猫のお祭り 5
あなたは刺激を求めていますか。私は平穏に生きていきます。それでも、もし刺激的な人生になるのならば、私はそう生きていきたい。平穏に感謝を、刺激に憧憬を抱いて私は望みます。
「この平和で退屈な人生に一抹の刺激を」
アイツが推測した犯人が猫を殺した理由と方法を聞いて私は確かに悔しさを覚えたか。それ以上に見事な正答率に驚いた。細かい所では間違っていても、根幹は間違っていない。どれほどの検証を積み重ねてきたのだろうか。私にはその根気がなかった。そう感慨に耽っていると、アイツはまた、唐突に話し出した。
「僕は犯人が何故どのように猫を殺したのかについては推察していたが、犯人が人を殺したときどのような方法を使ったのか分からなくなった。私の案は猫を殺すために罠を作ったという事前提にしている。今回の事件の被害者も同じような切り口であったという事なら、同じ殺害方法と考えるのが自然だ。だが、そうなると明らかに人を殺すに足る大きさにはならない。では、初めから人を殺すために罠を作ったのだとしたら、少なくとも2年前から猫を殺すための罠があったことと最近になってようやく人を殺したこととが矛盾するんだ。ただし、犯人が2年間人を耐え続けれるだけの忍耐力があるなら別だがね。どう思う。」
突然の質問に私は少し驚いたが、直ぐに答えた。
「君の推測は大概当たっているけど最後の方は君は考えすぎたよ。どんな動機にしろ猫を追い払うのではなく、殺すために罠を作った犯人は明らかに直情的で、そこまで理性的であるとは思えない。君のいう忍耐力を犯人が持っている訳が無いよ。そう考えれば、犯人は初めは猫を殺すために罠を作ったに違いないんだよ。君は理屈屋で殺すという行為にすら合理性を求めてる。確かにその方が、推測する上では楽に出来るだろうしユニークな結論に至ることも出来るだろう。でもね、実際に殺害をするとなると合理的に動く事が出来る人は少ない。もう答えを言ってしまうけどね。確かに猫を殺したのは罠だし、あの切り口は偶然だが、確実性を高めるためにトリモチを使うほど狡猾では無い。それに殺人をする際も切り口が同じだったのは、手に馴染んだ道具を使いと思っただけじゃないらしい。犯人曰く、『普通の刃物を使うよりも検挙されにくいと思った』との事だ。まぁ、実際警察は切り口にも興味を持ったけれど、遺体に付着していた犯人のDNAから犯人を特定したようだ。マヌケな話だよ。凡百の犯人の犯行について推理大会をしたところで全く退屈な結果になってしまうという教訓にはなったとしよう。」
アイツが満足出来たかどうかは分からない。それでも私は今回の事件で求めていた刺激の一端を得ることが出来た気がした。