第18話 動きだした時間
「んん~…、うるさいわねぇ…」
俺と高畑先生のとりとめのない会話は、眠り姫の少ししわがれた声によって中断された。
「まさか…本当に目覚めたのか?」
高畑先生が慌てて彼女の枕元に駆け寄った。彼女は眩しそうに薄目を開け、瞼をパチパさせていた。
「あれ?…高畑先輩? 白衣なんか着てどうしたの?…ここは何処なの?」
吉田紗弥香さんが半分寝ぼけているような口調で呟いた。何しろ10年ぶりの発声である。俺はよく喋れるもんだなと感心した。
「ここは病院だよ。君は長い間意識不明の状態で眠っていたんだ。事故のことは覚えているかい?」
高畑先生が優しく尋ねた。
「ああ! 薬師岳を縦走している時に急に足元が崩れて…わたし滑落したのね…」
紗弥香さんが慌てて上半身を起こそうとするが、重力に引き戻されベッドへ再び倒れ込む。
「あ゛…、ぁれ?…。身体が重い?」
高畑先生は掛布団をめくると、紗弥香さんの両手を包み込むように握った。
「大丈夫。何も心配することはないよ。君は長い間眠っていたせいで、筋力が落ちているだけだ。僕が付いている。ちょっと訓練すれば、直ぐに歩けるようになるさ」
「高畑さん、ちょっと老けた? わたし、どの位眠っていたの?…」
紗弥香さんの視線が、不安げに宙をさまよった。
人生の最も輝いていたはずの10年間を失ってしまったのだ。ご両親も亡くなっているそうだし、真実を知らされたら、彼女はどれ程の衝撃を受けるだろうか。
「その話は後にしよう。先ずは昏睡から覚めたことを喜ぼうじゃないか」
高畑先生が一瞬紗弥香さんから片手を離し、ナースコールのボタンを押した。
『どうされました』
インターフォンから若い女性の声が響いた。ナースステーションに詰めている担当看護師だろう。
「高畑だ。807号室の吉田さんが目覚めた。鎮静剤〇〇〇〇〇の注射準備をしてくれ。あと、カウンセラーの飯田先生に直ぐこちらに来るよう連絡してくれ」
『えぇ!?…、わっ分かりました。直ぐに準備します』
10年間変化の無かった患者が目覚めたのだ。看護師が驚くのも無理はないだろう。
「とにかく目覚めてくれて良かった…。本当に良かった…」
高畑先生が紗弥香さんの手を握ったまま、両膝を床につけ跪いた。完全に涙声になっていた。
これで俺の役目も一段落かな。
高畑先生が治療したいもう一人の患者は、手持ちの回復薬ではどうにもならない病状だった。このまま二人を眺めていても仕方がない。帰るとするか…。
「それでは、俺はこれで失礼します」
俺は一礼すると、病室から出て行こうとした。
「待ちたまえ」
高畑先生に呼び止められたので振り返ると、先生は既に立ち上がっていた。俺の方に歩み寄り、白衣のポットを探ると、封筒を取り出した。
「回復薬の報酬だ」
押し付けられた封筒を覗くと、分厚い一万札の束が入っていた。動揺した俺は、慌てて封筒を返そうとした。
「えっ!? こんな大金貰えませんよ!」
「受け取ってくれ。この回復薬には、それだけの価値がある。とめ吉さん、源太さん、蘭さん、そして紗弥香さんの病状は、本来ならその10倍の金額を掛けても治らないものだ。これは正当な報酬だよ。…それに」
高畑先生が両頬に流れた涙の跡を、白衣の袖で拭った。
「ギリギリ贈与税が発生しない金額に抑えてある。もっとも、税務署は君の魔法の『収納』の中まで査察出来ないだろうがね」
ニヤリと笑った先生の顔は、本当に晴れ晴れとしていた。
体調不良のため、投稿が遅くなってすみません。
シリアス回はあまり面白くないかもしれませんが、ギャグ回ばかり続けるわけにはいきませんからね。




