六片:おじさんと唐菓子
助六が案内した部屋は、広く清潔感がある場所だった。
花梨は小さな個室をあてがわれたが、調度品は夏行たちよりも上だ。どうやら一応、巫女姫という扱いを受けているらしい。夏行が言うには今夜はここに泊まり、明日、斎の宮へと向かうようだ。花梨はすぐにでも向かいたかったが、夜は危険だと止められた。
(寒い……火鉢だけじゃ足りないわよ。石油ストーブが恋しい)
あてがわれた部屋で一人寝っ転がった途端、花梨の腹がぐぅとなった。知らない世界で気味悪い視線を浴びまくるのは、意外と精神負荷が高かったらしい。空腹であった事を花梨は今になって思い出した。
(おじさん達はいいよなぁ、ご飯を食べれて)
隣の部屋から、なんとも楽しそうな声が聞こえてくる。助六達が宴会を開いているのだ。巫女姫様も是非にと誘われたが、首を振ってお断りした。腹を満たせない架空の食事など拷問にも等しい。花梨は逃げるように自室へと駆け込んだが、日も暮れ、暗い部屋で一人いるせいか、どっと不安が押し寄せてきた。
(これからどうしよう)
宿主が逃げ出した後、花梨は宿帳をのぞいてみたが、草書体でかかれた墨字の文字は全く読めず、ためしに名前を書き込んだが何も起こらなかった。逆さまにしたり「セーブ」と言ったりしたが状況は変わらず。しまいには夏行に悪戯するなと怒られ、それ以上は確かめられなかった。他にやり方があるのかもしれないが、今は大輔と連絡を取れないのでどうしようもない。
やる事もなくなりぼーっと寝転がっていたら、妻戸の隙間から漏れる光に花梨は目がくらんだ。夜が明けるにはまだ早い。おそらく雪がやみ、月が闇夜を照らしだしたのろう。引き寄せられるように花梨は妻戸へと手を掛けた。隙間から入る冷たい空気に体を震わせた途端、「眠れないのか?」と腰元から声が聞こえ、花梨は肩を飛び上がらせた。
「びっくりした、おじさんか。なんでこんなところに座ってるの?」
「……おじさんではない。夏行だ」
不機嫌そうな顔で、椀をもった夏行が答える。食事をしているのだろうが、夏行のいる場所は廊下とはいえ壁はなく、あるのは屋根のみ。外にいるのとなんらかわりなく、とても食事に適した場所ではない。
「部屋で食べればいいのに」
夏行がムスっとした顔で膳にのせられた煮物を口へと運ぶ。一瞬その煮物に目がいってしまったが、あれは偽物だと花梨は首を振り、誘惑を断ち切った。
「見張りを怠るわけにはいかぬ」
「え……あたしを見張ってるの?」
見張りと言われ花梨は驚いたが、よく考えれば山の中で異国の服を着、黒獣をバッサリやる女を怪しんでないほうがおかしい。
「某は花守だ。お前を守る義務がある」
どうやら夏行は宴に出ず、寒い廊下で花梨の護衛をしていたらしい。理由がわかって花梨はほっとしたが、さすがに暖房設備もない廊下で寝ずの見張りは厳しいはずだ。
「その必要はないわ。あたしの強さは知ってるでしょう? 黒獣が襲ってきたって大丈夫だし」
「黒獣はそうだろうな。だが、人はどうだ。切れるのか?」
「え……」
人と聞かれ、花梨は答えに詰まった。人を切るなど考えもしなかったからだ。ふと、宿主の顔が脳裏によぎった。もし部屋で寝ている間に、あの男が来たらと思うと花梨はぞっとした。
「いざとなったら、この刀で……」
蛍光刀の柄を握りしめながら花梨は言ったが、ほとんど強がりだ。この世界の人間は、本物と大差がない。対戦ゲームのように軽い気持ちでは切れないだろう。
「そのような覚悟で大丈夫なのか? 言っとくがその神器では人や物は切れぬぞ」
「えっ、そうなの?」
(蛍光灯は黒獣専用の武器なのね……)
「そろそろ話してはくれぬか? お前は山中に突如現れた。それも不自然にな。一体どうやってきたのだ?」
夏行は箸をおくと真剣な眼差しで、花梨の方へと身を向ける。
「それは……」
「現実から来た」と言っていいのか花梨は戸惑う。
(異国から来たって言う? でもどこの国かと聞かれたら答えられないし)
「それは……その……た、頼まれて来たというか」
「頼まれただと? 誰に?」
「う……」
(それっぽく話しを作らないと──と思うのに思いつかないぃぃ!!)
「神様……みたいな? ははは……」
まっすぐな夏行の視線に耐えられず、花梨は目を逸らした。はっきり言って内容に無理がある。
「神様のような……だと?」
「うん」
「そうか」
「──ん?」
(え、いいの? それで)
「【あの方】はまれに不思議な力を使われる。お前は【あの方】に斎国ではない、遠い国から呼ばれて来たのだな? せいぶぽいんとなど聞いたこともない。珍妙な服、世情の疎さはそのせいか」
(【あの方】って予言した人? あ! その人ならセーブポイントを知ってるんじゃ?)
「【あの方】って帝?」
「帝ではない。お前……呼んだ奴の素性も知らずに来たのか?」
「うん」
「なんと軽率な……」
夏行の眼が憐みに染まる。
「ならば斎国について、お前に話しておかねばな。もうわかっているだろうが、斎国は極めて女が少ない。女の出生率が異常に低いのだ」
「だから男ばっかりだったのね。でもどうして? 病気とか?」
花梨の質問に夏行は首を横にふる。
「はっきりとした理由はわからん。言い伝えでは、初代帝の皇子に神の娘を娶らせたとき、堕ち神が妬んだためと言われている。堕ち神は封印される前、国中の女に女を産めぬ呪いをかけ、黒獣に人を殺し続けるよう命じたそうだ」
「うわぁヤンデレ」
「やんで……なんだ?」
夏行の稲妻眉が激しく歪む。
「んー愛しすぎて、心が病んでる人のこと。でも呪いは厄介ね。ステータス異常を回避できる方法はないのかしら」
花梨の戦った黒獣に呪いをかける敵はいなかった。堕ち神と対峙するには剣技だけでなく、色々と準備がいるようだ。
「すてぇたすが何かはわからんが、神力の強い巫女──特に花冠の巫女は呪いの影響を受けづらい。しかも花弁が多い女ほど子を産みやすい故、花冠は国宝扱いだ。ただお前の場合……前線にも出ろと言われるやもしれん」
夏行は申し訳なさそうに言葉を濁したが、花梨は任せろとばかりに胸を張った。怯えるどころか堂々とする花梨に、夏行が不安そうに顔を曇らせる。
「そんな顔しないでよ。あたしは強いんだし前線に行くのは当然でしょ? 呪いの耐性スキルがあるんなら大丈夫よ」
「すきる?」
「ん~能力のこと」
「あぁ、お前なら耐性どころか、黒獣の浄化すら容易いだろう。黒獣を花びらに変える姿は戦神かと思った程だ」
(ふぅ~ん、花びらになったあれ、浄化だったのね)
「なるほど、あたしの役目はだいたいわかったわ」
(ヤンデレ神と黒獣を退治し、浄化の力を使って、女たちの呪いをとくってのが主人公である、あたしの役目ってことね。いいじゃない、主人公ぽいわ)
「わかったってわかっているのか? 下手をすればお前は死ぬのだぞ」
「それぐらい覚悟の上よ」
「……」
(ま、覚悟っていってもゲームだから本当に死ぬわけじゃないけど)
「お前の覚悟は理解した。そこでだが……あ、あれの経験は? ……聞いておけと言われたんだが。あるかないかだけでいい。花仕を選ぶ参考にしたいと言われてな」
夏行は咳込むと、顔を赤らめて言う。
「あれってなに?」
花梨の直球な質問に、夏行がビクリと肩を震わせた。
「み、巫女姫本来の職務の事だ。女が生まれぬ国情を考えれば……わかるだろう? 花仕はそのためにいる」
(たしか呪いのせいで女性が少ないんだっけ? 呪いを解く作業イベントがあるのかな? なるほどRPGらしい展開ね)
「なるほど。たしかに呪いで女の人が増えないって大変よね」
「……辛いやもしれぬが、花冠なら専属で花仕が複数就く。神力や剣技、頭脳だけでなく、人としても立派な花仕が花守より選ばれよう。経験がなくとも安心して身を任せればよい」
(ふぅん……『花仕』って特定の巫女姫に就くエリート護衛なんだ)
「心配しなくても大丈夫よ。経験なら豊富だもん」
(なんせレベル99だもんね)
「な、なんだと‼」
(なに、その反応。北山の黒獣程度じゃ経験不足って言いたいのかしら)
「また子供と馬鹿にして。これでも高レベ……熟練者よ。相手が複数同時だって平気だわ」
「ふくっ──嘘だろ?」
夏行が顔を真っ赤にして固まったが、花梨はその理由に気が付いていない。
「嘘って!! いいわ、試しにやってみましょ」
くいくいと花梨は指を動かして挑発する。
「ま、待て! も、ももっと自分を大事にしろ」
「え? あぁ」
(蛍光灯は対人用じゃないんだっけ? さすがに素手で相手は厳しいかも)
「仕方ない……諦めるわ。それに今夜は寒いから外でやりたくないし」
「そ、外だと!!」
夏行が素っ頓狂な声をあげのけ反った。
「え? 普通は外でやんないの?」
「……そこまで上級者とは。すまぬ、子供だとあなどっていた」
「え? なんかわかんないけど、わかればいいのよ」
勘違いした花梨は、えへんと胸をはる。
(とは言ったもののさすがに仲間は必要よね。でも誰を? この物語では巫女姫を守る人は、おじさんのような花守と──花仕……やしゃ?)
「そうだ! やしゃってなに? 巫女姫を守る物かなにか?」
「なっ──話が唐突に飛ぶ奴だな。夜叉とは己の姫と共に生まれ、姫を守る存在だ。その意志は強く、生死すら共にすると言われている。物というより霊といったほうが近いか」
「ええええっ、お化けってこと? みんな怖くないの?」
まさかのゴースト発言に花梨は驚く。
「本当に怖いのは霊より人だ。男ばかりの世界で、女に自己防衛の手段がなければどうなるか。放っておけば国が衰退する事態になりかねん。その事を危惧した皇子の一人が、自らの魂を砕き、夜叉を作ったと言われている。ゆえに斎国の女には必ず夜叉がいるのだ」
(だからヤシャがいないあたしは男だと思われ……まって、だからって熊は違うよね。って今それをおじさんに言っても仕方がないんだけど)
行き場のない怒りを花梨は抑えこむ。
「で、そのやしゃ──夜叉かな? って強いの? 頼んだら一緒に戦ってくれる?」
まるで召喚士みたいだな、と考えただけで花梨はワクワクする。
「強い、が、お前を助ける事はない。夜叉は己の姫以外に興味がないからな」
「えー、そんなのやってみないとわからないじゃない。一回、会わせてよ」
「やめておけ。夜叉は人の心に敏感な存在だ。己の姫が恐怖すれば、狂う事もある。だから普段は主である女の影に隠れ、接触を避けているのだ。どうしても会いたければ、女によからぬ心で接触すればよいが……攻撃されるぞ? ちなみに男が触れれば、主が止めぬ限り殺される」
「うげぇ。どんなのか姿ぐらい見たかったのに」
「某は職務上、夜叉を見た事があるが、獣だったり人だったり姿も様々だ。文献すら……まてよ秋受なら──
ぐきゅうるるるぅ~ごきゅるごきゅる~~
夏行の声を遮るかのように花梨の腹が鳴った。花梨は恥ずかしくて、慌てて腹を抑えたが後の祭りだ。
「あ、あの」
「……待っていろ。用意させる」
「い、いい! いらない」
立ち上がろうとする夏行を花梨は制止する。どうせ出されても空腹が癒えるわけではない。料理人に悪いし、なにより食材が勿体ない。
「具合が悪いのか?」
「違う。食べても意味がないの」
「意味がない? 斎国の食は口にあわんか?」
「そうじゃなくて」
(ゲームのご飯だからですって言えたらいいのに)
困る花梨を夏行が三白眼を細めて見つめてくる。答えを待っているのだろうが、いい答えが花梨にはわからない。やがて痺れをきらした夏行が「仕方のない奴だな」といい、立ち上がると懐から袋を取り出した。
「口を開けろ」
「へっ」
背の高い夏行の迫力におされ、花梨は反射的に口を開けると、何やら硬いものを入れられた。
「はひ、ほれ(何?これ)」
「唐菓子だ。斎国が唐と流通があった時代に伝わった物でな。それなら食えよう。女子供が好きな菓子だからな」
果物というわりに甘くないそれを、花梨はぼりぼりと噛むとそのままゴクリと飲み込んだ。ほぼ米の味しかしないが空腹の花梨にとっては、この上なく美味しい。
「これ、おかきだ」
「お前の国ではそういうのか? 食えるのならやるぞ」
「いいの!?」
差し出された袋を、花梨は半ばひったくるようにふんだくると、唐菓子を次々と口の中へと放り込んだ。
(美味しい……美味しい)
もぐもぐと遠慮なく食べ続け、腹が満たされた頃になって、ようやく花梨はハッとなった。袋がずいぶんと軽くなっている。少しだけ貰うつもりが、全部食べてしまったらしい。
(どうしよう。恐ろしくておじさんの顔が見れない)
「どうした? 」
菓子を食べる手を止め、黙りこむ花梨を夏行は変に思ったようだ。
「ごめんなさい。全部食べてしまって」
「かまわん。もっと食うか?」
「へっ、いいの? じゃあ、その煮物が食べたい!」
夏行の膳を指さしながら、花梨がへらへらと笑って言う。
「仕方のない奴だな」
「やったー」
両手万歳する花梨に呆れながら、夏行は煮物が入った椀をさしだすと、かじりつくように花梨は椀に飛びついた。
「そほくなあひだね。(素朴な味だね)ちょっと、ひほぽいかな(塩っぽいかな)」
「食べながら話すな。そんなに腹が減ってるなら何故、夕餉を断ったのだ」
「だって、食べてもお腹が一杯になるって思わな──?」
(あれ……?)
腹がある程度満たされたからか、止まっていた思考が再び動き始めた。ゲームの世界で感じる味、そして癒える腹、これも仕様なのか? 花梨の知る限り、VRでここまでできるゲームは存在しない。これは夢なのか、それとも異世界にでも飛んでしまったのだろうか。花梨の中で疑問があふれ出してはとまらない。
「おじさん……斎国って地球のどこ? 日本て知ってる?」
「なんだ、唐突に。そもそも、ちきゅう、にほん? とはなんだ?」
夏行の返答に花梨の心の臓がバクバクと激しく脈打ち始め、空になった木椀がポトリと床に落ちた。
「黒獣が斎国にはいるんだよね? それで巫女姫が必要なのよね?」
「そうだが」
やっぱりゲームだと花梨は確信した。こちらの世界に来た時、蛍光刀だって使えたのだ。もし仮に異世界だとしても、大輔が作ったゲームの世界と同じという偶然がありえるだろうか。
「いやぁナイナイ、そんなミラクル転移」
「みらくる? またしても珍妙な言葉を……」
「へへっ、ごめん。いやぁ早く斎の宮にいきたいわ」
そしてさっさとログアウトしたいと花梨は願う。
「だから宮へと向かっておるだろう?」
「そうだね。あ!! 【あの方】に会ったら、あたし一旦ログアウトしていい?」
「ろぐあうと? なんだそれは」
「ちょっと帰るって感じ?」
「なに! 巫女姫の務めはどうするのだ!」」
夏行が驚愕しながら言う。ログアウトやセーブを知らない夏行にとって、花梨の言葉は職務放棄にしか聞こえない。驚くのも仕方がないだろう。
「ちゃんとするわよ。帰るっていってもすぐ戻るし」
だって続きはセーブしたところから始まるのだから──と花梨は心の中で理由を言う。
「よくわからぬが国情は話したはず。今更やめるなど……」
「やめないわよ。国中の皆が、あたしを期待して待ってるんでしょ。ちゃんと役目は果たすわ(テストの後で)」
なんせ主人公だ。その上、救世主なら望まれて当然だろうと花梨は意気込む。
「期待か……」
夏行の顔が曇った。
「おじさん?」
「そろそろ寝ろ、明日は早い。お前はこれからが大変なのだから」
夏行は花梨が落とした椀を拾い、膳に戻しながら言う。
「大変って?」
「悪いが、確信がないゆえ今は話せん」
「なんでよ」
「下手に知れば危険だからだ。敵は黒獣だけではない」
穏やかでない話に花梨は固まった。
「心配するな。この命のある限り、お前は某が必ず守る」
まっすぐな目で言われドキリと花梨の心臓が跳ねた。だがそれは一瞬だ。夏行は職務に忠実な男。間違っても男女の駆け引きで言う男ではない。
(なによ……守ると言うなら、教えてくれてもいいのに)
「はぁ、疲れた。そろそろ寝るわ」
「なら早く寝ろ」
わざとあくびを添え、花梨は夏行に背を向けた。だが夏行の影が動く様子はない。
「もう見張りはいいから自室に戻りなさいよ。顔色だって悪いのに、風邪をひいたら大変でしょ?」
花梨は強引に妻戸を閉め、布団に潜り込んだ。自宅のベッドと違い、薄い布団は板の上かと思うぐらい硬い。明かりのない暗い部屋で花梨は肩を震わせながら瞳を閉じた。隣から宴会の楽し気な声が聞こえてくる。花梨は夏行に戻れといったが、あの性格だ、職務の為、今も見張りを続けているだろう。
(寒いな……)
傍に人がいて騒がしいのに孤独だ。ここには花梨の知る『現実世界の人』は誰もいない。そう思ったら、花梨の瞳から温かいものが流れ落ちた。それが涙とは信じたくなくて、花梨は必死に嗚咽を堪えた。
(大丈夫、大丈夫よ。ゲームなんだもの。帝に会えば物語が進んで……きっと)
念ずるように唱えながら花梨は深い眠りへと落ちていった。