02-03 賞味期限切れ冷凍食品 「職業選択の不自由」
三日後、借り物の迷彩柄トレーニングウェアに身を包んだ勇は、軍病院の食堂でトレイを抱えていた。
軍の施設であるせいか、勇の前後に並ぶ患者達はどいつもこいつもアクション映画の主役が張れそうな程にマッチョなデカブツ揃いである。
身長170センチと21世紀の日本に居た当時から決して長身とはいえない背丈の勇では、筋肉の壁に埋没したような錯覚を覚える。
しかし、そんな威圧感たっぷりな周囲を気にする余裕もなく、勇は爪先で床を小刻みにタップして苛立ちをあらわにしていた。
列の目の前に並んだ、これまた筋肉質の黒人患者が自動給食機の前でもたついているのだ。
空腹は人を攻撃的にする。
本来の勇は凶暴性とは縁遠い青年であったし、見るからにタフそうなマッチョに苛立ちをぶつけるような無思慮な人物でもない。
しかし、かつてない程の飢えに苛まれた今の勇の頭の中にあるのは一刻も早くメシにありつく事だけ。 黒人マッチョの巨体におそれる様子もなく、殺人鬼顔負けの凶悪な眼光でマッチョの背中を睨みつけている。
もたもたと自分の食事を受け取った黒人は、軽い口調でソーリーを連発しながらようやく場所を空ける。
舌打ちをする暇も惜しい勇は、電子レンジを思わせる自動給食機に飛びつくと、金属製のドアを開け中にトレイを置いた。
ドアを閉めてセンサー部に手のひらをかざすと、登録された勇の生体情報を読みとった自動給食機が彼用に設定されたメニューを準備する。
チーンとベルが鳴り自動給食機のドアを開けると、トレイの上には湯気を立てるハンバーグステーキの鉄板が載っていた。
「おおう……」
広がるデミグラスソースの香りに胃袋が絞り上げられるような切ない音を立てる。
勇はトレイを受け取ると、空いている席を探していそいそと腰を下ろした。
両手にナイフとフォークを構え、戦闘準備を整える。
「いただきます!」
一声上げるや、巨大な肉の塊に挑み掛かった。
熱い鉄板の上でソースと油が弾ける音を従えて鎮座するハンバーグは、勇がこれまで出会ったハンバーグ達とは一線を画す大きさを誇っている。
大足で知られた伝説のプロレスラーの靴底もかくやというサイズだ。
そして付け合わせは小山のようなマッシュポテト、申し訳程度の人参のグラッセ。 それだけである。
パンやライス、サラダなど付属しない。 ただひたすら肉を食えというストロングスタイルなメニューであった。
圧倒的な飢餓感に苛まれた勇に否やはない。
ナイフをハンバーグに突き立て、あふれる肉汁とソースにまみれた肉片を切り取ると夢中で口に押し込む。
「……うまい」
彼自身の認識では三日ぶり、実際に経過した時間では三世紀ぶりのヘビーな肉の味は勇の食欲をさらに促進した。
肉、芋、肉、肉、芋、たまに人参。
無言でシンプルなルーチンの食事を続ける。
一口ごとに萎えた体の各部にエネルギーが行き渡っていくような錯覚を覚える。
三世紀にも及ぶ冷凍睡眠は勇の肉体に深刻な障害を残していた。 目覚めた直後に感じた全身の異常な気だるさは、冷凍の影響であちこちの細胞が瀕死になっていたためらしい。
そのままでは衰弱死するほどの深刻なダメージであったが、未来科学の成果たる医療ナノマシンにより癒されていた。
医療用ナノマシンは損傷を受けた部位の機能を代行しつつ損傷を回復させ、やがてその部位と一体化して体の中に溶け込んでいく。
人体と融合して機能するため、その動力源は細胞と同じく人体からの栄養補給となっている。
つまり、ナノマシン治療を施された患者はナノマシンを稼働させる為に膨大なカロリーを必要とし、その結果おそろしく腹が減るのだ。
勇は喉に詰まらせそうになりながらも、夢中で巨大なハンバーグを攻略していく。
並みの体格の成人男性では見ただけで胸焼けしそうなサイズのハンバーグは見る見るうちに小さくなっていった。
昨日までは辛かった。 ナノマシン治療で腹は異常に減っているのに、薄いオートミールしか与えられなかったのだ。
内臓の治療が終了したとの事で、重たい肉料理の許可が出た。
あとはがっつり食べてジョギングなどのリハビリで体調を整えていけば、問題なく回復していくらしい。
「いい食べっぷりだな」
ハンバーグに全神経を集中していた勇は、声を掛けられて初めて側に立つヴァネッサに気づいた。
「相席していいかね?」
「あ、はい、どうぞ」
ヴァネッサは手にしたアイスコーヒーのグラスを置くと、どかりと勇の対面に腰を下ろした。
Tシャツの下で豊かなバストが激しく上下し、勇はひっきりなしに動いていたナイフとフォークを止めて見入ってしまう。
ヴァネッサは勇の視線に気づかずにアイスコーヒーにミルクとガムシロップを大量に入れると、ストローでかき混ぜた。
一口すすり、大きく息を吐く。
「疲れた時には甘い物が効くな」
「お疲れですか」
「面倒な書類仕事をいろいろ片づけたのでね。 君の処遇は正式に私の元に移ったよ」
表示窓に表示した書類を見せるヴァネッサ。
勇はフォークを置くと表示窓に指先を伸ばし、文面を確認した。
ペンダント型か、あるいは外科手術で体内に埋め込んだ受信機をワイヤレスネットワークでインフォメーションクラウドに接続し、ホログラフィック表示で情報を投影する。
これが24世紀の日常生活でなくてはならない表示窓システムの概要だ。
未来技術の産物である表示窓だが、エンドユーザーとしての使い勝手は実のところスマートフォン辺りと変わらない。
勇もすぐに使いこなすことができるようになった。
「国籍が日本から地球圏同盟に変わってますね」
「まあ、とっくの昔に無くなった国だからなあ」
文面を確認しながら、やや沈んだ声でつぶやく勇にヴァネッサはあっけらかんと答える。
表示窓の操作練習がてらクラウドネットワークに接続して調べた情報によると、日本列島は西暦2243年に消滅したらしい。
隣国、ユーラシア大陸の端に飛び出していた半島で研究されていた虚数転換システムの暴走事故の巻き添えを受けたという。
半島を中心に、高度にして上下3キロ、半径にして1600キロの空間がえぐりとられ、虚数空間の彼方に消えた。
巨大な質量が失われた影響で、当時は地球規模での大災害も多発したというが、100年以上過ぎた現在ではあらかた治まっている。
後に残った痕跡は、ユーラシア大陸の東側に残る半円状にえぐれた地形のみだ。
「日本そのものが無くなっちゃうとはなあ……。 親戚の子孫とかも絶望的なんだろうな」
「だから私が君の身柄を引き受けるわけだ」
ヴァネッサは肉厚な唇にストローをくわえ、一口コーヒーを吸うと続ける。
「まあ、職業選択の自由は無いが……」
「軍人、ですか……」
勇は実感の湧かない茫洋とした口調で、祖国では縁の無かった職業名を上げた。
「君の治療に使われた医療ナノマシンは軍用の、それもハイエンドに近い代物だ。 当然それなりの値段がするのだが……」
「それを支払うべき俺の親戚も祖国もない、だから自分で稼がなければならない。そういう事ですね?」
うむ、とヴァネッサが頷き、その動作で胸がかすかに揺れる。
「幸か不幸か、君はアドミラルジーンを所有している事が判明した。地球圏同盟に所属する以上、コマンダーとして徴兵されるな」
「コマンダー、ねえ。 軍艦に乗るんでしょう? 俺、バイクの免許くらいしか持ってませんよ」
勇は表示窓を睨む振りをしながらヴァネッサの胸に視線を注ぐ。
「そこは問題ない。艦の制御はフィギュアヘッドに任せればいい。 彼女たちにとって艦は自分の体だからな」
「そんなもんですか……」
勇の脳裏に、情報収集中に見たニュース映像がよぎる。
何やら活躍したとかで勲章を授けられる金髪のコマンダーと三人のフィギュアヘッドたち。
大中小とバリエーション豊かな三人の中なら、一番長身の銀髪の人がおっぱいでかくて良かったなぁと内心思う。
勇は基本的に雑食だが、有るなら有るで素晴らしいと感じる質であった。
「戦争してて軍人やる以上、戦うんでしょう?」
「君には技術部所属のテストコマンダーをやってもらおうと思っている。 様々な機材をテストする部署だ、戦闘はないよ」
テストパイロットの乗った試作機が戦闘に巻き込まれる。 そんなロボットアニメのお約束パターンが頭をよぎるが、極力考えないことにする。
どうせ地球圏同盟で生きていく以上、軍人をやらざるを得ないのだ。
戦闘が想定されていない部署に配置されるのはヴァネッサの心遣いだろう。
「わかりました、いろいろ骨を折っていただいてありがとうございます」
勇は深々と一礼した。
先行きは不透明で心配事だらけだが、保護者を買って出てくれたヴァネッサのおかげで勇の不安はかなり軽減されていた。
なんといってもグラマーな美人なのが素晴らしい。
ヴァネッサは頭を下げる勇に鷹揚に頷くと、思い出したように付け加えた。
「そうだ、君の年頃なら仕方ないが、もう少しカモフラージュというものを覚えなさい。 そんなギラギラした目で人の胸を見るもんじゃないぞ」
勇は赤面した顔を隠すべく、もう一度頭を下げた。
これにて第二話「賞味期限切れ冷凍食品」終了です。
次回、第三話「食い詰め彼氏と在庫彼女」。