第30話 静かなる老人
人懐っこい表情を浮かべながら、一人のサラリーマン風の男が私の背中を支えてくれた。それがなくても倒れはしなかった。いや、きっとままならなかっただろう。いったい、自分の身に何がおきたのか? いや、それよりも、ここは一体どこだ。その疑問はほんの数秒ほどで解決した。そこはよく見慣れた場所。実家から歩いて5分ほど離れた旧国道の交差点だ。ここを左に曲がり、少しいったところが私の両親と妹が住むマンションだ。
「兄さん、さっきから、ふらふらしながら歩いてたから、心配して見てたんやけど、急に立ちどまって、なんだか声を上げたかと思ったら、急にその場でクルクル回りだして、倒れそうになったもんやから、思わず駆け寄って助けなアカンと思ったんや」
「あ、す、すいません。なんだか酷く疲れていたみたいで。歩きながら寝ちゃってたのかもしれません。も、もう、大丈夫ですから」
「なんや、酔っ払いかと思ったら酔うてへんのや。身体きいつけなアカンでぇ」
「あ、はい。ご心配お掛けしました」
「あ、でなぁ、兄さん、この辺の人かいな?」
「ええ、すぐ近くに実家があります。地震の影響で家には帰れなかったもので」
「そうか、そうか。いやな。じつはワシ、今日大阪から出てきたんやけど、この騒ぎやろう。知り合いのところにいかなアカンのやけど、どうも不慣れで難儀してんねん。大森の駅に行きたいんやけど、この道でおうとるんかのぉ」
私は一瞬狐につままれたようなそんな感覚に襲われた。しかし、そういうこともあるのかもしれないと、その男に丁寧に道順を教えてあげた。ここを右に曲がり、京浜急行の新馬場の駅を過ぎて、国道15号にでたら、左に曲がり、まっすぐに行けば、いずれ大森駅方向へ曲がる交差点の案内が出ているだろうから、それを頼りに行けば迷うことはない。わからなかったら、その道なら、同じ方向に向かう人もいるだろうから、道を訪ねればいい……と。
「おー、おー、そうか。わしゃあ てっきりこの道が国道かと思ってな。やけに細い道やし、おかしいなぁとおもってたんやけど、ほう。これが旧東海道ってやつかいな。まぁ、国道には違わなかったわけやな。ほな、ありがとさん。おおきに」
男は片手を高く上げ、私に手を振りながら、ようようと去っていった。私は男の後姿を身ながら、ふと、あの老人のことを思い出し、そして、今この世界が現実であるかどうかを確かめるべく携帯電話を取り出し、カレンダーを眺めた。
2011年3月11日23時26分
ここは現実で、そして老人の姿は見えない。当然にあの蝶の姿も気配もない。あの地震からまだ10時間もたっていないこの世界こそ、私がいる世界なのだ。あたりをもう一度見回し、ペットボトルに残ったお茶を飲み干す。近くの自動販売機の横に設置してあるゴミ箱にペットボトルを投げ込み、旧東海道を左に曲がる前に、私はもう一度あの関西弁の男が向かった方角に向きを変え、男を捜した。そこに男の姿があった。その横にもう一つの人影が見えたような気がしたが、その影はすぐに街燈の明かりの中に姿を消してしまった。
老人が最後にもう一つ見せてやろうといったのは、いったい何のことだったのだろうか?
大きくため息をついて、私は実家へと歩き出した。そして私は知ることとなる。老人が最後に見せてやるといったもう一つの世界のことを。
それは、翌日の朝日とともに姿を現したもう一つの世界。日本中がパラダイムシフトを迫られた『震災後の世界』であった。私が経験したいくつかの出来事、そして妄想の中の出来事は、常にいくつかの可能性を秘めている。それを私は――私たちはいくつも選択をし、現在に至っているのだ。私がバスの中で見た妄想は、決して妄想にとどまらない一つの可能性を示していたのだと今なら思える。
私は見た。繰り返されるニュース映像。多くの命が奪われ、多くの悲しみが生まれた瞬間を。
私は見た。夜が開け、自宅へ帰ろうと動き出した電車に乗り込むために地下鉄の入り口に列を成す人々を。
私は見た。東京タワーの折れ曲がったアンテナを。
私は見た。夜を徹して普及作業に追われた駅員の疲れ果てた姿を。そしてその駅員に詰め寄る客の姿を。
私は見た。食料や水を買いあさる人々の姿を。物資を送る人々の姿を。
私は見た。壊された道路を。そしてそれを直す人々を。
私は見た。明かりを失った夜の街を。
私は見た。歌うことを忘れた歌唄いを。
私は見た。
そう、確かに私はあの日、あの震災の日に静かなる老人を見たのだった。
そして、今、私は、自分が『蝶になった夢から覚めた自分』なのか『蝶が見ている夢』なのかを、はっきりと答えることが出来る。
私は――
『静かなる老人』終わり