第三次焼肉大戦
(富永家)
「おい、まだ準備できないのか? 父さん、下で車のエンジン暖めとくから、早く降りてくるんだぞ」
階段下から父・康雄の声が響いてくる。
「分かってるわよ。ウルサイわね」
別に腹を立てているわけでもないのに、弥生の口から飛び出す言葉はとげとげしかった。まぁこの年頃の女の子というのは、父親に対してはだいたいこういうものなのかもしれない。
高校生になった弥生は、中途半端に大人の仲間入りをした。部活は中学時代もしていたが、今度はそこに加えてアルバイトまで始めだしたから、弥生はあまり家にいなくなった。昔はかなりの頻度で、家族で食事に出かけたり、連休には家族旅行にも行ったりしていたのだが、ここ最近の弥生は極端に家族との付き合いが悪くなった。
それを、父は極端に寂しがった。弥生は一人っ子だったため、父として親バカな愛情が行くのは無理なからぬことだったかもしれない。
母はまだその辺のことはわきまえていて、
「あの年頃になっちゃうとね、休みに家族なんかといるより、友達とか彼氏とかといたほうが楽しいものなのよ」
ぬわにぃ、彼氏!? と息巻く父を、失言を後悔した母は 「きっとまだあの子にはいませんよ」 と、なだめすかしていた。
彼氏がいないのは事実だが、それを人に言われると妙に腹の立つ弥生であった。
それ以来、父は大統領暗殺のスナイパーのように、弥生を誘い出すタイミングを狙いすましていた。
いよいよ今日、絶好のチャンスが巡ってきた、と言うわけだ。
たまたま、その金曜の夜はバイトのシフトも入らず、友人の誰からも誘われなかった弥生は、血に飢えたハンターと化した父に見事捕獲された、というわけだ。
家でゆっくりするつもりで、くつろぎモードの部屋着姿だった弥生は、やれめんどくさいのとブツブツ言いながら外出着に着替えた。
庭のガレージに出ると、低いアイドリング音を響かせるエスティマの車内には、すでに両親の姿があった。
まだ発進もしていないのに、ご丁寧にも両手でしっかりとハンドルを握りしめている。まるで、土俵上時間いっぱいで気合い十分の朝青龍のようだ。そう言えばあの人、来場所大丈夫なんかいな・・・?
エスティマの後部シートに弥生がおさまると、父は満を持して車を発進させた。
「で、今日はどこ行くの?」
「そうだな。父さんは無性に焼肉が食べたいぞ」
「・・・へい、へい」
弥生はため息をついて、シートにもたれかかった。父は極端に娘想いのくせに、不思議なところで自分のしたいようにする人であった。娘に 『どこに食べに行きたい?』 などと聞く配慮もない。
決して焼肉がイヤではなかった弥生は、特に反対もせずケータイーのメールチェックを始めた。
富永家の車は一路、「焼肉の 『だん』 」 という近所の焼肉店へと進路を取り、国道を進んだ。
「・・・段田男の五段活用、『だんだだんじんじじんずんずずんでんででんどんどどん』・・・♪」
どっかで聞いたことのあるヘンな歌が心に浮かび、弥生は思い出し笑いをした。
そういえば、段田男という演歌歌手は、今どうしてるんだろ?
(安井家)
「そうか」
父・政孝は腕組みして天井を仰いだ。
「・・・残念だったけど、あなたは頑張った。まだ一般入試もあるから、気を落とさないで頑張りなさい」
母、君子はソファーでうなだれる受験生の息子・慎二をなぐさめた。
「うん」
慎二は、か細い声で何とかそう返事をした。経験者ならその気持ちが分かると思うが、落ちたことが分かったその日の受験生というのはツライ。どれだけ慰められても、そう簡単には吹っ切れないものだ。
父もそれが分かっていただけに、何とかこの場を支配している嫌なムードを払拭しようと考えた。
「よしっ」
父は、意を決してスックと立ち上がった。その気合いの入りように、母と息子は唖然として父を見上げた。
「二人とも出かける用意をしろ。今日の夕食は焼肉食いに行くぞ」
「ええ?」
君子は躊躇して言った。 「そんな・・・、お夕飯の支度してしまいましたよ?」
「何を言っとる」
政孝は妻の一言を一蹴した。
「明日に回せ。ムリなら捨てろ。今なにより大事なのは、今日のことはパァッと忘れて、また明日から頑張れるようになることだ。うまい肉をたらふく食って、明日からみんなで心新たに行こうじゃないか」
単にあなたが食べたいんじゃ・・・? 君子はそう思ったが、横の慎二を見ると少しうれしそうな顔をしたので、この際投資は仕方ないか、と覚悟を決めた。月末で家計はそれほど余裕がないのだが・・・。
「心配するな」
政孝は厳かに言った。 「カネは、オレがもつ」
その一言で、君子は誰よりも行く気満々になった。
(樫本工務店)
すでに日の落ちた街を、三人の中年男がガニ股で歩く。
空のほとんどを、藍色の夜空が覆いつくしていた。オレンジ色の夕日は、彼方の空と地上が接する部分にほんの少し見える程度になってしまっていた。
「社長、腹減りましたねぇ」
社長について歩いていた二人の社員の一人、吉村は言った。
三人は、得意先を社用で訪問した帰りであった。
ここ最近の建設業界全体の不景気の中で、工務店の受注も減少傾向にあった。
『樫本工務店』 は、社長を含め従業員が7人しかいない、小さな会社だ。
得意先の機嫌を損ねて、たったひとつでも失うようなことがあっては、彼らの生計は立ち行かない。だから、社長以下全員、プライドもかなぐり捨てて頭を下げて回った。まぁ、かなぐり捨てるほどのプライドでもなかったのだが・・・。
「なんか、こう・・・パァ〜ッと憂さ晴らしでもしたいですよねぇ」
もう一人の社員・伊藤も言った。
家の方角も違う三人だったから、得意先を出ればそれぞれに帰ってもよかったのだが、今日はなぜか三人はつるんで歩いていた。しかも、どこへ行くともなく。
「よっしゃ」
社長は、ポン、と手を打った後で、禿げ上がった頭をペシペシと叩いた。
「決めたでぇ。今日は三人で焼肉や。日頃世話になっちょるから、経費で落としたる。他のヤツには黙っとれよ」
「マジっすかぁ!」
吉村と伊藤は、色めき立った。
「さっすが社長、話せるお人や。わいら、これからも社長について来て行きまっさ。ほんま、うれしゅうおますわ・・・」
いかつい顔つきながら根は純粋な二人は、涙を流して感謝した。
「お、お前ら大げさや・・・さ、そんな辛気臭い顔せんと。うまいもん食べるんやから、もっとにっこり笑わんかい!」
「はいっ! 社長!」
素直な二人は、暗がりで女子高生に会ったら一目散に逃げられそうな不気味な笑顔を無理矢理に浮かべた。
(焼肉店 『だん』 PM4:00 )
「・・・困った」
時間と共にズレてくる眼鏡の位置を何度も直しながら、店長の高田はホールの客席の間を動物園の熊のようにウロウロと歩き回った。今はちょうどランチタイムも終わり、夜のかきいれ時を待つ静かな時間である。現在、店内に客はいない。
「店長、何かあったんすか?」
ベテランのアルバイト店員、滝が声をかけた。彼は現在大学の三回生だが、入学したての時から勤務しており、店長の次にこの店のことを良く分かっている人物であった。
「厨房の大垣さんとホールの西田さん・黒川さんが急に来れなくなった」
「マジすか! どうやって店回します?」
これには、さすがの滝も絶望のあまり天井を仰いだ。
「そ、それがね」 妙に滑舌の悪い店長だったが、その理由はすぐに分かった。
「れ、連絡を取れたのがね・・・く、倉田くんだけだったんだよ」
とどめの一撃だった。滝は、ガックリと床に膝をついた。
「・・・世界の終わりや。ハルマゲドン接近や・・・」
倉田宏美は、つい最近に採用になったバイトの女子高生である。
言っちゃなんだが、彼女は・・・かなりの美少女であった。あまり、『焼肉屋でバイト』 する感じの子ではない。
面接に来た時、男性従業員は全員、影で喜んでいた。じかに面接に当たる店長などは、見事に鼻の下が伸びていた。もちろん、即採用。滝も思わず、都立A女の制服を着た可憐なその姿にケータイのカメラを向けたくなったほどであった。
しかし。それは、悪夢の始まりであった。
『天は二物を与えず』 という言葉が最も実感できるのがこの倉田さんだった。
愛想はいいのだが、オーダーの略称をまったく覚えない。
オーダーを取ってきても、よく間違っている。客の言ったのを正しく聞き取っていないようだ。まるで伝言ゲームでもしたかのように、違った内容を厨房に出力し、後でこんなもの頼んでない、とか客から苦情が来る。
・・・この子の耳には、ヘンな音声変換機能でも付いてるんかいな?
しかし、働き出してからまだ一週間経たない。実際に求人してもすぐには反応がないことも多いし、即首というのも難しい。もうちょっと教育すれば、もしかしたら使えるようになるかも? という部分もあった。
しかしである。猫の手も借りたい、というこの非常事態にあの子というのは・・・キツすぎる!
店長と滝は、夜という戦場に思いを馳せ、暗澹たる気分になった。
図らずも今日は金曜日。
店内の有線は、ドリカムの 『決戦は金曜日』 を流していた。
(焼肉店 『だん』 PM7:00 )
「父さん。とりあえずある程度にしといて、足りなかったら後から頼めばいいじゃん」
母と娘は、こういう店に来ると気が大きくなって食べきれないほど注文してしまう父の暴走を止めるため、必死に彼の意見を調整した。
何とか意見の一致を見た富永家は、テーブルにあった店員を呼ぶブザーを押した。
「・・・ご注文は、お決まりですか?」
お冷とおしぼりを持ってきた男性従業員に、弥生の父・康雄は家族の希望を取りまとめておいたものを告げた。
「ロース四人前・カルビ三人前・ミノ一人前、テッチャン一人前、ハツ2人前。ミニビビンバ三つ。あ、あとファミリーサラダ一つね」
「かしこまりました。ご注文繰り返させていただきます・・・」
ソツなく接客をこなした滝は、一礼して厨房の方へ消えていった。
「おい、そこの姉ちゃん」
社長は、近くでボウッとしていた倉田宏美に声をかけた。
数秒の間があって、彼女は 『はぁい』 と言って樫本工務店の面々のもとへ駆け寄ってきた。
「注文ゆうてもええか?」
宏美はエプロンのポケットからオーダーを入力するらしい機械端末を取り出して構えた。
「どうぞ」
社長は、生中三つと、適当に肉を頼んだ後で吉村と伊藤に言った。
「よっしゃ。今日は特別にこの 『数量限定・特選但馬和牛ロース』 ちゅうのを頼んでみよやないか」
二人は、目を丸くした。
「しゃ、社長・・・、ええんでっか? これ、経費でっしゃろ?」
「武士に二言はない」
いったいいつ武士になどなったのか、社長は誇らしげに言う。
「男は、ここぞという時にはやらにゃいかんのや」
それは、仕事の時に発揮してもろたほうがありがたいわ・・・と思った二人だったが、そこは社長を立てて、
「よっ! 社長、日本一!」
仮にそうなら、もっとこの工務店は発展しているはずだ。
「・・・ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」
確認を取った宏美は、樫本工務店の面々を離れた。彼女が復唱した注文の内容は、確かに間違っていなかった。
「キャッ」
ビッタ〜ンという冗談のようなその音に、客はみな一斉にその視線を宏美に向けた。
ビールやコーラなどを冷やす冷蔵庫のすぐ近くで、ものの見事に転んでいた。
それは、途中で手をつくとか、受身をとるとかいう次元のものではない。これ以上にきれいな転び方は、世界のどこを探してもないであろう。
「痛った〜いぃ」
彼女は顔面を押さえて立ち上がった。
「倉田さん、大丈夫!?」
店長が心配して駆け寄ったが、涙目ながらもそのカワイイ顔でにっこり笑い、「はい。大丈夫ですぅ。ご心配かけましたぁ〜」
カワイイ子というのは、得である。失敗しても、たったそれだけの仕草で許されてしまう。
例えばこれが、『ハリセンボン』 の二人だったりなんかすると、機銃掃射を食らうのだろうか。
宏美は、厨房にオーダーを通した。
この時、すでに事件ほ火種は爆発のきっかけを求めてくすぶっていたのだ。
「お呼びになりましたかぁ」
気を取り直した宏美が向かったのは、受験生を抱える安井家のテーブルだった。
「ああ」
父の政孝は、エヘンと一つ咳払いして言った。
「この・・・、『特選』 という字のつくものを全部三人前づつ持ってきてくれ」
母と息子は驚いた。 「あ、あなた・・・その、大丈夫なの?」
「バカを言うな」
政孝は鼻息も荒く言った。
「男にはなぁ、ここぞという時にはやらなきゃいかんことがあるのだ」
・・・どこかで聞いたようなセリフである。
「ワシはなぁ、慎二にうまいもの食わせて元気付けてやりたいんじゃ」
そのやり取りを聞いていた単純な宏美は、感動した。
「息子さん思いのお父さんで、いいですねぇ〜」
美人な店員にそう言われて、政孝はまんざらでもない表情を浮かべた。
「ひぎゃっ」
君子に思いっきりお尻をつねり上げられた政孝は、情けない声を出して飛び上がった。
「じょ、冗談じゃねぇや」
冷蔵庫を開けた厨房のチーフ・勝倉は悲鳴を上げた。
「一体、どうしたって言うのさ?」
調理補助のパートの主婦、米山は何事かと駆け寄る。
「とっ、とっ、とっ・・・」
あまりのことに、すぐには声にならないようだ。
「特選牛肉が、ひとつも仕入れてねぇ! それだけじゃねぇ、ホルモン系も底をつきかけだ」
その声に、店長が駆けつける。
「・・・こりゃ大変だ。昨日の担当社員と引継ぎがうまくできてなかったんだな」
カウンター窓口から宏美が中を覗き込む。
「どうしますかぁ? 特選ロースとかぁ、結構オーダー取っちゃったんですけどぉ」
顔面蒼白になった勝倉は、声を絞り出した。
「と、とりあえず二人前だけ残っている・・・。これを一番先にオーダーしてくれたテーブルに回して、あとはお詫びして今日の分は終了してしまいました、と言うしかない」
血の気の無くなった勝倉は、たまっているオーダーをさばくべく、仕事に戻った。
米山は呆れ顔で言った。
「・・・チーフ。今切ってらっしゃるのは肉じゃなくって、まかない用のかまぼこですけど」
ピンポ〜ン
客からの呼び出しボタンが、従業員スペースに響いた。
「今、お伺いいたしまーす」
滝は客席に一声かけて、スタスタと電光板の示すテーブルに向かった。
「えー、御用でしたでしょうか?」
滝に声をかけられた康雄は、妻と娘の弥生を見た。
「・・・父さんは呼んでないぞ。誰かそこのボタン押したのか?」
「知らない」 弥生は関心もない、という風で網の上で音を立てて焼けていく肉と格闘していた。
「失礼しました」
腑に落ちない表情を浮かべた滝は、もう一度電光板が示したテーブル番号を確かめるべく厨房に戻ろうとした。
「おいっ」
男の野太い声が、店内に響き渡った。
声の主は、社長だった。
「はいっ、ただ今。どうかされましたでしょうか?」
店長は腰を低くして、樫本工務店の面々の待つテーブルに近付いた。
「呼び出しボタン押したのに、誰もこんっちゅうのはどういうわけや。生中、お代わり頼むわ」
日々、同じサービス業で苦労している社長は、ことこういうことには厳しくなってしまう。
「も、申し訳ございません・・・」
その後、数分を待たずして、客席の至る所から苦情が上がった。
「・・・一体、何がどうなっている?」
店長は、首をかしげた。
慌てて客席から駆けつけてきた滝は、息を整えて報告した。
「どうも、呼び出しボタンを押したお客様のテーブルと、こちらに反映される電光板の結果とが、一致してないみたいなんです」
「なんじゃそら」
「業務マニュアルによると・・・、制御システムはここの床下なんですが」
滝が、年に一度のメンテナンス以外は開けない床板の一部を上げてみると・・・。機械はブスブスと白い煙を吐き散らし、その不機嫌さを主張していた。
「これって・・・、さっき倉田さんが転んだところですよね・・・」
店長は、アイタタ・・・、と胃の辺りを押さえて事務所に走っていった。多分、胃薬を仕込んでから帰ってくることだろう。
「滝さん、これ・・・」
「もうっ。今度は何!?」
振り向いた滝は、『ムンクの叫び』 状態になった。
液晶にひびが入って、用をなさなくなったオーダー用の端末を手に、エヘヘと笑う宏美の姿があった。
今度ばかりは、彼女の可愛さも滝の苦悩を和らげるには不十分であった。
きっと、さっき転んだときに損傷したのだろう。これで、彼女が取ってきたオーダーの全情報は、おじゃんとなった。
客席では、ちょっとしたケンカが始まった。
「おいっ。そいつを寄こせというんだよっ」
安井家の父、政孝は樫本工務店の社長に迫った。
「こらっ。この特選但馬牛ロースは、オレ達が先に頼んだんだよっ」
社長は、腰をくねらせて特選牛をガードした。さながら、バスケのデフェンスを思わせる動きだった。
「お父さん、恥ずかしいからおやめなさいってば」
君子はそう言いながらオロオロしていたが、そのうち身内びいきがたたり、
「おっさん! そこトラベリングやぁぁ」 などと、的外れなことで文句を言い出した。
事の発端は、実に大人気なかった。
安井家のもとには滝がやって来て、「特選ロースは品切れになりました、申し訳ございません」 と頭を下げた。
しかし。
政孝は見てしまったのだ。宏美が 『特選ロース、お待たせしましたぁ』 と、通路を挟んで向かいのテーブルへ持っていったのを。
通常の精神状態なら、政孝は決してそのような暴挙に出なかっただろう。しかし、息子がまだチャンスはあるとはいえ本命の入試に落ち、励まさねばならぬと思いつめる余り、一度頼むと決めた特選ロースを自分たちが得られず他人が手にするというところに何か 『象徴的』 なものを感じてしまったのだ。
「よ、よこせっ! それはなぁ、お前よりもウチのほうがよっぽど必要としているんだ! お前には我が家の苦労が分かるかぁ! どれだけの思いを背負って焼肉を食いに来たかがぁっ」
対する社長も、負けていなかった。
「何を言うかっ。先に頼んだのはこっちだっ。何を言おうとこっちに権利があるんやっ。建設業界に吹き荒れる不況の嵐も知らんくせにぃ」
そこだけでなく、オーダーがきちんと通らず、店員呼び出し機能もマヒしたすれ違い状態に他の客も業を煮やした。
トゲトゲしくなる客たち。ただひたすらに耐えて頭を下げっぱなしの店員たち。
「みんな、やめてよぉ!」
安井家の受験生、慎二の絶叫が店内にこだました。
シーンと静まり返る店内。政孝と社長も、もみ合いをやめて彼を見つめた。
「父さんも・・・、ぼ、ぼくのせいでケンカなんてしないでよぉ。気持ちはうれしいけど、それこっちのものになったからって、こんな雰囲気じゃちっとも美味しくないよ。みんな仲良く、楽しく食べようよぉ」
政孝と社長を始め、店員に罵声を浴びせていた大人達は、恥じ入った。
「・・・そうだよな。店員さんだって、一生懸命やっててもなってしまったことなんだから、責めたってどうしようもないもんな」
金八先生にビシッと説教されたクラスのような、重苦しい雰囲気が店内に充満した。
「ア゛―――ッ !!!」
にしおかすみこのような突然の大声に、客たちは皆度肝を抜かれた。
調理補助の米山が、大きなテーブルを通路の真ん中に置く。その前にヌッと立ちはだかったのは声の主・勝倉。
「うるさいうるさいうるさいっ。てめぇら、女々しく四の五のぬかしてるんじゃねぇっ」
持って来た大きなロース肉の塊に包丁を突き立ててすごんだ。
もはやその場にいた客たちは、瞬間自分たちがここへ 『焼肉を楽しく食べに来た』 んだということすら忘れ去っていた。
「もう、オレはここで仕事させてもらうっ。肉の欲しいやつは、直接オレに言いやがれ」
それは、何とも珍妙な風景だった。
店員と客が協力し合い、テーブルを全部くっつけて四角形を作ったのその中央で肉を切る勝倉。サラダやスープ・ご飯ものをその横で米山が担当。
会議場のように並べられたその周囲に、客たちが座る。
しかし。それは家族単位、団体単位ではなかった。
「いや〜、さっきは申し訳なかった」
「こちらこそ。思わず血の気の多いのがバレてしまいましたわい。仕事はどないでっか?」
政孝・社長・康雄を中心に、意気投合した大人の男のグループ。
「残念でしたわねぇ。お宅の息子さん、志望はM大? ウチの娘なんてちっとも勉強しないんで困ってますのよぉ」
君子、そして弥生の母を中心とするママさんグループ。
「そっかぁ。三年だったら私のセンパイですねぇ。何組なんですか?」
「B組〜」
弥生、慎二を中心とする若者のグループ。
他人という垣根を越えて、皆が好きなように交流し、焼肉をほおばっていた。
店長、滝、そして宏美の三人は、やぶれかぶれになってかいがいしく立ち回った。
仕入れの手違いでホルモン系が尽きてしまったことに気付いた勝倉は、「ここぞ」 という時のために (そんな時はないのになぜ仕入れていたか疑問であるが)、客には告げずにとっときの一品に手をつけた。
「ちょっと、ご主人」
出された肉を一口食べた吉村は、勝倉に声をかけた。
その横で高田は、『店長はオレなのに・・・』 と思ってるのが丸分かりな寂しい表情をした。
「この肉、今まで食うたことないほど柔らかくて、まろやかなんやけど、ホンマに普通のハラミなんか?」
「バレちゃ、しょうがねぇなぁ」
勝倉は、言ってることとは裏腹に、良くぞ聞いてくれましたとばかりに解説を始めた。
「・・・これはなぁ、ミスジといわれる幻の肉や。フツーの店には置いてへんでぇ。一般的にいうところの肩肉の端に位置してて、1頭から数百グラムしかとれない貴重な肉なんや。赤身なのに綺麗な細やかなサシがはいってるやろ? ロースやモモとは画一した別世界の味わいでなぁ、あっさりとした食感、それでいて濃厚な味わい! 後味もキリッとしたとろける究極の肉やで〜」
それを聞いた客席はどよめいた。
「確かに、激ウマやわ。これ・・・」
もはや神の領域とも言えるその味わいに、弥生は興奮した。これだったら、大げさな話いくらでもお腹に入りそうな錯角さえ起こした。
「でもご主人。そないなすごい肉やったら、値段のほうも高うつくんやおまへんか?」
伊藤も、社長を気遣って心配する。思い切ったとは言えそれほど懐の温かくない社長は、貧血で倒れそうになっていた。
「心配いらぬわ」
勝倉は、歌舞伎役者のように頭を振って大見得をきった。
「黙って出しとる以上、お代は普通の肉と同じで結構」
一同は、勝倉に惜しみのない拍手を送った。
「よっ! 悪いほうに偽装するのが多い世の中で 『良いほうに偽装する』 なんて話は初めて聞いたで! アンタは最高やああああ」 と、伊藤。
「ホンマや。姉歯とかヒューザーの小嶋社長に聞かせてやりたいわ!」
・・・ネタ古っ。でも、そういえばあの人たち今どうしてるんやろ?
弥生は、どうでもいいことを思い巡らした。
(歌手とそのマネージャー)
「由香里ちゃん、ゴメンね。ロケバスが故障で」
黒のセルシオのハンドルを握るマネージャーの櫛田了は、後部座席の藍田由香里に声をかけた。
「了ちゃん、もう気にしないで」
優しくいたわるような声でそう言い、彼女のクセである髪をかきあげる仕草をした。
「それより、昼からまだ何も食べてないでしょ。どっか、食べるとこあったら寄っていきましょう」
藍田由香里は、日本では知らぬ者とてない、彗星のように現れた実力派シンガーである。
もともとアイドル路線で売っていたが、歌に力を入れて歌手に方向性を転向。それが大当たりとなった。
まだ海外での実績はないが、国内で言えば宇多田ヒカルに肉薄するアルバム売り上げを叩き出していた。
「おっ。そこの焼肉屋なんかどう? ロケ弁ばかりだったからああいうの食べたくなるなぁ」
由香里はスモークがかった窓から外を見た。キラキラ光を放つ看板には、 「焼肉 『だん』 」 の文字。
「いいわねぇ。そこ、入りましょ」
・・・だん、ねぇ。だん、と言えば 『モロボシダン』 ?
おおよそ若手の女性歌手とは思えないことを由香里が考えているうちに、セルシオは広い駐車場へとその車体を滑り込ませていった。
「・・・なにこれ」
了と由香里の二人は、入り口前で目を丸くした。
入り口の透明なガラスドアからのぞき見えた風景は・・・。
席を会議室内状にして、まるで客全員が 『団体様ご一行』 でもあるかのように仲良く談笑している。
年齢層別にグループができており、ちっちゃな子どものグループなどは・・・女性店員 (宏美) が絵本の読み聞かせをしていた。
「いらっしゃいませ。すみません、本日はお客様全員相席となってしまいますが、よろしいでしょうか?」
新しい客に気付いて駆け寄ってきた滝は、その場で卒倒した。
固まったまま真っ直ぐに倒れる滝を、由香里が支えた。
それがなおさら、事態を悪くした。
「ゆかりひやぁぁぁ〜ん・・・」 彼は見事に、気絶した。
滝は、熱狂的な由香里のファンだったのだ。ファンクラブ会員No.000121。恥ずかしいので、このことはひたすら秘密にしてきたのだが。
少しは変装したのだが、結局は正体のバレてしまった由香里は、一同の熱烈な歓迎を受けた。
勝倉にふるまわれた例の 『ミスジ』 を堪能した由香里は、「これ、すっごく美味しいです!」 と言って従業員一同を喜ばせた。ただ、滝だけは奥の事務所のソファーで寝かされていたが。
最後には、臨時 「藍田由香里・プチコンサート」 が店内で開かれた。
それまで主役の座を勝倉に奪われてふてくされていた店長は、司会進行を任されて機嫌が直った。
ヒット曲を初め、まだ未公開の次の新曲まで披露し、客を喜ばせた。
最後に、その場にいる全員にサインと握手をし、希望者には一緒に写メにおさまって撮影にも応じた。
一同がふと我に帰った時には、すでに夜の11時。閉店も近い時間であった。
焼肉 『だん』 にこの時居合わせた客にとっては、最高の思い出となった。
皆、喜びと興奮のうちに帰って行った。
「今日は嵐のような一日でしたね」
ほうきを持った手を止めて、宏美はボソリと言った。
時折くしゃみをしながら、滝も同意した。
「ああ、本当に」
滝が気を失ったままなので、「このまま由香里ちゃんと話もしないまま帰られたら、滝さんが可哀相」 と気を遣った宏美は、なんとバケツに水を汲んできてえいっとぶっかけたのだ。
お陰で由香里の歌は聴けたし会話もできた滝だったのだが、その代償に風邪をひいた。
店長は、驚異的なその日の売り上げに、計算機を叩くのにもホクホク顔であった。
勝倉と米山は、すでに仕事を上がっていた。由香里のサインを大事そうに抱えて 『娘にやったら、ちょっとは尊敬してくれるぞぉ』 などと言いながら、小躍りして帰って行った。
「・・・私、思うんです」
天井の蛍光灯に向かって顔を上げながら、宏美はいつになく真面目に語った。
「呼び出しブザーの故障とか、仕入れの手違いがなかったら、今日みたいな奇跡的な事件はなかったと思うの。私たちって、よく考えたら、色んなものに縛られてない? システムだとか、規則だとか、常識だとか・・・。それにはみ出ないように皆が歩く。一人ひとりがその流れの中で、問題のない、しかし変り映えしない日常を送っている」
宏美は、掃除用具入れにほうきをしまった。
「ケータイもそう。私たち、便利なものに縛られすぎてる。そんなものから解き放たれて、むき出しの人間としてだけで付き合ったら・・・、今日みたいな奇跡も起こるのかもしれない。まぁ、ムズカシイけどね、そんなこと」
カワイイだけが取り得、と思っていた滝は、宏美を見直した。
「そうだな」
滝は、由香里のサイン色紙を抱きしめた。
・・・どんな最悪に思えることからでも、最後には良かったと思えることになるってのは、あるんだな。
その時には分からなくっても、ずっと後になって 「あの時はあれで良かったんだ」 と思えることも。
そう考えると、この先どんなことが人生で起こっても、なんとかやっていけそうな気がしていた。
タイムカードを押して照明を落とし、セコムをかけた店長・滝・宏美の三人は、万感の思いを胸に店舗をあとにした。




