別れ
その後、自宅まで送ってくれた斎と別れを惜しんだ後、こっそりこっそり入ろうとした玄関には姉が仁王立ちしていた。
……非常にいい笑顔で。
「ふふふ、その様子だといつっきーと上手くいったみたいねぇ~?」
お赤飯を炊こうとでも言い出しそうな姉の様子に、私の顔は引きつった。
「もしかして見てた?」
「見てたってお別れのチューとか? あ、図星? 図星?」
家の前だったからよく考えたら危なかったよなと思いつつ、バカ正直に反応してしまう自分が恨めしい。
「知らないっ!」
これ以上墓穴を掘るのはごめんだ。私は早々に自室へと駆け込んだ。
だめだ、今日は絶対眠れない。
私はベッドに倒れこんだ。
心理的ブレーキというのは厄介なものだ。
私にとってこの世界はリアルであり現実じゃない。中途半端な世界だった。姉は半生と言った。なんか嫌な響きだ。
この世界はいつまで続くのか。
姉の推論通りならば、あと一年も続かない。それが外れていれば一生続くかも知れない。あくまで金梨千佳という、私であって私じゃない人間として。
金梨千佳の記憶はあっても、それは感情を伴わなかった。そして今の生活は姉こそいるが、今までの友達が一人もいない状態だった。そして父も母も。
地に足が着かない生活というのは、なんとも頼りない。
資金稼ぎに精を出しているのも、ある種私がここで消えてもお金が戻ってこないのはたいした問題じゃないからだ。人間関係を深くしすぎると、別れが辛い。来週、来月、来年。遊びに約束をして、私がそのときまで私として存在している保証はないのだ。
私は割りとドライな性格だから、友達であればそれなりに平気だと思う。いつか別々の道を行くのだし、離れた場所でも元気でいてくれたら満足だ。
でも彼氏は違う。と思う。そばにいてほしいから。
斎からの告白にOKしたものの、悶々と悩んでいた私はベッドの上で転げまわっていた。
と、ノックの音がした。
「千佳ちゃん、いい?」
予想はしていたが入ってきたのは姉だった。一応帰宅から時間を置いてくれたあたり、気を使ってくれたようだ。
「何?」
私が八つ当たり気味に言い返すと、姉は私のすぐ横に座った。そしてぽんぽんと私の頭をなでる。
「……若者の特権は、後のことを考えずに突っ走れることだよ、千佳ちゃん」
その言葉は、どう考えても私が今悩んでいることに対するアドバイスだった。
「仕事とか利害関係とか結婚とか社会的な体面とか、そういうの、学生の間くらいは気にしなくていいんだから。友達でも彼氏でもね。一秒たりとも無駄にしないよう、大事にしときなさい」
諭すような言葉は、なんだか妙に重かった。
「お姉ちゃんからのアドバイスよ。やるだけやっときなさい。やらなかったときより断然後悔は少ないから。マジで」
真剣な話のときに若者言葉を混ぜられるとなんとなく軽くなるなぁ。
「お姉ちゃんはどうなの?」
私が訪ねると、姉はにっこり笑った。
「そんなの、学生時代全力で楽しんでるに決まってるじゃない。部活でしょ、学校行事でしょ、ボランティア活動でしょ、まあ習い事は面倒だけど。勉強だけしとけばいいし、上司がいないのが楽で楽で」
妙に実感こもってるなぁ。
「ま、だから全力で突っ走りなさい、千佳ちゃん」
そういわれたからといってすぐに吹っ切れるわけではなかったけど、姉の言葉は私に決意をさせるには十分だった。
そこから私と斎は我ながらバカップルだと思う程度には楽しく残りの学園生活を送ることになった。
といっても勉強付けは相変わらずで、二人で同じT大を目指そうという話になっていた。
っていうか、思うんだ。乙女ゲームだと展開上ラストでカップル成立だけど、カップルになってから困難乗り越えた方が楽だったんじゃない? と。じれじれの距離感も好きですが、私は甘い展開も好きだということが分かりました。まる。
そしてついに卒業式を迎えて、ゲームならばクライマックス。
ストレスで胃に穴が開くことすら懸念していたT大受験も無事合格し、私は晴れて斎と同じ大学に進学することとなった。
「これかもよろしくな、千佳」
すぐに返事を返せなかった私は斎に思いっきり抱きついた。いつかのときと違うのは、私の心だった。
「うん。ずっと一緒にいようね」
声は震えていた。泣きそうになっている顔を、斎には見られたくなかった。
そしてまばゆい光に包まれて、気づけば私は私の部屋にいた。
久しぶりに見る、ちゃんとした顔の姉と共に。何故か呪いの本はなかった。
「……イッツァ、マジカルワールド! ハハッ」
この場で某ネズミの物まねをする姉は剛の者である。
「お姉ちゃん、つかぬことをお聞きするけど」
私は恐る恐る姉に尋ねた。
「ん、何? 千佳ちゃんは乙女ゲームは実名プレイ派だってこと? 物書きになろうってサイトをよく見てるってこと? それとも初デートでチューまでしちゃうくらいにはおませさんってこと?」
「ちょっ! 言い方! それ言ったらお姉ちゃんだって夢小説のサイト持ってたんでしょうに!」
泡を食って慌てる私に、姉は余裕の表情だ。
「んー、どうやらあの記憶は共通みたいね」
姉はスマートフォンを取り出してなにやら確認をしている。
「一炊の夢どころか、十分くらいしか経ってないみたいよ?」
画面を見てみれば、たぶん呪いの本を姉が持ってきたときと同じ日付が表示されていた。時間は覚えていないけど、姉がいうならそうなんだろう。
「そ、か……」
私は足から力が抜けて、ぺたんと床に座り込んだ。
ぶわりと涙がこみ上げてくる。あれは単なる私の幻覚ではなかったということは嬉しい。だけど二度と会えないことが分かって悲しい。
じわじわと状況が理解されていく中で、私はどんどん悲しくなってきた。こらえていたはずなのに声が漏れる。姉は優しく抱きしめた。
「千佳ちゃん、大丈夫だから」
小さい子供をなだめるかのような声音に、いよいよ我慢が聞かなくなった私は大声で泣いてしまったのだった。