病室の夜の話
まだ眼を覚ましても、アグリアがいた。
どういう事だ。
既に日も完全に落ち夜になっているのに。
「誰も迎えにこないのか?」
隊長やタリアはどうした?
王家の人たちは何をやっているんだ?
自国の姫様をなんだと思っているんだ。
「ううん」
なにより今度はベットで密着するように寝ているんだ。
あたる物はあっているし、嗅ぎ慣れつつある匂いなのに身体が火照る。
全身から汗が出てくる。
熱い。
逃げるように身をよじらせると。
「ふん」
ぎゅっとアグリアが抱きしめてくる。
「やめ」
てくれ。
ふにょんとした感触。
知っている。
今この場に誰もいない。
俺は、彼女に手を出す訳にはいかないんだ。
手が震えながら、彼女の抱擁をゆっくりと外した。
「ふぅ」
戦場で一仕事やりきったような達成感。
すやすやと眠る彼女の顔を見ればよりいっそう強い。
このままベットから降りて違う寝場所を捜すか。
「......いかないで」
アグリアから、泣いたような声が聞こえた。
動かした足が止まる。
寝言なわけがない。
手を彼女の額に当てて、かすかに漏れる息を感じた。
「起きてる?」
返事はなかった。
どうやら寝ている事らしい。
俺は、彼女に謝らないといけない。
刃を向けた事。
殺しかけた事。
また感謝しないといけない。
危険な眼にあってもこうして傍にいてくれるから。
「おかしいな」
もう失くしてたものだと思っていたのに。
「そんなにおかしいですか」
アグリアがいつの間に、上から覗き込んでいた。
彼女の瞳が揺れているのがわかる。
「私は、マックさんが」
「アグリア、止めて」
彼女は泣きそうな顔になる。
言わないでほしかった。
ただの教授する関係が壊れてしまうのが嫌だった。
新しい事が怖かった。
「俺が言うから」
それももうおしまい。
逃げる事はやめよう。
自分が壊れてしまう前に自分の気持ちを伝えておこう。
「俺は、君が大好きです」
「......っつ」
アグリアがびくりと震える。
俺はすっきりした。
「あの、本当ですか?」
「本当? 本気だけど」
「冗談ではないですよね」
「俺は、こういう冗談嫌いだから」
そうですか、とアグリアは頷いたから嬉しそうに笑った。
「私もです」
「そっか、よかった」
「それで、あのお願いがあります」
彼女が、何かを言いにくそうにしている。
なんだろうと考えてから閃いた。
「ご飯?」
「はい、って違います!」
怒られた。
俺は、ずっと寝ていてお腹がすいているのだけど。
「お腹は確かにすいてますけど、そうじゃなくて」
ぷすぷすと湯煙をあげながら、彼女は最後まで言えなかった。
「......お守りが欲しいです」
お守り。
それって。
「キスの事?」
こくりこくりと彼女は声がなく返事をする。
そっと彼女に口を寄せた。
ものの数秒もない時間がながれる。
眼を見開いて驚いているアグリアの顔がある。
「ん、だめです」
「何が?」
口を離すと、彼女は怒った表情。
「急過ぎます!」
「そう? 俺は悪くなかった」
また一つ新しい表情が見れた。
でもまだ彼女に言わなければならない事がある。
口を開こうとして止まった。
「どうしました」
「いや、大丈夫」
「泣いているのに、そんなわけがないです」
彼女に指摘されて、眼に手を当てる。
涙があった。
ぽろぽろと流れてくるそれは止まらない。
「嬉しかったから」
だからこんなにも涙が流れる。
本当にそれだけ?
違う。
もう死んじゃうから。
その一言が言えない。
「ごめん、アグリア」
「謝らないで。あの、えっと、理由をはなしてくれないと」
こんな姿も見せたくないのに。
今のように彼女が困ってしまうから。
「頼みたいことがあるんだ」
「なに......ですか?」
「他の人を好きなってほしい」
ばちんと頬が叩かれた。
頬がひりひりとして痛い。
「なぜ、そんな事を言うのですか」
嫌われるのはわかってる。
好き勝手しているのもわかってる。
でもいずれはこれが最善になる。
死にいく者の事を覚えていった苦しむだけ。
「ありがとう。楽しかった」
「だ......から、理由を言ってください」
懇願するように彼女は言う。
さっきまでの幸せな顔はもうない。
「なにがいけないのですか?」
「身分」
「そんなのお母様が」
「迷惑をかけるから」
ぐっとアグリアが息を飲むのがわかる。
言いたい事をこらえる表情。
気持ちを伝えず、最初から遠ざけてしまったほうがよかったのか。
どっちがよかった?
「絶対にいやです」
そう口にした彼女の言葉を聞いて、本当の事を口にする。
「もう、時間がないんだ。ほら、手も変色してる」
「治ると決めたら治りますから」
ですから諦めないでください。
彼女の泣き顔に何も言えない。
わかってくれという気持ちと、諦めたくない気持ち。
「あっ」
もう一度、彼女を抱きしめる。
身体じゃない、たぶんもっと根本的な所が病んでいる。
そしてもっと卑怯な事を言う。
「わかった。いろいろ頑張る」
「そうです、それで」
「だから、アグリアも約束してほしい」
「......何をですか?」
「この一年間はずっと、俺の傍にいないようにすること」
言い切った瞬間に、彼女が抱きしめる力が強くなる。
「やだ、やだ、いやだ」
子供のように泣く。
「一年、終わればまた元通り」
「それじゃ。遅いんです。駄目なんです!」
どうすればいいのだろう?
ぽんぽんと背中をなでる。
「思い出にならないで」
心の中にいる。
そんな言葉は、俺も取り残された人間だけにいえなかった。
随分と勝手な話だった。
彼女をここまで傷付けておきながら。
離れようとしていて一緒に生きたいと思ってるのだから。