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静かなる老人  作者: めけめけ
第2章 帰り道
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第12話 タイムライン

 携帯でウェブに接続し、定期的に情報をチェックする。ツイッターのタイムライン上に流れる内容は、いくつかに分類される。まず発信者が2種類。自らが安全な場所にいて、知りえる情報を適時にネットにあげている人。役に立つ情報が多い。特に関西地域からの投稿には阪神淡路大震災の経験を基にした有用なものが多かった。もうひとつは助けを求める声とそれを拡散するリツイートと呼ばれるもの。リツイートとは誰かのツイッター上のつぶやきをそのまま引用して、自分のつぶやきをフォローしてくれる人に知らせる方法である。つまり100人のフォロワーがいる人のつぶやきは100人に伝わり、さらにそれを一万人のフォロワーがいる人がリツイートすることで、ひとつの情報が加速度的に広がる=拡散するわけである。


 ニュースサイトや報道機関など確実な情報ソースからの引用と現地でツイートをしている人の情報を同時に見ることで、より具体的で細かいディティールで今起きていることを知ることが出来た。救助を求める内容のリツイート、交通手段に関する質問、停電、断水などライフラインの情報、尋ね人など――それは不謹慎ながら今までに経験したことのない臨場感のあるニュースの見方だった。東北地方の被害の甚大さは、計り知れないものであり、あの時点ですべての情報を知ることが出来たとしても、まったく実感がわかなかっただろう。私の関心を引いたのはどの範囲まで広がっているかということだった。


 九段会館で死傷者が出たというニュース。それてと横浜でボウリング上の屋根が落ちたというニュース。この二つから自分の実家や自宅がどんな状態なのか想定をしてみる。とても楽観的な状況ではないように思えたのだが、バスの中はまるでそんなこととは無関係な世界のように沈黙を守り続けていた。一体被害はどのあたりまで広がっているのか? 度重なる余震、津波警報は太平洋沿岸地域ほぼ全域にわたっている。津波の第一波、第二波によって北陸地方に甚大な被害が出ているようだ。さらに福島の原発が大きな被害を受けているという話まであがっていた。情報が欲しい。正確な情報が。遠く離れた被災地の情報ではなく、これから向かう行き先、家族の住む地域、友人・知人の安否。どんなにタイムラインが凄い勢いで流れても、今知りたい情報は、なかなか得ることができなかった。


 非常時――人はこうしてひとところにまとまっているうちは、ある程度慎重でいられるのも知れない。もしこれが、『ひとりだけ』という状況になってしまったら、落ち着いていられないだろう。だが『何も知らずに落ち着いている』という状況は、私をかえって不安にさせ、苛立たせた。ひとたび身に危険が及ぶような情報……たとえば、どこかの工場の火災が原因で有毒ガスが大量に発生したとか、原子力発電所が制御不能になったという情報がバスの車内に流れれば、たちまちに不安が爆発しパニックを起こすのではないか。たとえば、このバスの運転手は無線などの通信手段をつかってすでにそういう情報を知っていて、隠しているのではないか。私の妄想は時間が経つに連れ大きく、たくましく、不愉快なものになっていった。


 バスの外に目をやれば、歩道を歩く人の表情がいちいち気になる。談笑をしながら足早に通り過ぎていく女子高生。どこか不安げにあたりを見回しながら歩くサラリーマン。携帯電話を眺めながらうろうろしている若者。次々と追い越されていくおばあさんは、それでも急いでいるように見えた。道行く人の何人かはこちらの様子を伺い、気の毒そうな顔をしているように見える。そうでないとしても、そう見えてしまう。


 もしかしたら渋谷駅周辺からこちらのほうへ歩いてきているのか?


 土地勘のない私には、これが日常の光景なのか、そうでないのか判断ができない。何気ない風景のようであっても、人々の行動には一定の違和感を感じる。その根拠は手元の画面――タイムライン上に次から次へと流れて繰る非日常的なつぶやきの数々だ。そう、このタイムラインと外の風景はリアルとヴァーチャルという関係性ではなく、地続きになっているという真実=リアルな現実なのだ。


 混雑したエレベータ状態のバスの車内に比べれば、ネットの世界は快適だった。あまりにも物理的な距離が近づきすぎると、人は心を開きづらくなるのだろうか。あたりを見回してもみんなそれぞれに携帯を眺め、うつむいているだけである。或いは目を瞑り、必死に何かに耐えている。誰も手を差し伸べようともしなければ声をかけようともしない。タイムライン上ではすでにある程度のコミュニティ――情報を共有し、それをまとめてより正確な情報、よりきめ細かい情報を届けようという動きが見え始めている。デマに対するカウンターも早い。静止した物理的空間の中で、躍動するヴァーチャルな世界に繋がっているという違和感が盛んに私のある感覚を刺激する。


 それは10歳のころから私を悩まし続けているある心象風景。いや、単純に悪夢と言ったほうがわかりやすい。そして実際それは悪夢というほかない。人に話してもその恐怖は伝わらない。恐れているのは、怯えているのは私だけなのだから。


 このバスはある意味安全地帯である。外で恐ろしい事が起きていたとしても、ここにいればある程度のことは防ぐことができる。しかも大勢人がいる。『外に出なければ安全だ』という状況になったとき、人はどこまでそのことを信じられ、それを疑うことをしないように耐えられるだろうか? ひとたび誰かが不安や疑問を口にすれば、たちまち意見はわかれ、やがて一つの方向を示す、衝撃的な事実、或いはさも、事実のようなことがその中に示される。極限状態の中での選択を迫られ、人は恐れ、怯え、競い、争い、疑い、そして何かにすがろうとする。例えそれがどんな狂気であったとしても……



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