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処女迷宮 -ヴァージン・ダンジョン-  作者: 如月青河
第三章 地球の回復薬編
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第16話 倉田蘭(仮名)の場合

「退院って…、いきなり、そんな」

「いや、さすがにそれはちょっと早過ぎるんじゃ…」


 二人とも急に難色を示し始めた。


「おや、退院した後の生活が心配ですか?」


 高畑先生が訊ねると、とめ吉さんと源太さんは示し合せたように首を振った。


「そうじゃないんじゃ」


「なあ、先生。例のあの『青汁』、蘭さんにも飲ませてやってはくれんか…」


 源太さんが真剣な表情で高畑先生の目を真っ直ぐに見た。


「ワシからもお願いする。どうか蘭さんに『青汁』を飲ませてやってくれ」


 さっきまで喧嘩していたのが嘘のように、とめ吉さんが源太さんと息の合ったところを見せた。


「はて? 蘭さんとは、誰のことですかね?」


 蘭と云う人物を知らないらしく、高畑先生が首を傾げた。


「倉田蘭(仮名)さんは6Fに入院しているオレ等のマドンナだよ」


「可哀そうに膝を痛めてしまって、満足に歩けねーんだ。頼むよ、先生。『青汁』を蘭さんにやってくれないか」


 二人揃って、高畑先生へ白髪頭と禿げ頭を交互に下げる。


「う~ん。困りましたね。6Fって云ったら整形外科の患者さんじゃないですか。他所の科の患者さんに下手なもの勝手に飲ませるわけには行きませんよ」


 高畑先生が困惑したように難色を示した。


 そりゃそうだよな。自分の担当する患者なら回復薬(ポーション)のことを何とでも誤魔化しようがあるけど、他所の患者じゃそう云うわけにはいかないもんな。この話は断るしかないだろう。




「どうしてこうなった…」


 俺はまったく納得のいかない表情で、6Fラウンジに立っていた。各階に設けられたラウンジは、入院患者や家族の憩いの場として作られたものであり、外壁側が見晴らしの良い全面ガラス張りになっている。椅子やテーブルの他、自販機・給湯器・電子レンジやオーブントースターまである至れり尽くせりな施設である。特に6Fラウンジは、各階に入院するジジ・ハバたちのサロンと化していた。


「まさか灰田先生の方からお声がかかるとは、思ってもみませんでしたよ」


 高畑先生が苦笑いしながら整形外科の医師に話しかけた。整形外科の灰田先生は50代の女医さんで、白髪混じりの頭をショートカットにしている柔らかい印象の女性だった。


「ご免なさいね、高畑先生。『奇跡の青汁』でしたっけ? 佐藤さんと鈴木さんが、あんまり熱心に勧めるもんだから、わたしも興味を持ったのよ」


 灰田先生が申し訳なさそうに頭を下げた。


「いや、奇跡なんて大袈裟ですから。ただの『青汁』にそんな効果はありませんよ。とめ吉さんと源太さんの場合は、たまたまリハビリが上手くいっただけですから」


「わかっているわよ。『青汁』効果をそんなに期待しているわけじゃないの。クラランの場合は、身体より心の問題の方が大きいのよね」


 高畑先生が言い訳しようとすると、灰田先生が微笑を浮かべて首を横に振った。


「クララン?」


「倉田蘭さんの愛称よ。患者たちの呼び方が、何時の間にか感染ってしまったわ」


 灰田先生が、老人ばかり五六人の男性に囲まれた車椅子の老婆を指差した。

 倉田蘭(仮名・78歳)さんは背中まで伸ばした長い髪を茶髪に染めた小柄なお婆ちゃんだった。水色のリボンを頭で蝶結びにしているようなハイカラなお婆ちゃんである。


「それで彼女はどう云う症状なんですか?」


 高畑先生が訊ねると、灰田先生の顔が医師のものに変わった。


「倉田さんの両膝は軟骨が擦り減ってしまった状態なのよ。骨が筋に直接当たるもんだから、痛くて立つことも歩くことも出ないの。わたしたちは人工関節を入れることを勧めているんだけど、倉田さん本人が手術を怖がってしまってね。『青汁』でも何でも、これで彼女が少しでも前向きになってくれたら良いんだけど…」


 灰田先生の言葉は、最後は溜め息混じりになっていた。


「どう思う?」


 高畑先生が小声で俺に意見を聞いて来た。


「軟骨の再生なんて単純なもの、あっと云う間に終わりますよ」


 俺は小声で正直に返した。


「誤魔化せるかな?」


「無理ですね」


「口止めするしかないか…」


 高畑先生はそう呟くと、灰田先生に向き直った。


「灰田先生。『青汁』を提供する条件は、守って頂けるのでしょうね」


「詮索をしないこと。他言しないこと。これ一本限りで、それ以上の提供を求めないこと…だったかしら。もちろん守るわよ。でもそんなこと云われると、却って詮索したくなるのよね」


 灰田先生が苦笑しながら約束してくれた。



 蘭さんに栓の抜かれた回復薬の小瓶が手渡された。

 しかし彼女は瓶を両手で持ったまま逡巡し、なかなか飲もうとしなかった。


「勇気をを出して飲むんじゃ、蘭さん」


 たまりかねたとめ吉さんが声を上げた。


「そうだ、蘭さん。オレもとめ吉もこの『青汁』を飲んで歩けるようになったんだ。蘭さんもきっと歩けるようになる!」


 源太さんが呼応するように励ました。


「でも、『青汁』なのよね…。不味そうだわ」


 蘭さんが嫌そうに顔を顰めた。ラウンジにいる十数人の爺さん婆さんたちの視線が、蘭さんの手元に集中した。


 蘭さんは諦めたように回復薬に口をつけると、中身を一気に飲み込んだ。喉がコクンコクンコクンと鳴った。


「何だか胃の辺りが温かくなってきたわ…」


 暫くすると、蘭さんがお腹をさすり始めた。


「大丈夫、ワシの時もそうじゃった」


 とめ吉さんが満足そうに肯いた。


「何だか膝の辺りが熱くなってきたわ。どうしたのかしら…」


 蘭さんが、戸惑ったとように両膝を手で撫ぜた。


「膝が良くなっている証拠だよ。すぐに歩けるようになるぞ」


 源太さんが確信したように断言した。


 それから少し経って膝の熱が引いた頃、蘭さんは両膝の膝頭辺りを不思議そうに眺めていた。


「おかしいわ…。あれほどズキズキと痛んだ膝の痛みがまったく感じられないわ…」


 蘭さんが首を傾げた。


「立ってみるかい?」


 源太さんが、おずおずと訊ねた。


「無理よ! やっぱり怖いわ」


 蘭さんの視線が不安げに泳いだ。


「大丈夫、ワシが横で支えてやる」


 とめ吉さんが進み出ると、蘭さんの右手を優しく握った。


「オレもいるぞ」


 源太さんが蘭さんの左手を騎士(ナイト)のようにとった。


「勇気を出すんじゃ蘭さん」


「え、ええ…」


 蘭さんは決心したように車椅子のフットプレートから足を下ろすと、アームレストを掴んだ両腕に力を込めた。とめ吉さん源太さんに支えられて、蘭さんがゆっくりと立ち上がる。


「そ、そんな…。クラランが立ってる!」


 医学的に一番有り得ないと云うことを知っている灰田医師が、口元に手をあてがい、目を見開き驚きの声を上げた。


「不思議ねえ…。立ってるのに、ちっとも膝が痛くないわ…」


 何より立っている本人が一番不思議に感じているのだった。

 よろよろとではあるが、そのまま一歩二歩三歩と、蘭さんが足を踏み出す。


「信じられない…」

「蘭さんが歩いたぞ!」

「クラランが歩いてる!」


 ラウンジに集まった10人余りの老人たちの間に、どよめきともつかぬ歓声が広がった。

「クラランが立った!」が書きたかっただけでした。

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