11 打算の決意
保健室の扉が開き、入ってきた白いものに桃火は思わず腰を浮かせた。
しかしそれは桃火の望んでいた白ではなく、更に言えばその白の正体は竹田が着用している白衣だった。
その様子を見た竹田が少しだけ目を丸くする。
「なんだ、吸血鬼と見間違えたか?」
「……別に」
からかうようにこちらを見てくる竹田から目を逸らし、桃火は少し荒々しい動作で再び椅子に腰を下ろす。それと同時に机を挟んだ桃火の正面に竹田が座る。
先に口を開いたのは竹田だった。
「不慮の事故だ。お前が気を落とす必要はない」
「落ち込んでませんよ」
「だが、お前はここにいる。それはお前が何かしらの負い目を感じてるからだろ」
言いながら、竹田は懐から茶色の塗装を施された缶を出すと桃火の前に出す。
缶の表面に印刷された文字を見て、今度は桃火が目を丸くした。
「ここってコーヒーだけじゃないんですか?」
「ここは、な。自販機でコーヒー買ったら当たった。いらないからお前が飲め」
そう言って竹田は更に懐から取り出したコーヒーの空き缶を雑に放り投げた。ゆるやかな曲線を描いたそれはゴミ箱に吸い寄せられるように落ちていき、軽い音を響かせた。
桃火が缶のふたを開けると同時に竹田が喋りだす。
「雫か来なくなって3日か。教室での出来事は聞いているが、運が悪かったな。吸血鬼の噂は教師の耳にも入っている。いずれ担任から雫の病気について――」
「それじゃあダメです」
桃火は即答する。
輸血パックを見られた今、桃火の教室では雫の噂で持ちきりだった。
それはつまり、今この瞬間、クラス内に雫の居場所がないことを示している。
そんな時に担任から雫の病気の話をされても、墓標のようにたたずむ雫の席の周りから生徒が更に離れていくだけだ。
今の教室の雰囲気を数日前の教室に戻すには何かしらの方法で雫が置かれている状況を説明するのが必須だが、そこに忌避感が入ってはいけない。
桃火の話を聞いて、竹田は何かを考えるように座っている椅子の背もたれに体重を預けた。
そして、言う。
「お前は、どうしたい?」
「俺は配達係ですし、その義務を――」
「馬鹿か。お前自身の事を聞いてるんだ。打算的なお前がいくら配達係とはいえ、ここまでする事はありえない。この事態を引き起こした原因がお前自身ならまだしも、今回はただの事故だ」
お前が保健室に来てる時点でお前は打算以外で動いている。
そう付け足して、竹田は体重を背もたれから前方の机に移すと、答えを言い淀む桃火をひょい、と指差す。
「もう面倒くさいから聞くけど、お前雫の事好きだろ? いや好きだな。間違いない」
断言する竹田。しかし桃火は反論しない。逆に言い切られて納得してしまったほどだ。
「俺、雫さんと友達にもなってませんよ」
「惚れる事に友達云々は関係ない。どんな不利益を被ってもそいつの為に動きたいと思ったらそれはもう惚れてるんだ。で、やっぱり好きなのか?」
「……はい」
――『自分から配達係になったの? ならそれも打算的な行動?』
雫に訊かれ、しかしうまく答えられずに回答を先送りにしてしまった問いを思い出す。
思えばこれは、ただ認めるのが怖かっただけなのだ。打算で生きてきた人間が恋などという気持ちを抱いていいのか、と。
しかしいざ言われてみると、すっぽりと隙間が埋まった気分だった。
病室で出会った時も、雫の事を知らない生徒達が好き勝手言い合ってるのを見て苛ついてしまったのも、旧校舎の散歩が楽しかったことも。
そして、雫が学校に来なくなって真っ先に保健室を訪ねたことも。
それは雫に対する好意に他ならない。
ならば、と桃火は再度断言する。
「――好きです。凄く」
「凄く、ときたか。この年でそんな事言えるのは打算で生きてきたお前だけだろうな」
ひゅう、と竹田は口笛を吹く。そのからかうような軽い反応が体温の上がった桃火にとってありがたかった。
ひとしきり口笛を吹き終えた竹田は、よし、と言って立ち上ると歩き出す。向かう先は彼女専用の机。
机の引き出しを開けてがさがさと中をかき混ぜて竹田だが、やがて何枚かの紙を抱えて桃火の元へやってくる。
「さて、では立花――」
ばさ、と机の上に数枚の紙が置かれる。桃火はこれを一月前くらいに見たことがあった。
「――配達、頼めるか?」
展開が早かったり説明が足りていない部分があるのは自覚していますが、これが今の限界なのでご理解いただければと思います。




