一片:大明神様の「お願い」
「大輔大明神様、どうかお力をお貸しください」
大袈裟なまでに少女が土下座すると、大輔大明神と呼ばれた青年が軽くため息をついた。長い脚を組み、少女を見下ろす様は『大明神と信者』というより王と家来、いや『王と下僕』の図にしか見えない。
「花梨、いきなり家に押しかけて来たと思ったら、また期末を落としたの?」
「またとかって酷いなぁ大輔。今回、落としたのはたった一教科だけよ!」
「それって自慢して言うこと? どうせまた古典でしょ?」
大輔が黒褐色の目を細め花梨を見る。整った顔に呆れた視線を向けられ、さらに位置的に見下す形だったからか、花梨は「うぐ」と言葉を詰まらせた。
「しょうがないなぁ。で、そっちの学校はどこらへんをやってるの?」
見せろとばかりに大輔が手を差し出すと、花梨は待ってましたとばかりに教科書を、さも王にでも献上するかのように手渡した。
「50から203ページが範囲なんだけど。古代人の言葉なんかわかんなくて」
「古代人って……ちゃんと授業に集中してる?」
大輔が長い指で教科書のページをめくりながら言う。
「あははは、古典なんか人生に必要ないなぁと思ったら、つい睡魔が」
「はぁ、馬鹿じゃないのにどうして古典だけ……毎回同じ事を言ってるけど、古典は単語や句形を暗記するだけだ。活用形もパターンが決まってるし、苦労する理由がわからない」
(──くっ。これだから進学校に通う坊ちゃんは‼ 『ありおりはべり』なんてね、あたしには呪文なのよ、呪文)
かっとなる気持ちを、花梨は必死に押さえつける。ここで怒ったら負けだ。
「そんなあたしでも暗記できるように教えてよ」
「いいよ。ただし『お願い』を聞くならね」
『お願い』と言う大輔の口元が意地悪く歪む。その意図がわかる花梨は、顔を引きつらせた。
「今回は無理だよ!! 追試は1週間後だし」
「大丈夫、俺がなんとかする」
「せめて試験が終わってからじゃだめ?」
「ダメ」
「それより、あたしとデートなんてどう?」
「は? 何を言ってるの?」
「なにって……」
冷たい反応に、花梨は落ち込んだ。幼い頃から一緒のせいか、大輔は花梨の面倒をよく見てくれるが、女として見てくれない。たまにペット扱い? と疑うことすらあった。
(これでも告白された事あるし、おしゃれにも気も配ってるのに)
だからデートと言えば、少しは戸惑うかと花梨は賭けに出たのだ。
そんな幼馴染に花梨が恋をしていると気づいたのは、高校になって学校がわかれてから。傍にいなくなって初めて気が付くという典型的なアレだ。アプローチしたくとも、時すでに遅し。今では日常で会う機会すら、少なくなっている。
(だめよ!! ここで引いちゃ。今度こそ!!)
「いいの? これでも「顔はかわいい」って言われる、あたしとのデートを断って」
「それって顔以外、残念って言われてない?」
そうだったのか! とあんぐりと口を開ける花梨に、大輔が苦笑する。
「まぁ、そのポジティブさが、花梨の良いところだけどね」
大輔は立ち上がると、なにやら大きなボードとりだした。ボードには菖蒲、胡蝶、花梨の花が描かれている。
「花梨はどの花がいい? 今回は巫女姫が悪い獣──黒獣を退治する、RPGアクションゲームなんだけれど」
「大輔? あたしは『お願い』を聞くとは言ってないよ。なんなの? そのお花たちは」
「ゲームに必要だから選んでもらおうと思って。巫女姫は花がモチーフになってるんだ」
「あのね、今のあたしは時間が大事なの。趣味のゲーム創作を、追試前に毎回手伝わすのはやめてくれる? せめて終わってからにしてよ」
花梨は怒ったが、大輔は全く動じていない。
「大丈夫、花梨はゲームが得意だし、俺は君の追試対策が得意だ。いままで一度もダメだったことはないだろう? それに俺の経験上、花梨はゲームも勉強も追い込まれてからが強い」
(変な断言をされた……)
「で、でも、今回は範囲が広いし、時間を優先したほうが」
「戦闘シーンの迫力がいまいちでさ。反射神経が良い花梨に、アクションデーターを提供してもらいたいんだ」
(あたしの訴え、聞いてます?)
「とりあえずレベル99まであげてクリアーしてくれないかな?」
「ええっ、データ提供ってレベルじゃないよね? 絶対いや!」
大輔の無茶な提案に花梨の口調が荒くなる。
「じゃ、追試対策はなしでいいね。お兄さんの雷が落ちても、俺は助けないよ」
大輔が花のボードをしまい、教科書を花梨につき返した。兄の存在を思い出した花梨は恐怖のあまり凍りつく。
「あぁもう! やればいいんでしょ!」
「ありがとう。じゃあ、どの花にする? 好みで選んでいいよ」
大輔が再び花のボードを見せる。
「花梨で」
ボードを見もせず、花梨は投げやりに答えた。
「花梨だから花梨か。単純と言うか、そこは変わらないというか。まぁいいや、手をだして」
「手?」
花梨の了解も待たず、大輔がやや強引に手を握ってきた。花梨の頬がみるみる赤くなったが、大輔の視線は花梨の手に向いたまま、気付く様子もない。
「だ、大輔? て・・手」
「あぁ、タトゥーシールを貼ろうと思って。巫女姫は右手に花の紋──花紋がある設定なんだ。つけたほうが雰囲気もでるし……あれ? 顔が赤いけど熱でもあるの?」
「は、恥ずかしいな~なんて」
「恥ずかしい? なぜ?」
「……」
朴念仁なのか、それともわざとなのか。心の中で花梨は頭を抱えた。
「あぁ、もしかして花のシールなんて恥ずかしいとか?」
「……」
「でも、できればつけて欲しいな。これでも頑張って作ったんだ。それにゲームの臨場感をだすにも雰囲気って大切だと思うし」
「ソウネ、フンイキってタイセツヨネ」
どうせなら、違う雰囲気も大切にしろと花梨は言いたくなったが、虚しいので諦めた。
「あとは、VR用の器具をつけてっと」
「VR?? 」
戸惑う花梨に、大輔が容赦なく黒いゴーグルのような機器を、頭にかぶせてくる。
「まって!! VRでレベル99?? そこまで本格的なの?」
「あ~あと、これ」
花梨の言葉を遮り、なにやら日本刀の柄のようなものを大輔が手渡してきた。桃色の質素な柄だ。武器なのかと思ったが肝心の刀身がない。
「これは?」
「武器だよ。ゲーム内でレーザーソードになるから。握ってごらん」
「レーザーソード?」
それで刀身がないのかと花梨は納得しつつ柄を握った。どうやらVR用の器具を装着し、レーザーソードを使って敵を倒すゲームらしい。よく見ると桃色の柄に花梨の飾りまでついている。
(あれこの飾りさっきはついてたっけ?)
不思議に思ったが、そもそも花梨は刀剣に興味がない。一般的に装飾される部分すら把握していないのだ。だから見落としたのだろうと深く考えなかった。
「で、レベル99ってあげるのにどれぐらいかかるの? 長いのは嫌よ?」
「数時間程度かな。はやくして欲しいのはわかるけど、俺にも対策する時間が必要でしょ?」
「たしかに。ま、言ったところで、大輔は決めたら最後まで押し通す性格だしね。信じて任せる事にする」
「ありがとう。それじゃあ始めようか? 覚悟はいい?」
「OKよ。でも──
始めるってどうやって? と花梨が聞こうとすると、ぐらっと視界が暗転し、手を振る大輔の姿がふっと消えた。
【Game Start】
誰かが耳元でそっと呟いた。