不意打ち
息抜き短編です。
八月上旬。騒がしくも何故か許せる夏の風物詩である蝉の鳴き声。やけに辺りに響くのは、目の前に広がる森のせいだろう。自動車やビル群に塗れた都会ではこの騒がしさはあまりないかもしれない。
これを聴くといつもこう思う。
今年も、夏が来た──。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
太陽が高く上り、蝉の声が少し和らぐ昼間。
「あー! にぃちゃん! 帰ってたんなら言ってよー!」
風通しのいい居間で寝転がってうたた寝をしていると、程よく焼けた小麦色の肌の少女が俺に向かってそう言ってきた。
彼女は、従姉妹の坂盛歌夏。今年、小六になり、小学生最後の夏休みを楽しんでいるようだ。
「おう、歌。いつぶりだっけか……。最後に会ったのって確かお前が小一ん時だったか?」
何とか記憶の糸を手繰り寄せそう聞く。
「違うよ! 前会った時は小二! あれからもう四年経ったんだよ! ねぇ、見て見て! あたしも少しはお姉ちゃんになったんじゃない?」
歌夏はそう言って、その場でくるっと回ってみせる。
……正直、お尻に届きそうな程長いポニーテールに真っ赤なタンクトップと黒の半ズボンて。
(どう見ても子供の格好だろうに……)
と言う本音を押し殺し。
「もう六年生かぁ……。少しはお姉ちゃんになったんじゃないか?」
と、一応肯定気味に返事をする。
「でしょでしょー? やっぱりあたしってばお姉ちゃんになってるよねー? ふふっ!
分かっちゃうかー、にぃちゃんでも分かっちゃうよねー?」
今すぐに取り消したくなるくらいにウザったらしくそう言ってくる歌夏。
しかし、彼女が喜んでいるのだ、それでいいではないか。
そう思うのは、俺が歌夏に甘いからなのだろうか。
「まぁ、子供が喜んでるんだし、いっか」
「あー! 今子供ってゆった!! もうあたし、子供じゃないもん! 立派な六年生なんだよ? お姉ちゃんだもん!」
おっと、独り言が聞こえてしまったらしい。
「悪い悪い、いや、歌がお姉ちゃんでも、俺からしちゃまだ子供だぞ?」
「ぶー」
頬を膨らませてムッとする歌夏。
あぁ、懐かしいな、この感じ。
昔から、何故か歌夏には懐かれていた。
ことある事に俺の後ろを着いてきて、何かする度に、にぃちゃん! にぃちゃん! と言ってくるのだ。
それが微笑ましくて、甘やかしたからだろうか。今でもこうして懐いてくるのだ。
「あぁ、そうそう、歌。冷蔵庫にアイス入ってるぞ。来る時に買ってきたんだ。溶ける前に入れたから大丈夫だと思うけど」
話を変えるように歌夏に言う。
「え、まじ?! 流石にぃちゃん! ありがとう! 大好き!」
「おー、ゆっくり食えよー」
さっきまでむくれていたのがまるで嘘のようにぱあっと顔を輝かせてから、走って台所へ向かっていく。
「昔から変わらんなぁ」
そう呟いてから、そう言えばもうすぐ昼食だっけか、とぼんやり思いながら、ぼーっと窓の外を眺める。
「こら、歌! もうお昼出来てるから後にしなさい!」
「ええっ?! にぃちゃんが食べていいって……」
「つべこべ言わない! ほら、この皿あっちに……」
あ。あの雲、魚っぽいなぁ……。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
久しぶりのおばさんの作るご飯は、凄く温かく、美味しく感じた。
一人暮らしをしているとどうにも調理をする気が失せる。そのせいで毎食コンビニ弁当なんてざらである。
美味しく感じるのも頷けるというものだ。
「にぃちゃん、聞いてる?! さっきにぃちゃんのせいで怒られたんだよ!」
「あー、聞いてる聞いてる。悪うござんした」
アイスを片手に何故か怒ってくる歌。それに対して寝そべりながら適当に謝る俺。
なんでも、先程おばさんに怒られたのを俺のせいにしてるらしい。
解せぬ。
原因が分からないのに俺のせいにしないで欲しいな。
「全くだよもう! にぃちゃんがアイスあるから食べていいよって言うから食べに行ったのに、お昼ご飯の時間だったんだよ? 分かってたなら言ってくれても良かったのに! そのせいで怒られるのはあたしなんだからね!」
俺のせいだった。
「いや、ごめんって。ほらでも、今アイス食べてんじゃん。美味いだろ?」
「まーた適当に謝ってもう……美味しいけどさ……」
言ってアイスを咥える歌夏。
美味しそうに食べるのを見てるとなんだか和む。なんだかんだ言って食べる歌夏は幸せそうだ。
「……あ、そうだ! にぃちゃん、プール行こう!プール! 最近近くに出来たんだよ! 泳ぎに行こう!」
なにか閃いたようにしてから、歌夏がそう言ってきた。
そうか、プールか……。
「……んじゃあ行くか」
「いいの?!」
キラキラと目を輝かせる歌夏。
「おう、いいぞ。でも今日は勘弁してくれ。朝一で来たから眠いんだよ……くぁぁ……」
「えぇー、にぃちゃん昼寝かよー」
残念そうに歌夏が言うも、俺は既に意識が朦朧とし始めている。
「……せっかく新しい水着買ったのに……まぁ、明日行けるし……」
歌夏が何か言ったのに気付いたが、猛烈な睡魔が押し寄せ、俺はそのまま眠ってしまった。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
「……んっ……」
ふと、寝苦しく感じ、目を覚ます。
やはり、疲れていたのだろうか、体がやけに重く……。
「……あっ、にぃちゃん起きた?」
……感じるのは、歌夏が俺の上に乗っかっていたかららしい。
「歌、重いからどいてくれ。あと、暑い。それと扇風機寄越せ」
えー、と言ってどこうとしない歌夏をくすぐって撃退してから、ふと、外を見ると、空は綺麗な茜色に染っていた。
「くぁぁ……だいぶ寝たなぁ」
「ほんとだよもう。夜になっちゃうじゃん! ほら、行こっ?」
そう言われて初めて歌夏の格好を見る。
くすぐった時は気付かなかったが、浴衣を着ている。
赤を基調とした、花柄が特徴的な浴衣で、黄色い帯を締め、腰ほどまであった黒髪は、どうやったらそうなるのか見当もつかない纏め方で綺麗に結われていた。
ただ、何故か少し着崩れている。
多分、俺にのしかかった時だろう。全く。
「せっかく綺麗にしてるのに着崩して、もったいないぞ?」
「えっ?! 綺麗……あ、いや、着崩れたのはにぃちゃんのせいじゃんか!」
また人のせいにしやがって。俺が何したって言うんだ。
「くすぐられたらこうもなるよ!」
……それか。
すぐに思い当たり、すまんすまんと適当に謝る。
「にしても、行くって、どこに?」
おばさんからは特に何も聞いていない。
俺はこのままもう一眠りしたいのだが……。
「えー、聞いてないの? 今日は夏祭りだよ!」
そう言って俺の手を引く歌夏。
引かれるまま立ち上がると。
「ほら、行こ?」
歌夏が満面の笑みでそう言った。
家を出てから、十分ほど畦道を歩き、小さい雑木林を抜けると、神社があり、その境内に沢山の屋台が並んでいた。
なるほど、そう言えば前も歌夏と一緒に来た気がする。
「にぃちゃん! にぃちゃん! あたしあれ食べたい!」
人混みの中、そう言って歌夏が指さしたのは。
「りんご飴かぁ」
何故かそこだけ閑散としている屋台で、りんご飴をおじさんが一人で売っていた。
あまり買い手がいないのかとても暇そうにしている。
「おっちゃん、りんご飴一個くれ」
俺がおじさんに声を掛けると、おじさんは一瞬だけ固まったあと。
「……おぉ、まいど。三百円だよ」
存外優しげな声音でそう言った。
にしても、これで三百円かぁ……。
……まぁ、縁日ってのはみんなこんなもんだ。安さを求めるのはお門違いってものだろう。
少し躊躇いがちにお金を渡し、飴を受け取る。
「ありがとう。ほら、歌」
「わぁ! ありがとうにぃちゃん!」
おっちゃんから受け取ったりんご飴をそのまま歌夏に渡す。
ぱぁっと顔を輝かせてから、りんご飴をペロペロ舐める歌夏。
その幸せそうな顔を見て俺は苦笑する。
それから、色々な屋台を見て周り、時には買い、時には遊び、時間を忘れ夢中で歌夏と遊んだ。
「お、もうこんな時間かぁ」
「遊んでたら時間すぎるのって早いよね」
隣を歩きながら少し残念そうにそう言う歌夏。
──ふと、後ろから、ドン、という大きな音とともに、周りからどよめきが起こる。
歌夏と一緒に振り返ると、そこには真っ赤で大きな花火が夜空を彩っていた。
「わぁ……すごい……!」
「すごいな」
キラキラした目で花火を見る歌夏。
もっとはしゃぐもんかと思っていたが、意外とそうでもないらしい。
──不意に、歌夏が歩き出す。
「……? どうした、歌?」
時が止まったように、やけに辺りが静かに感じる。しかし、花火の音が凄く、響く。
人もたくさんいるし、屋台だってある。
なのに、俺と歌夏の間には、誰もいないかのような静けさがあった。
五、六歩ほど歩いてから、歌夏が、こちらを振り返る。
「あたし、にぃちゃんの────」
ドンッ!
振り返って何か言いかけた歌夏の後ろで一際大きな花火があがった。
瞬間、時が戻ったかのように再び周りの喧騒が聞こえ始める。
「……えっ?」
歌夏の口が動いたのが見えた。
──にぃちゃんの事が、好き。
歌夏がまた前に向き直り、歩く。
ただの、見間違い、聞き間違いかもしれない。
気になって、歌夏に聞き直す。
「歌、今なんて……」
また、歌夏が振り返る。
「……秘密!」
口元に指を当て、にっ、と歌夏が笑う。
後ろでは、また大きな花火が歌夏を明るく染めた。
その歌夏を見て俺は、不覚にもドキッとしてしまった。
ーおわりー
お読みいただきありがとうございます。