震災から約3ヶ月
5月30日ブログ
偶然というのは、ほとんどの場合、偶然じゃなく、起こるべくして起きたりするものだ
奇跡の大逆転勝ちなんていうのも、勝ちたいと思う気持ちが萎えたときにはおきやしない
奇跡の大逆転負けもしかり、勝ちきっていないときに「勝った」と勝負をしていることを忘れたときに食らったりする
でも、人生それほど劇的な毎日を送れるはずもなく、そんな日常にも謎の出来事、偶然という言葉で片付けるのは簡単だけど、そこになにかしらの意味を感じずにはいられない出来事が起きる事がある
それは震災の日 3月11日、ふだん事務所の中で仕事をしている自分が、いろんな状況の中で、めずらしく外出、それもおよそ生まれて初めて行く 世田谷の豪徳寺駅周辺だったこと その日経験したことは、なんとも不思議だった
その不思議な体験を物語として書き始めたのだが、原発のいろいろとか、そういうもろもろがあって、しばらく放置していた
が、資料を整理する中で、その書きかけの小説を発見し、まるで自分が書いた作品じゃないような違和感を覚えながらも、その続きを書き始めた・・・が、書けない
うーん
と思っていたのだが、あることに気付く
その作品は電車の中だと・・・つまり移動中の車中だとガンガンかける
家でPCの前に座って書こうとするとパタッと手が止まってしまう
そんなわけで、外出先でこの作品を書くようになったのだが・・・
『静かな老人』というタイトルのそれは、震災の日にボクが経験した内容に妄想をくわえたもので、半分は・・・か3分の2は実体験で、あとの3分の1が妄想です
その作品を電車の中で書いているとき、ふと隣に座っていた 若い、坊主頭の男がボクに話しかけてきた
「失礼ですけど、出版社の方ですか?」
「いえ、そういう者ではないんですが・・・」
「すいません、ちょっと目に入ったもので、これは震災のときの?」
「そうです。えーと、あの時経験したことを書きとめておこうと思いまして」
「そうなんですか」
その男は、ともても美しく――それは大自然のなかにせせらぐ小川とか、そよ風とか、そういう美しさ、清らかさ―― 一瞬ボクは、この世の人ではないのではと思ってしまった。とても若い・・・若い頃の仏陀とはこういう人だったのか
彼は言う
「ボクはお寺の人間で、石巻が実家なんです。寺はほら、こんな状態で」
彼は携帯電話を取り出し、ボクに写真を見せてくれた。
「このまえ、帰ったんですけど本当にすごい状況で・・・」
彼は自分が撮影した破壊された町の画像を次々と見せてくれた
「いま、こっちに住んでいるんですけど、親のいるところは避難地域で、これから家に帰って、親のところに行こうとしているところなんです。もう、心配で」
ご両親を他の場所に避難させようと考えているようだ。そして、彼が今住んでいるところ、それはボクと同じ街だった。
「偶然ですね」
そのときはその言葉しか思いつかなかった。
たいした会話をする間もなく、乗り換えの駅についてしまう
「じゃ、また」
かるく会釈をしたボクに、彼はとても丁寧に挨拶をしてくれた
ボクがいま書いている震災の日を題材にした小説
その中に登場する「静かな老人」は、ボクの妄想の存在だ
だけど、彼は多分実在する青年で、もし、彼とあの日、出会っていたなら、もしかしたらボクは彼を題材にした作品を書いていたかもしれない
いや、もしかしたら
あれは
「静かな老人」だったのかもしれない
なんだかとても不思議な体験をした
でも、携帯で見せられた画像
ゴールデンウイークに撮影された破壊された町の風景
ボクの何かを強烈に刺激した
世の中に、偶然で片付けていい出来事などそれほどないのかもしれない