第15話 多くの憂鬱を乗せて
バスを待つまでの間、何度か家に電話をしようと試みたが、まったく通じる気配がなかった。メールを書く。
件名:帰れない
本文:渋谷まで来たけど、交通機関が麻痺してる。今日は品川の実家に行くから、家のことよろしく。何かあったらメールか、実家に連絡してくれ
はたしてこのメールを妻が今日中に読むかどうかはわからない。通常携帯電話のメールは、サーバーにメールが届いたことを携帯に知らせる仕組みになっている。だが今日のような非常時は、『新規メールを受信』という操作をしないと、サーバーからメールは自動的に配信されない可能性が高い。理屈がわかっている人間にはピントくる話だろうが、そこを妻や実家の母に求めるのは無理だろう。テレビやラジオでは、おそらく混乱と混雑を防止するため、そういう情報も流さないだろう。
バッテリーの残量を気にしながら、時々ツイッターを使って情報をチェックする。知り合いが品川方面から渋谷方面へ徒歩で帰宅しようとしている様子や会社に泊まろうとしたらビルから追い出されたという話など、随時情報が入ってくる。こういうときにデジタルデバイスをある程度使いこなせる仲間がいるのは心強い。総合的に判断して、今の状況でバスで品川方面への移動は、かなり時間がかかるだろう。しかし、老人を歩かせるわけにも行かない。行動がこういう形で制限されるのはあらかじめ想定していたことだが、やはりどこか釈然としないものがある。
老人は、静かにそこに佇み、私のそばから離れようとしない。『この老人をひとりきりにしてはおけない』という感情が私の中に芽生え始めているのを感じるが、素直にそれを認める気にはなれないでいた。不用意に馴れ合いになるのがいやだった。
都営バスのターミナルは普段は見られないような人だかりになっていた。先行のバスが出たばかりなのだろうか。田町駅行きのバスの列は運よく20人ほどの列でまだ座れる可能性があった。まぁ、こんな状況でも『誰も老人に席に譲らない』ということはないだろうと私は思った。
日本人のそういうところは、まだ、信じられる。
バスを待っている間、老人と会話を交わすことはほとんどなかった。後ろや前に並んでいる人とは、こんな場合に即した会話をした。それよりも何よりも私には寒さがこたえた。老人は決して着込んでいるという感じではないようだが、私よりは暖かそうな服装であった。
「寒くはないですか?」とたずねてもニコニコしながら首を振るだけだった。そういう自分こそ、コートを事務所においてきたことを後悔していた。
帰りが夜になるなんて、誰が想像できるものか!
渋谷駅に到着して30分が経過する。駅の周りは人で溢れ返っていた。
「本当にバスはくるんですかね」
私たちのすぐ後ろに並んだ買い物帰りといった感じの中年の女性が話しかけてきた。
「そうですね。経堂駅から渋谷までバスで来たんですが、ものすごく渋滞してましたからね。たぶん普段の何倍もかかったと思います。どこの道路も渋滞しているでしょう」
不意に一人の老婆が駅のほうからこちらに近づいてきた。列の周りをうろうろしながら、一瞬列の間に入り込む。険悪な空気が漂う。当たり前だ。しかし、そういうことも仕方がないようにも思える。自分が座席に座って、目の前にあの老婆がいたら、やはり席は譲るだろう。しかし、それはバスに乗ってからのルールである。今はバスに乗るためのルールだ。『お年寄を列の最前列へ案内しましょう』というのは、あまり日常的なフレイズではない。
「列の最後尾はあっちだよ」ひとりの中年男性が低く静かで、威圧感のある声でいう。老婆は列の後ろへは並ばすに、そのまま駅の方へと消えていった。誰にとっても後味の悪さが残る。自分の席を譲るならともかく、自分の並んでいる列の前に並ばせるわけには行かない。心があっても術がない。
そこにようやくバスが来る。
「おじいちゃん、僕から離れないでね」
私には覚悟があった。経堂から渋谷までのバスとは違い、このバスの車内では、きっと嫌な思いを何度かするだろう。今からでも列を離れて、歩いて品川方面に向かったほうがいいと思えた。しかし、この老人のことがある。
いいさ、今日は会社を出たときから、覚悟は出来ていたんだ。いいことなんかひとつもあるとは期待していなかったさ。それが少しばかり、長引くだけのことさ。それに――
それでもこの老人を無事に目的地まで送り届けることが出来たのなら、なにかを成し遂げたという達成感、或いはもう少し崇高な何かを得られるかもしれない。
今日は、それで いいじゃないか……
バスの扉が開き、運転手が前で何かを叫んでいる。どうやら『遅れて申し訳ありません』ということと『道路が混雑しているため、田町までどのくらい時間がかかるかわかりません』という趣旨のことを繰り返し言っているようだった。
嫌な感じだ。やはり、止めたほうがいいのか。
しかし、バスに並ぶ列は進み、あっという間にバスの入り口まで来てしまった。もう引き返すことは出来ない。それに少なくとも寒さはしのげるじゃないか。そう自分を納得させ、老人を先に行かせて、バスに乗り込んだ。バスの中は乗り込んだ人が、まるで工場のベルトコンベアのように次々と座席に座っていく。ともかく人がたくさん乗るのだから、奥まで行かなくてはならない。どうにかぎりぎり、老人をバスの出口近くの座席に座らせることが出来たが、私はバスの最後尾に立つことになった。すぐに老人は人の死角に入り見えなくなってしまった。バスの外にはおよそバスに乗り込めないだろう人の列が見える。恨めしそうというよりは残念そうに見える人が多い。次のバスはいったい、いつになったら来るのだろうか。或いは来ないことだってあるかもしれない。
多くの人を積み残して、田町行きのバスは渋谷を出発した。しかし、渋谷駅が見えなくなるまでに、何分もかかることになる。この先はもっと渋滞していることが予想される。いったい何時間かかるのか。そしてこのバスに乗り込んだ人たちは、いったいどれだけの忍耐力をもってこのバスに乗り込んだのか。多くの人の憂鬱を乗せて、バスは渋谷駅を後にした。