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静かなる老人  作者: めけめけ
第3章 迷い道
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第21話 幻想からの回帰

 こういうことは、はじめてではない。


 私は以前にも同じような経験をしたことがある。この場合の『同じよう』とは震災を指すのではなく、胡蝶の夢、妄想か幻想か、ともかく現実と区別のつかないような、不思議な感覚のことである。


 私は、すっかり憔悴しきっていた。ここまでの長い道のり、いや、距離よりも時間である。そして空間である。路線バスという限定された空間で、時間と距離を移動する。外の景色は変わっていくが、私の目の前には先ほど以来、ずっと変わらない景色が続いている。そしてきっとそれは私だけに限ったことではない。ここにいる全ての人が同じような境遇にある。


 にもかかわらず、人は完全には、協調し得ない。


 しかしそれは幸いなことなのかもしれない。先ほどの幻想は、ひとつのパラレルワールドのようなものだ。もしも協調性が強く働けば、そしてそれが、不安や疑心暗鬼の方向に進めば、人はそこで争わずにはいられないだろう。なぜならそれは重大な身の危険に繋がるからだ。


 重大な身の危険。


 それは果たして、どんなものなのか? あれだけの地震だ。エレベータに閉じ込められたり、高層ビルに閉じ込められた人はたくさんいるだろう。或いは火災によって、煙に巻き込まれた人もいるかもしれない。それよりも何よりも震源地、そして津波の被害にあった地域は、それ以上のことになっているに違いない。


 しかし、それを想像することは不可能だった。


 阪神淡路の時だって、実感は何もなかった。スマトラはそれこそ対岸の火事だ。まるでハリウッド映画を観ているような無責任な感覚は本当に気持ちが悪い。そしてそんな時、決まって私の中である異変が起きる。あの津波の映像をみたとき、そして住民の恐怖体験をニュースで聞いたとき、私は夢を見た。それは大きな地震によって引き起こされた津波によって、家族がバラバラになってしまうという夢だ。私は妻の手を握り、娘の手を握る。そして息子は……息子の手を握ることはできない。私の両腕はふさがっているのだから――


 声を張り上げて息子の名前を呼ぶ。叫ぶ。瓦礫をかき分け、まだ膝ほどある水面の中に手をいれて手当たり次第に引っ張り上げる。しかし、息子を見つけることもできなければ、妻や娘の姿さえ、見失ってしまう。「死」という言葉が脳裏に浮かぶのを必死でこらえ、探し回る。そして私はついに妻を見つけ、娘を見つける。どうにか見つけることができた命。しかし、息子は見つからない。その場所を捜していても見つかるわけがないとわかる。その場所には息子はいないのだと私はわかる。


 生のある場所にもう、息子はいない。

 そして、私は――私たちは死のある場所で息子を捜す決心をする。覚悟をする。死と向き合う。


 夢から覚めても涙が止まることはなかった。それは安堵からなのか、死の余韻からなのかはわからない。夢でよかったと思う。しかし、夢ではない現実はあるのだ。きっと、そういうことがあるのだ。あるとわかっていても、私は、私たちはそれを想像することはできない。備えることはできない。重大な身の危険は、深刻さが増せば増すほど、現実味が薄れてしまうのだ。しかし――


 私は蝶になった夢を見ている私なのか 私になった夢を見ている蝶なのか?


「その答えは、どこにも ありはせんよ」

 老人は静かに言った。言ったように聞こえた。薄れていく現実感。夢の中のことだと思っていた事が現実になる。現実に起きている。いま、このとき、この瞬間、あの夢の中の悲しみが、北の地に溢れているんだ。夢と現実の境い目は、巨大な地震と津波によって崩れ去り、押し返される。ありえないと思っていた事が、今こうして起きている同じ時間軸の中に、私は――このバスは、居るんだ。


 答えはどこにもない? じゃあ、どこに行けば、どこに行けばその答えに……


『死』と言う文字が私の脳裏に浮かぶ、いや、もっと違うところか。イメージの世界ではない、より現実に近い世界に『死』がある。数千という数の『死』が、夢の世界から現実の世界に溢れてきている。ここが――このバスの中が安全である保障はどこにもない。そしていまだ連絡の取れない家族も、今までの感覚で考えていられないのかもしれない。


 家族と 連絡を 取らなければ

「大丈夫、心配はない……」

 それは私の口からこぼれた言葉、だけど、本当にそれは私の言葉だったのか、私には知る術はなかった。

「直接がダメなら……誰かの手を借りればいい。そうか、あいつなら連絡がつくか」

 それは私の言葉だった。しかし、過去の私ではない。私の中で何かがわかった。スイッチが切り替わる。今やるべきこと、できることをやらなければ、そうしなければ……

 私は携帯の電源をいれ、twitterの画面を立ち上げた。そしてすぐに目的のものを探し出した。

「あった。これで連絡が取れる!」

 それは近所に住む、かつての同じ会社に勤めていた三崎という男のアカウントだった。


『かなりヤバイことになっているようだけど、とりあえず何人かの無事を確認。携帯通じないとき、ツイッターって、便利だな』

 そのつぶやきに返信をする。

『おつかれー そっちは大丈夫か? お願いがあるんだが、うちの様子を見てきて欲しいんだ。連絡が取れていない。こっちは品川の実家に向かっていると伝えてくれ』

 3分後、返事が返ってきた。

『了解です。様子を見てくるだけでいいんですか? とりあえず今から行って来ます』

 すぐにお礼のツイート。

『すまない。お礼はいつか、精神的なもので!』

 20分後、待ち望んでいた情報がもたらされた。

『拍子抜けするくらい大丈夫でしたよ。本当にキモの座った奥さんですね。お子さんたちも無駄に元気でした。心配ないようですので、帰還します』

 私は心を込めて言葉を送った。

『ありがとう。感謝する』


 私はその日、はじめて心に余裕を持てた気がした。そして、考えた。このまま田町まで行くのがいいのか、それとも途中で降りたほうがいいのか。何が一番最善の策かということを――



第3章終わり 第4章に続く

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