

 とはいえ体育大会までの日数はあまり残っていない。そこで桃火はクラスでの奏を除く権力者――ひいては発言力が高く生徒の中心的存在である香織に協力を要請することを数日前に決めていた。

 しかし。


「なんで私がそんな事しなきゃいけないの? あいつが来なくなったのが私のせいじゃないなら、私がそれを手伝う義理はないでしょ」


 ぐうの音も出ない正論を言われて桃火は口を閉ざす。

 分かってはいた事だ。彼女は雫をあまりよく思っておらず、積極的に関わりを持とうとしない。ならそんな彼女がこの手伝いに応じてくれるはずがない。桃火も同じ立場だったなら香織と同じ反応を示したはずだ。だから分かる。


(ダメだ、ここで逃げるな)


 ここで引き下がれば、雫をクラスに復帰させることができなくなってしまう。

 桃火は大きく息を吸うと、説得とも言い難い言葉を並べた。


「雫さんってバレー部だったんだ。だから、体育大会でも活躍できると思う」

「さっきも言ったけど、一人分くらいなら私で補えるし」

「で、でもさ」

「しつこいって」


 後ろにまとめた髪を揺らしながら香織は立ち上がると、桃火の胸ぐらを掴む。いつものだらだらとした香織からは想像もつかない行動に桃火は思わず硬直してしまった。

 桃火の目を睨みつけながら香織は言う。


「いい? 私はお願いするだけの奴は大っ嫌いなの。あいつがバレー部だったとか、練習見てればすぐ分かるから。はっきり言うけど、いるのかいないのか分からないあんたが学校に来なくなってくれた方がよっぽどいい」


 いるのかいないのか分からない。

 その言葉は桃火の心の奥にちくりと刺さった。今までの打算的な行動のはね返りだと分かっていても、「お前はいなくていい」と言われて平然としていられるほど桃火の心は強くない。


 香織は桃火を押すようにして手を離すと再度席に座る。その数秒後にはいつもの香織の姿に戻っていた。

 それと同時に教室の外が少しだけ騒がしくなる。時刻を見ればいつも桃火が登校してくる時間になっており、それは香織との会話の終了を意味していた。


「早く席に戻ったら? そろそろ人来るよ」


 香織のその言葉に、桃火は従うことしかできなかった。


 〜〜〜


「無理です」

「いや諦めるの早すぎだろ」


 昼休みになった途端に保健室に来てベッドに倒れ込んだ桃火に、竹田は呆れた表情を浮かべる。

 結局、朝の会話から現在に至るまで桃火は香織と話す場を設けることができなかった。だから朝に来てすぐに香織と接触したのだが、跳ね除けられてしまっては人脈やら信頼やらが色々と抜け落ちている桃火にとっては何もできず、自明といえば自明であった。

 そんな愚痴にも似た桃火の話を側から聞いていた竹田は、いつものようにコーヒーを飲みながら指摘する。


「というか、その役、奏じゃダメなのか?」

「ダメです」

「なんでだ?」


 発言力が高いという点から見れば、むしろ香織より奏の方が適役だろう。

 首を傾げる竹田に、桃火は一つ例えを出した。


「竹田先生、仮に何かの企画の始動を検討する会議で、一番偉い人がその企画に肯定的な意見を示したら先生は企画の始動に賛成しますか?」

「そりゃあ考えるまでもなく賛成……って、ああ、そういうことか」

「はい。だから彼女はダメです」


 桃火のクラスで『一番偉い人』という枠に入るのは間違いなくクラス委員長である奏だ。仮に桃火が香織ではなく奏に雫のクラス復帰の為の手伝いを頼めば、彼女は喜んで応じるだろう。そして当然の如くクラスの生徒たちから同意をもぎ取ってくるはずだ。

 だが、それは上辺だけの雰囲気に過ぎない。

 上の人間――こと過去の成績から見ても優秀といえる奏がなにかを言えば、鶴の一声と言わんばかりに他の生徒たちも賛成の色を示す。しかしそれは、「委員長が言ったから」という委員長に責任を押し付けての賛同だ。これでは意味がない。

 だから桃火は香織――奏のように生徒たちの中心人物でありながらも表立った行動を起こさない彼女を選んだ。


「あくまで自分の意志で決めてもらうのか」

「はい、だから香織さんが適役なんです」

「でも断られた」

「……彼女は俺とした話を言いふらすことはしないと思いますが、絶対にそうとは限りません。だから一回で味方につけたかったんですけど……」


 能力不足だ、と桃火が溜息をつく。

 そもそもこればかりはどうしようもない。最低限の人脈しか持っていない桃火にとってこの事態はほぼ詰みである。

 しかし香織を味方につけるという方針に変更はなく、桃火がベッドに体重を預けて次の策を練っていると、短い溜息とともに桃火の視界に竹田の姿が映る。その表情は相変わらず呆れを含んでおり、しかしその呆れは竹田自身に向けられたような色をしていた。

 いつもとは養護教諭の姿に、桃火が頭上に疑問符を浮かべる。


「……なんですか?」

「私はただの教師だ」

「はい。知ってます」

「真面目に答えなくていい。黙って聞け」


 律儀に頷く桃火に苦笑しながら、


「これは生徒たちの問題だ。なら教師の立場である私達は介入すべきじゃないだろうし、事実そうなんだろう。……だから、これは気まぐれだ」

「何が言いたいんですか?」


 結論からわざと遠ざけるような言い方に桃火が結論を迫ると、竹田はぽつりと、


「今から旧校舎の美術室に行け。多分もうじきだろうから」

「もうじきってどういうことですか?」

「いいから。ほら、あそこだからな、あそこ」


 起き上がった桃火を急かしながら、竹田は窓の外に見える旧校舎のとある一室を指差す。そこは桃火が雫と旧校舎を散歩したときに通ったことのある廊下に面している教室の一つだ。


「場所は知ってますよ。でもなんで――」

「行けば分かる。うまくいけば今の状況を打開できるかもしれない。だからここからはお前次第だ」


 そんな事を話している内に桃火は保健室の外に放り出される。時刻を確認すると昼休み終了まではまだ余裕があった。

 振り返って竹田を見る。竹田は白衣のポケットに片手を突っ込みながら、もう片方の手をひらひらと振って、


「じゃあ頑張れよ。雫が復帰したら保健室に来るように行っておけ」

「……本当にそこに行けば何かあるんですよね」

「少なくとも新たな発見はある。後は自分で考えろ」

「……分かりましたよ」

「ああ、行ってこい」


 依然竹田の言葉の意味はよく分かっていないし、彼女の意図もよく分からない。

 ただこれ以外に取れる選択が無いことも事実で、桃火は竹田の言葉に押されながら何かが待っているであろう旧校舎に向けて走り出した。


 〜〜〜


 旧校舎へ到着した桃火は時刻の確認も後回しに、躊躇なくそこへ飛び込んだ。

 雫と毎朝歩いた人気のない廊下を走り抜け、旧校舎の二階へと上がる。

 凸凹とした床を足裏越しに感じながら二階の床を踏みしめた桃火は、そのまま視線を左、奥にある美術室に向ける。

 休憩も忘れて美術室の前に立った桃火は、この先に待っているかもしれない発見に少し緊張しながら息を吸う。そして、気付く。


(この臭いは……)


 美術室特有の絵具の匂いではない。あまり桃火達には関係ないような、しかし桃火にとっては少し前に嗅いだことのあるような臭いが鼻をかすめる。

 その臭い自体は別にいい。だが問題は、その臭いが学校の教室内から漂ってくるという点だった。

 桃火は緊張も忘れて美術室の扉を開ける。

 まず目に入ったのは規則正しく並べられた四つの長机と椅子。室内の隅に置かれた石膏像が美術室ならではの雰囲気を作り出していた。

 ソレとは、すぐに目が合った。

 石膏像が置かれている教室の右から、視線を左側へ。

 窓を開け、机の方から引っ張ってきた椅子に座り、右手には本来学生が持っている筈のない物を持った――、


「香織さん?」

「……なんでここにあんたがいるの」


 桃火の言葉に反応するかのように、香織の指の間から火が付いたばかりのタバコが床にこぼれ落ちた。

香織を味方につけようとした理由は発言力の高さも勿論ですが、彼女が雫に対して他の生徒達のように敵意(忌避感)を持っていないからです。


タバコは二十歳になってから。

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