第25話 滑稽な行進
目の前を人の波が左から右、つまり第一京浜を東京方面から品川川崎方面へ流れている。それはまるで大きな川が流れているようなそんな印象を与える。この道は普段、車の通りは盛んであっても決して人通りが激しい場所ではない。昼時ならまだしも夜中になろうかというこの時間には、ものけの空になったビルとビルに囲まれ、さながらゴーストタウン的な雰囲気をかもし出すような場所である。
「どこかで見たよな風景だな」
それは、最近テレビで見た映画のワンシーンのようだった。あの映画は……そう、S.スピルバーグ監督の『宇宙戦争』だ。最初宇宙人の襲撃に、何が起きたのかわからず、ただただ逃げ惑う人々。どこが安全なのか、どこに逃げればいいのか。人はただただ列を成し、その場を離れるしかほかにない。目の前の光景は、まさにそんな様相を呈していた。私はある程度の覚悟という段階から、ひとつ警戒レベルを上げることにした。群衆の中にあって、ひとたび混乱が起きれば何が起きるわからない。だが、列に近づくにつれて、その警戒心は自然解けていった。なぜならそこには、混乱と狂騒はなく、むしろ理路整然とし、普段の秩序ある行動を黙々とこなす人々の姿があったからである。
私はどこか興奮するような、或いは感動するような妙な気持ちになり、高揚した。日本も捨てたものじゃない。いや、日本だからこそ、日本人だからこそなのかとそう思わずにいられなかった。人の列が川の流れのように見えたのは、車道を一車線つぶして歩道にしてあり、歩行者の通るスペースを確保している。なるほどこれなら、混乱も少ないのだろう。姿が見えなかった警察は、こういう作業に追われていたのか。しっかりとしたマニュアルの対応なのかどうか。近くで避難所の案内をしている声が聞こえる。最初警察か何かと思っていたが、すぐにそうではないとわかった。
「トイレをご自由にお使いください。水も用意してあります」
それは、大手企業のビルの前。従業員らしき男性――およそそれなりの役職についているように見える――が、たぶん会社の制服であろう企業名の入ったジャンパーを羽織り、大声を張り上げている。よく見ると4~5人の同じ制服を来た男性が、同じようにビルの周りで声を張り上げている。なるほど民間レベルでも、こういう事態に備えてなすべきことというのはあるようだ。或いは各市町村でそういう取り決めごとがあるのかはわからないが、そういう光景を目の当たりにすると、不思議と勇気をもらったような気がしたのは、およそ私だけではないのだろうと信じたい。
家路へ急ぐ行進の列に加わり、一番ペースがゆっくりな流れに身をおいた。よくもここまで整然としていられるものだ。外国のメディアはきっと、そう伝えるに違いない。ほかの国であれば暴徒化してもおかしくないだろうに。少し先にちょっとした人だかりができている。それがすぐにコンビニエンスストアだとわかった。どうやら飲み物が買えるようだ。ここはともかく店に寄ろう。老人にコンビニによるけど何か欲しいものはあるかとたずねたが、相変わらずまともな返事は返ってこなかった。ただ、この言葉だけははっきりと聞き取れた。
「欲しいのなら、欲しいものだけ。必要なら必要なだけ。わしは何もいらん」
入り口に老人を残して店内に入ると、そこはいつものコンビニとはまったく違う雰囲気だった。商品陳列用の棚には、商品がまばらにしか残っていない。それでも飲み物だけは、バックヤードから次から次へと補充されている。余計なものを見ている暇はなさそうだ。私は缶コーヒーかビールかを迷い、結局、ペットボトルのお茶にした。おにぎりや菓子パンが買えればいいと思ったが、それは断念し、乾電池のおいてあるコーナーも見たが、やはりすべて売り切れていた。レジに並ぶ間、店内の異様な状態とおよそ経験したことのないような状況で働き続けるコンビニの店員に少なからず同情した。が、思いのほか店員は元気に声を張り上げ、また、訪れる客を勇気付けるよな大きく明るい声で挨拶をする。
なんて気持ちのいい光景だ。
店の前で待ている老人にペットボトルを差し出し、飲むかとジェスチャーでたずねたが、無言で断られた。老人が先に歩きだし、私がそれについてゆく格好になった。気のせいか老人の体が、最初にあったときよりも少し小さくなって見えた。前を行く人との対比が余計にそう思わせているのかとも考えたが、そういうこともあってもいいかという目で私は老人の小さな背中を眺めながら、一口、二口と先ほど買ったお茶を口の中に流し込み、のどの渇きを潤した。目の前に連なる行列、そして振り返ればやはり、そこに行列ができている。列に加わるもの、列から離れるもの。全体としては人数が増えているのか減っているのかは判断がつかない。車道の反対側も同じよな人の列ができている。
なんとも滑稽な……
たぶん、およそ、この行進に参加しているほとんどの人がそう思っていたに違いない。同時に同じような行動をしている人がいるという安心感。普段そういったことに苛立ちと不快感を感じるような者でも、さすがにこのような状況では、その感覚に甘えるしかほかにないように思えた。しばらく黙々と歩くとようやくマイルストーンとも言える駅――JR品川駅が見えてきた。ここまでくれば、あと少し、あと少しで実家に帰ることができる。自然足は先を急ごうと早くなるのだった。老人もまた、少しペースが上がる。案外と早く歩けるものだなぁと関心をしたが、声をかけることはしなかった。してもたぶん、無駄のように思えて仕方がなかった。
それにしても――いったいこの滑稽な風景この行進はどこまで続くのだろう? どこへ向かっているのだろうか?