02-02 賞味期限切れ冷凍食品 「おはよう御舟くん」
ようやく主人公登場です。
御舟 勇の意識は奇妙な浮遊感と共に覚醒した。
目を開けると視界はぼやけて揺らめいている。 頭上から差し込んだ光が揺れているのが見えた。 そして全身を包む、滑る冷たい感触。
――水の中にいる!
そう把握した途端に溺れる恐怖が胸に湧き出し、勇はもがいた。 ところが体は一向に動かない。
――なんだこれ!?
さらなる混乱に陥ろうとした勇の耳に声が響いた。
「ああ、無理に動かないでくれ。 君は治療中なんだ」
中年男性の声に勇は辛うじてパニックから立ち直った。
――治療中?
喋ろうとして、口元をチューブ付きのマスクが覆っていることに気付く。
「酸素供給は万全だ、息はできるだろう? 治療ポッドとナノマシンのフル稼働だ、すぐに動けるようになるよ」
治療ポッド、ナノマシン。 SF的な響きの単語に勇の頭は再度混乱しかける。
「む、脳波が乱れてるな、あまり考えすぎるといかん。 もう少し眠っていなさい」
中年男性の声と共に、勇は猛烈な睡魔に襲われた。 睡眠ガスの類だろうかと疑問に思う間もなく、意識を失う。
夢も見ない真っ暗な眠りの後、再び目を開けると清潔なタイル模様の天井が視界に入った。
今度は水の中ではないらしく、体を包んでいた浮遊感はない。 代わりに全身の力を使い果たしたかのような疲労感があった。 どうやらベッドに寝せられているようだが、危うく再び寝込みそうになる気だるさだ。
「お、目を覚ましたか。 流石に若いだけに回復が早い」
聞き覚えのある声と共に、白衣の中年男性が覗き込んできた。
「おはよう。ええと、ユウ=ミフネでいいのかな?」
やや訛りを感じる英語の問いかけに勇は頷いた。
「はい、そうです。あの、ここは……」
「ここは病院だよ。そして私は君の担当医だ、安心してくれ。さて、カルテをまとめるために君の話を聞きたい。意識を失う直前のことを話してくれないかな?」
柔らかな口調の中年医師に促され、勇は思い出すままに取り留めなく語った。
大学の夏休みを利用して短期ホームステイで渡米したこと。
ホームステイ先の歓迎パーティで羽目を外して窓から転げ落ちたこと。
「あの、俺は窓から落ちて病院に担ぎ込まれたんですか?」
「うむ、まあそうなんだが……」
勇の疑問に医師は歯切れ悪く頷くと、不意に虚空を指先で弾いた。四角い光の枠が彼の指先に現れ、勇はぎょっとした。
「な、なんです、それ!?」
「ん? ああ、君の時代ではまだ表示窓は実用化されていなかったか」
驚く勇に医師はやや芝居掛かった仕草で告げた。
「ようこそ、西暦2352年に。御舟勇くん」
21世紀の大学生、御舟勇はホームステイ先での事故により昏睡状態に陥った。
脳に重大な損傷を受けた彼を治療する事は、当時の医療では不可能であったらしい。
それがどういう経緯で当時実用最初期段階だったコールドスリープシステムの被験者となったかは不明だが、少なくとも昏睡していた勇自身の意志は関与していない。
ともあれ、いずれ進歩した技術で治療される事を期待し、勇は未来へと送り出されたのだ。
「実際、24世紀の医療ナノマシンで君の脳の損傷は治癒された訳だしね」
「はぁ……」
どこか得意げな医師の言葉に勇はあいまいに頷いた。彼自身には300年以上も昏睡していたという認識がないので、どこか他人事に思えてしまう。
それでも、医師がカルテを記入するために開く表示窓を見ては、ドッキリの類とも思えなかった。
トリックにしては精巧すぎる。
「それじゃ、ナノマシンの技術が確立したから、俺は目覚めさせられたんですか?」
「いやあ、それは……」
「君が目覚めたのは偶然だよ。 ちょっとした事件が無ければ、コールドスリープシステムのバッテリーが干上がって危ない所だったな」
女の声が割って入る。 迷彩柄のTシャツとアーミーパンツの上に白衣を引っかけるというアンバランスな風体のラテン美女が、病室の入り口から興味深そうな視線を勇に注いでいた。
背筋を伸ばして敬礼する医師に鷹揚に返礼する姿に、勇はこの女性の地位をはかりかねる。
それよりもTシャツの下で自己主張する巨乳に目を奪われていた。 勇はそういう意味で大変分かりやすい青年であった。
「地球圏同盟宇宙軍技術部所属、ヴァネッサ=アマーティ中佐だ。君の身元引受人となる。よろしく、御舟くん」
「あ、御舟勇です……身元引受人?」
「うむ。本来なら君の縁者か、あるいは祖国そのものが君の身柄を保証する必要があるのだが……」
アマーティ中佐は表示窓を展開すると、立体的に青い球体を表示させた。
精巧な地球儀だ。
中佐は指先で地球儀の映像を回転させると、極東の一点を指し示した。
「見ての通りだ」
極東、ユーラシア大陸の東側には勇が見慣れた弓のような形の列島はなかった。 ただ、海を示す青い色が広がっていた。
「君の祖国、日本国は百年ほど前に消滅しているんだ」