奇跡
その後。模試ではB判定が取れた。A判定にはまだ足りないらしい。うん、まあでも偏差値的にB判定取れただけでもすごいとこだし、と言い訳しておく。
「よし、じゃあ奇跡祝いに行きたいとこあるか?」
「奇跡じゃないし!」
私は憤然と抗議しつつも行きたい場所を思い浮かべる。
「文化体育館で今度やるっていうIT業界の寵児の講演会!」
「却下だ」
何故か若干食い気味に却下された。
「今度の土曜にやる若手ベンチャー企業の社長が主催の勉強会兼交流会!」
「却下だ」
「さ、最新加工技術総合展」
「却下だ!」
「ひどい、行きたいところって言ったじゃん!」
「だからお前はアホなんだよ!」
何故か分からないがとても怒られた。
「ワーカーホリックのおっさんじゃあるまいし、もっと女子高生らしい場所は提案できねぇのか!」
おっさんと言われるとは心外である。
「で、でも遊園地とか行って、友達とかに噂されたら恥ずかしいし……」
「学校で銭ゲバって噂されてる今は恥ずかしくないのか?」
「いや、割と誇らしい」
陰日向で銭ゲバと呼ばれていることは百も承知である。市場調査のために休日の町を目を皿のようにして歩き、毎日三社の新聞を読み、儲け話がないか常に聞きまわる。ゲームに則った攻略法だが、実際やってみると鬼気迫るものがある。あと金銭援助目的で攻略キャラたちに近づいたといわれているのも承知である。そして割と事実である。このゲームの仕様上、とき○モのような爆弾処理がなくてよいのは非常に楽である。というか、放課後や登下校がデートに限らずコミュニケーションをとる方法などいくらでもある。文明の利器様様だ。
斎は深いため息をついた。
「金稼ぎなんてこれからいくらでもできるんだし、別にそんな人生駆け足で進まなくたっていいだろう。お前、能天気だから長生きしそうだし」
「……それを常に全力投球余裕なしだった斎君に言われるのは心外だなぁ。それに私が能天気なら斎君はストレスで早々にハゲそ、いだだだだ」
女子にアイアンクローを食らわせる男子はいかがなものか。
「俺だって――別に、今はそこまでは――」
なにやらぶつぶつ言っているが、自分のうめき声のせいでよく聞こえない。ハゲるって禁句だったのかな。そうだよね、まだフサフサだもんね。
結局、騒ぎを聞きつけた姉の仲裁により、私と斎で遊園地に行くことになった。
当日はたぶん普通の高校生っぽい楽しみ方をしてたんじゃないかと思う。
実を言うなら乙女ゲームの世界だと思いつつ、男の子と二人っきりで出かけるのはこれが初めてだったりするのだが。
夕暮れ時になって、最後に観覧車に乗るというベタな提案をした私は、斎と共にあまり人の並んでいない観覧車へと向かいあって乗りこんだ。
「今日は遊びに遊んだね! お土産も買ったし!」
「土産屋で市場調査もできたし?」
「うん!」
半ば嫌味っぽく言われたが、私はサムズアップして元気に答えた。某攻略サイトによると、遊園地と動物園のみやげ物は株価の変動と多少関係があるらしいのだ。斎はじとりとした目で私を見る。なんでだ、趣味と実益を兼ねたいい買い物だったじゃないか。
「銭ゲバ……」
「何とでもおっしゃいな」
私が言い返すと、斎はため息をついた。
夕焼けに染まった町並みが徐々に遠くなる。この観覧車、一周が十五分以上かかるという大きいものである。
「……にしても、最近斎君はリラックスしてるよね」
思いついて言えば、斎の眉がぴくりと動いた。
「そう見えるか?」
「うん。一年のころと比べたらかなり。受験が近づいてきているというのにっ」
私がついつい力んで言うと、斎はぷっと吹きだした。
「能天気な奴がそばにいるからじゃないか?」
「ふーん、私の知ってる人?」
「……」
なんかすごい目で見られた。これは様式美のギャグだというのに。
「冗談だよ。私、斎君のリ○ックマになれて嬉しいなっ」
「お前たとえ微妙だよな」
「シャーラップ!」
「発音悪いし」
追い討ちである。
膨れる私の頬をつつく斎はまさに勇者と呼ぶにふさわしい蛮行をしてくる。まれによくある。
「ま、俺は別に受験とかそこまで切羽詰ってやらなくても合格はできるからな。主席合格にこだわる必要も感じなくなったし」
「聞きました奥さん、この余裕の発言!」
「誰に言ってんだよ」
斎が笑う。
しかしいやホントに、斎もよく笑うようになったものだと思う。姉いわく、斎の変貌っぷりは月○蓮を彷彿とさせるらしい。誰だそれ。
最初に会ったころの斎は、いつだって無表情だった。兄に対するコンプレックスと、優秀な家族を持つプレッシャー、そしてエベレストのごとく聳え立つプライドが、他人に弱みを見せないために無表情という仮面をかぶらせていた。常に顔がこわばっていたとも言える。
斎の兄はいわゆる天才で、何をやらせても一番という末恐ろしい人物だった。しかも社交的。秀才型で人付き合いがまだまだ苦手な斎にとっては、まさに超えられない巨大な壁だったろう。というか、むしろ自分が穴の底にいる感覚とだったに違いない。相手が高いのではなく、自分が低いのだ、という。
私も良く知っている感覚だ。
「……うん、ま、でも。何も言わないでいてくれるってのは本当にありがたかったよ」
斎はそれこそ以前からは考えられないくらいに柔らかく笑った。
「……お互い様でしょ」
私は苦笑した。
そう。お互い様だ。
優秀な家族を持つと、自分が劣等生に思えてしょうがなくなるなんて。
乙女ゲームの世界のヒロインになったからといって、中身が私のままではどうしようもない。好きな作品ではあるけど、やりこみはまだまだ途中だったし。私の性格ではヒロインの真似事なんて難しい。それに、他人の心の傷なんて触れるのは傷つけてしまいそうで恐ろしかった。それが恋愛ルートではなく富豪ルートを目指している理由。
まして、斎はゲームとしてプレイしている最中から私の胸をえぐり、辛くなるほど共感させていたのだから。
「――数年前まではさ、お姉ちゃんは何でもできて品行方正で優秀で、非の打ち所のない完璧人間だと思ってたんだ、私。先生とか周りの人もそう言ってたしね」
まだ姉当人にすら言っていない言葉が、彼に対してはするりと出てきた。斎はじっと私を見ているが、言葉は発しなかった。
「でもさ、実は全然そんなことなくって、確かに優秀なんだけど、そもそも優秀だった理由が不純だったっていうか、なんていうのかな。私に対してはカッコつけてたってことが分かって、なんか毒気が抜かれちゃって」
――年少の妹弟に対して、年長の人間ってのは多少なりとも見栄を張るものよ。年が離れてたら尚のことね。千佳ちゃんに素敵なお姉ちゃんって思ってほしいもの。
「小さい子供のころ、お姉ちゃんが何でもできるって思って目をきらきらさせてた妹の期待を裏切りたくなかったんだって」
私は小さく笑った。
「なんかそれ知ったら、勝手にいろいろ気にしてたのが馬鹿みたいだなって。お姉ちゃんは私と自分を比べたりしなかったのに、私が一番お姉ちゃんと自分を比べていじけてたんだから」
成績優秀なのは親に同人活動のバックアップを取り付けるため。雑学に詳しいのはいろんな漫画や小説を読んだり同人活動中にいろいろと調べる機会があったから。いい大学に入学したのは、当時の一番の好きなキャラと同じ大学に行きたかったから。いい会社に入ったのは、趣味に費やすお金を稼ぐため。品行方正なのはオタクバレを恐れたための過剰な擬態。部屋がシンプルで綺麗なのもオタク用の品を隠していたから。
うん、真実を明らかにしてみればすべて実に不純な理由だった。才能の差はあれど、原動力の差を知ってしまえば多少はしょうがないかなと思う。呆れと尊敬の入り混じった複雑な心境だ。
「――? 千佳と皐月って、高校に入ってからが初対面じゃなかったのか?」
不思議そうな顔の斎に、私は内心で慌てた。
「子供のころに何回か会ってたんだよ」
私の咄嗟の嘘に、斎はへぇ、と短い返答をした。
「妹の期待を裏切りたくない、ね」
斎は遠い目をした。彼も思うところがあるのだろう。
私はゲームで一度見たから、斎のお兄さんが別に完璧超人というわけではないことを知っている。何せ斎のお兄さんは、少し年の離れた弟にどう接すればいいのか分からないくらいには不器用な人だから。
「……っていうか、不純な理由って?」
「え、そこ聞いちゃう?」
おもむろにアンタッチャブルな質問をしてきた。
「……お姉ちゃんの名誉のために、黙秘権行使するよ」
「どんな理由なんだよ!」
私は黙秘権を行使した。いや、うん。お嬢様キャラで通ってる姉がオタクとバレた日にはいろいろ困るからね。
「秘密が女を美しくするんだってお姉ちゃんが言ってたし」
「お前ら義理の姉妹とは思えないくらい仲良いよな」
呆れたように斎が嘆息した。こういうデリケートな話題にも触れられるようになったというのは、仲良くなった証拠だと思う。
私はにやりと笑って返す。
「斎君もお兄さんと好きな女の子の話でもすれば一気に仲良くなれるんじゃない?」
少なくとも姉とはオタトークを繰り広げたことによっていろいろなことが分かったし。特に好きキャラについては熱い討論が繰り広げられた。オタク歴が長い姉は漫画、ゲームのカバー範囲がべらぼうに広かったので話が通じること通じること。
「なっ」
何故か斎はひどく動揺した。やっぱり、男の子はそういうのは兄弟間では恥ずかしいんだろうか。や、でも考えたら斎がグラビア雑誌もってお兄さんと女の子の評論会とかやるキャラかっていったらそうでもないな。
「お、俺もっていうか……」
気づけば斎は夕日のせいというには赤すぎるくらいに顔を赤らめていた。そんなピュアボーイだったのか、なんとなく知ってたけど申し訳ない。
どうやら慌てふためいているらしい斎は、そわそわしながら視線をせわしなくさ迷わせていた。
ここは話題転換するべきだろう。
「そういえば知ってる? ここの観覧車って、頂上でキスしたカップルは幸せになれるってジンクスあるんだって。ちょうど今頂上くらいじゃない?」
観覧車といえば、と思って考えなしに言ってしまったのでだけだが、私のつぶやきにふと観覧車の中に沈黙が落ちた。一瞬、視線が絡んですぐにそらしてしまった。
間違いなく意識してしまった。お互いに。
「隣のゴンドラとか覗いてみたらっ……!」
無理やり空気を変えようと言いかけた言葉は途切れた。斎の唇によって。
温かい。っていうか熱い。頭の中が突沸でもしたかのように考えが支離滅裂になる。心臓がバクバク言ってる。一瞬離れかけたかと思えばまた深くなる。柔らかい。ふわふわする。
身を引こうとした私の体を、斎が腕を回して引きとめた。それどころか、斎によって引き寄せられた私の体は、彼のすぐ隣へと移動した。キスは止まない。腕の回された腰がまた熱を持つ。
っていうか長くない? これが普通なの? そうなの?
呼吸困難で息も絶え絶えになったころに、ようやく斎が唇を離した。
「ジンクス成立?」
いつものような強気な口調だが、耳まで真っ赤になっていた。私もたぶん似たような状態なので人のことは言えないけどさ!
「~~~~! バカ! バカバカバカ!」
ようやく正気に戻って斎の胸を叩くが、本人はどこ吹く風である。っていうか、腰に回した腕外れてない!
私が拘束から逃れようと身をよじると、斎がぎゅっと抱きしめてきた。
「俺は千佳のこと好きだよ。本気」
囁くような声は、びっくりするくらい真剣だった。
「千佳、これぐらいはっきり表現しないと逃げるだろ」
「うっ」
図星だ。
「……千佳は俺のこと嫌い?」
斎が私の顔を覗き込んでくる。不安そうに揺れる目に、思わず心臓がはねた。
「き、嫌いじゃ、ない……」
搾り出したような声は、情けなくも震えていた。
「じゃあ、好き?」
斎の腕に力がこもる。斎も緊張しているんだ。
息がかかるほど近くにいることで、心臓はさっきから壊れるんじゃないかと思うくらいにうるさい。
「……好きじゃなきゃ、二人だけで遊園地なんて、来ない」
あー、もう素直じゃない。自分で言ってて何を言ってるんだろうともだえたくなる。
そんな私の内心を知ってか知らでか、斎はぱっと花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
「そっか!」
嬉しくてたまらないという声に、全身がむずがゆいような複雑な感覚にとらわれる。
「そうだよ」
言葉にするのは苦手な私は、自分から斎にぎゅっと抱きついたのだった。