第24話 我先にと
できればバスを降りた人たちと一緒に歩きたいとも思ったが、老人のことを考えれば致し方ない。足手まといとも言えるが、それは本末が転倒だ。もし私が一人で行動していたら、たぶん、こうしてここには立っていなかっただろう。だからこそ私には、そうであることを後悔するよりも、ここに至るまでの経緯に何かの意味や価値を求める行為のほうが、はるかに建設的に思いえたし、そう思わなければ、まるで自分が救われない気分だった。先行く人を見送り、私は老人とともにバス停から歩き出した。
「品川駅まで、歩いて20分か……いや、もう少しかかるか」
自分だけなら、もう少し早く歩けるし、近道を探りながら進むことも可能だ。しかし、そうでないなら、そうでない方法をとるべきだし、とるしかない。それに大きな地震の後だ。下手に細い道を行けば、思いもよらない形で足止めを食らうこともありえる。ここはやはり、多少遠回りになっても、人通りのある通りを進むべきだろう。それに――なぜだかわからないが、老人もそれを望んでいるように思えた。
魚藍坂は、人が歩くのを拒むような急な坂道ではない。とはいえ、老人が軽快に上ることができる坂でもない。歩みの遅い同伴者と会話もせずにペースをあわせて進んで行くのは、想像するよりもはるかに過酷な作業だ。しかし、不思議とそのことに腹を立てるような感情は芽生えてこなかった。むしろ、その中でどうしようもなく目に入ってくる非日常的な景色をじっくりと堪能することができることに、少なからず興味を覚えていた。
「ことここに至っては、何を急ぐ必要があるというのか」
私はこの時点ですでに観察者として今の状況を心に留めることこそが大事だと気づき始めていた。人がこのようなときにどのような振る舞いをし、どのように考え、行動するのか。あのバスの中での幻影――たぶん現実でないが、確かに私が見て、感じた世界――そこに通じる扉に入り込むことを警戒しながら、私は注意深く歩いた。
まるでそんな私の心の変化を汲み取るかのように、老人は街の風景の些細な変化に足を止め、なにかブツブツとつぶやいては歩き出すのだった。道行く人の中には、あわよくばここでタクシーが拾えないかと、背後から来る車に気を配りながら歩いている者もいる。またある者は、まるで今起きていることには関心がないかのように、密閉式のヘッドフォンを装着し、軽快に通り過ぎてゆく。ある集団はおよそ先ほどまでは知り合いではなかったのだろう「始めまして、私はこういうものです」「で、どちらからいらしたのですか」的な会話をしながら痛くもない腹を探られないよう決して警戒心を解かない。
「なるほど、こういうことを想定して、臨時の避難所になるようなマニュアルがあるのかぁ」
私の関心を引いた光景――それは区民館のような公共の施設だった。トイレの貸し出しや休憩、ペットボトルの水の支給するなど、避難所として開放している。そういう場所をいくつか通り過ぎた。老人に「寄って行くか」と尋ねてみたが、相変わらずブツブツ言いながら首を縦に振ろうとしない。先を急いでいるようではないが、留まる事を良しとしない。いや、何かの時間に追われているのか、或いは……
そこで、私にある考えが浮かんだ。もしや、この老人は、これらの風景を私に見せようとしてここまで付いてきたのか。いや、付いて来たのは私のほうなのか? もしや私は何かに憑かれたのかもしれない。だとすればこの老人は……
「みなそれぞれに、急ぐべき理由がある。みな、それぞれに正義があるが如く、それは正しい。そのときのそれは正しい」
はっきりと、そう聞き取れたわけではないが、およそ、そういうことを老人が言ったように聞こえた。老人はまた、すたすたと歩き出す。私は慌てて老人の後を追う。肩からかけていたカバンが妙に重たく感じる。流石に疲れたのか。そうであったとしても不思議はない。かれこれ8時間近く、非日常的な常態の中にあるのだ。
ましてや――
もう、老人のことを考えるのはよそう。そのこと事態は意味がない。私がいま、とるべき道は一つだけ。一刻も早く品川の実家に帰ること。それだけだったはずである。老人がここでいいと言うところまで送っていけば済む。余計な詮索はするだけ無駄だ。どうせ、答えなどないのだから。
それを達観といえば、そうなのかもしれない。普段見落としている街の風景、そこに溶け込まないイレギュラーな人の営みに自然関心ごとは移ってゆく。だいたい「避難所」などという文字が、街のいたるところでみられるこの異常さをどう受け止めればいいのか。売り切れのランプが赤く光る自動販売機。途切れない車の列。繋がらない携帯電話。その一方で湯水のように溢れるtwitterのタイムライン。普段の当たり前が通用しない非日常な状態でありながら、この街の静けさは、それこそが私の抱く違和感の源なのかもしれない。
混沌のバスの中は、みんな同じように不安になり、同じように疑心暗鬼になり、同じように気を使いあいながらも、「あわよくば我先に」と、他人を出し抜くことなどまったく意に介さないといった覚悟を心に秘めていた。そしてそれは、不条理な中にも同じ条件という公正な緊張のバランスがとれた状況にあったともいえる。しかし一旦こうして外の世界――流動的な状況にありながらも沈殿し、一見膠着したかのような一見して時間が静止しているかのように見える世界に出てみると、まだ、バスの中の方が危険が危なくない状態のように思える。
目に見える不透明さ、耳に聞こえる不安さ、肌に感じる不快さは、車両のガラス一枚を隔てた別の世界のことで、問題は常にバスの中にあった。しかし、そのバスをいったん降りると、いかに自分たちがあの密集した憂鬱の中で身近な不安にだけ気をつけるだけでよかったかという有利さが身にしみてわかる。しかし、それでもやはりバスの中の世界と外の世界、どちらがより、生きているかといえば、バスの外にこそ『それはある』と私が思えるのは、きっと「死」より「生」を「今の私」が現実的に捕らえることが出来るからではないだろうか?
だからなのだ。だから自然に他人の「生」をいたわることも出来れば手を差し伸べることも出来る。私は理屈と直感の間の齟齬をなるべく埋めようと必死に考えをめぐらす。人はもっと他人の「死」或いは「生」に対して自分勝手で無関心でいられるはずなのに、なぜ、そうしないのか。なぜ、そうできないのか。
そうか。みな不安なんだ。不安だから、やさしくなれるのか。
その結論は間違えのようにも思えるが、少なくとも私がこの老人を無事にしかるべき場所に送り届けた後に家に帰るまでの道のりを、迷うことなく歩くことができれば、今は、それで、いいのだ。
老人との会話が成立しない以上、私は物思いにふけるしかなかった。物思いにふけるには、思いに止まる風景が必要だった。普段であれば、それはそれで困難な作業であるのだろうが、今日という日に限っては、見るものすべてが脳裏に焼きつくし、聞くものすべてが耳に残ったし、肌に感じるものすべてに痛みがあった。
ふと気がつけば、なだらかな下り坂に差し掛かり、目の前に国道15号線=第一京浜国道が目に入る。100メートルくらい先に、先ほどバスを一緒に降りた中年女性が見えたと思ったが、すぐに見失ってしまった。その女性は人並みにのまれ、消えてしまった。人並み――そう、そこには私がかつて見たことのないようないような光景が広がっていた。思わず私は声に出して履き捨てた。
「まるで映画じゃないか!」