第5話 いつものこと
「はい、では、こちらの作業は終わりましたので、あとはお宅のほうで機器の設定はお願いします」
棟梁は礼儀正しく、しかし義務的に私に作業の引継ぎを依頼した。どうやら、あまり好かれてはいないよだ。それまで利用していた通信回線は、まだ生きている。新しく引いた安価な回線は、もっとも家庭で使われているものだ。わたしの作業はその新しい回線にあわせて、古い環境のバックアップと新しい回線用の設定……とはいてもひとつの設定ファイルのコピーと、たった2行、IDとパスワードを書き換えるだけの作業である。ちょっと知識のある人間であれば、5分もかからない。その5分の作業のために、片道一時間、業者が来るまでの2時間、業者の作業が終わるまでの1時間、計4時間を費やしたのである。
「はい、こちらの設定も終わりましたので、現場のネットワークの確認をお願いします。とりあえず、WEBがみれて、メールが出来ればOKですから」
確認をするのに5分。これでようやくこの場所から離れられる。
「あ、申し訳ないけど、こっちも見てくれるかな?」
帰れると思った矢先に、院長の部屋においてあるPCになにか不具合があると頼まれる。
「あ、いいですよ。どんな感じです?」
これは仕事じゃない。
「だが、こういうことのひとつひとつが、信頼に繋がるのだ」と専務はよく口にする。それはいい。だがその一方で、『タイム・イズ・マネー 時は金なりだ』と言っては、業績が上がらないのは業務効率が上がらないのが原因。つまり『のろまのお前らが悪いという』顔で言われるのは無性に腹が立つ。もっとも、この件では、戸田部長を始め、ほとんどの従業員が同じ考えのようだ。そう、みんな平等に蔑まされ、何かを疎ましいと思っている。
「あ、なるほどですね。セキュリティソフトが複数ありますので、古いほうは削除なさったほうがよろしいかと思います」
ソフトが無料だから、新しいのが出たからといって、何でもほいほいインストールするのは、院長と専務は同じ人種だな。私なら絶対にそんなことは……そう思ってはみても、それはそれで仕方がないことだと最近は思えるようになった。そうやって世の中は回っているのだ。
「終わりました。これで変なメッセージは出ないと思いますよ」
「おー、そうか、そうか、じゃあ2階のPCも同じなんだね。ついでにそれもお願いできるかな」
「2階ですか?」
「あー、2階のリビングにPCがあるから、ちょっと待ってて、いま内線で妻に言っておくから、そのドアを開けてすぐの階段ね」
「はい、わかりました」
まったく、いつもこうだ。
言われたとおり2階に上がると立派なゴールデンリトリバー――決して賢そうにはみえないし、だいいち私は猫派だ――が、間抜けな顔で私を出迎える。そして跡に続いて、院長とはとても年齢がつりあわない院長夫人が現れた。
まったく、いつもこうだ。
「すいません、なんか余計な事まで頼んじゃって、ご迷惑おかけします」
院長の『いかつさ』に院長夫人の『物腰の柔らかさ』と『しなやかさ』は……
まったく、本当にいつもこうだ。
「いえいえ、おかまいなく」
そう言いながらも、私の目は部屋の隅々を物色しながら、ふだんどのような生活をしているのかを観察する。いつの頃か、そういうことが、実はとても役に立つことだと思うようになった。院長の人となりは容易に想像できた。この部屋は完全に奥さんの管理下にある。すべて家のことは奥さんに任せているのだろう。部屋の家族の写真……息子が一人いるみたいだが、大学生くらいか。この奥さんは見た目よりもかなり歳がいているのか、或いは再婚か。
「これなんですけど、わかります?わたしはぜんぜん機械のことはわからなくて……いつも息子に怒られるんです」
一台のノートパソコン。壁紙に愛犬の画像。
まったく、いつもこうだ。
「あ、大丈夫です。すぐに終わりますよ」
作業は簡単だ。まったく同じ問題だった。ものの数分で作業は終わる。それよりも問題はテレビだった。私の考えは少し甘かったようだ。思わず作業をする手がとまる。
「こ、これって、かなりやばいことになってますね」
「そうなのよ。もう怖くて怖くて、やぱり原子力発電所って危ないのかしらね」
まったく、いつもこうだ。