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静かなる老人  作者: めけめけ
はじめに
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東北地方太平洋沖地震

こういうものを「文学」と呼ぶのか 或いは「ホラー」なのか 私にはよくわからないが、文学としてきっちりとしたものでもなければ、ホラーと呼べるほど怖いことはない。しかし、この世のものではない何かが出るといえば出るし、夢や幻程度であれば、それはホラーとはいわない。【このお話は怖い夢をみました】というものと、なんらかわらないかもしれない。強いて言えば、そういうジャンルの物語です。


 平成23年3月11日14時46分18秒。日本が揺れた。後に東北地方太平洋沖地震と呼ばれる大地震は、地震の規模、そしてそれに伴う津波の大きさは想像をはるかに越えた『想定外』のものであった。この震災による被害の規模は一ヶ月を過ぎた4月中旬でも死者・行方不明者の正確な数字は把握できていないほど甚大なものであり、また、更に深刻な問題として福島の原子力発電所の事故による今後の影響は、経済、地域社会、人体に対する放射能の影響などを考えると震災そのものはその後も続く余震のごとく、まったく終わりが見えてこない。


 普段は事務所での仕事が多い私は、震災が起きたその日に限って外出先しており、不慣れな土地で地震に見舞われた。そして私は都内の交通網が完全に麻痺する中、いわゆる帰宅難民となり、現場から8時間かけてようやくの思いで、自宅ではなく、両親の住む実家に帰ることができた。


 実家のある品川にたどりつくまでの間、実家にも江戸川区に住む家族にも全く連絡が取れなかったのだが、twitterを使って何人かの知人と連絡を取ることができた。その中に幸い、我が家の近所に住んでいる前の会社の同僚がおり、連絡が取れない家族の様子を見に行ってもらうことができた。普段であれば一日連絡が取れないくらいで、右往左往する必要はないのだが、しかし、あれだけの揺れ、しかも毎週金曜日は、小学4年生の娘が塾へ行く日なのだが、ちょうどその時間とぶつかっていたために、家族の安否がどうしても気になっていた。


 私は地震が来たそのとき、東京世田谷区の豪徳寺駅から歩いて数分のクライアントのところで、通信回線工事の立会いに借り出されていた。震災の規模がどんなものなのか。尋常ではないことはtwitterの書き込みで知りはしたものの、まったく実感がわかなかった。テレビやラジオを見たり聴いたりした人の断片的な話を聞いても、それがどこまで深刻なことなのか、全くつかめないでいた。しかし作業が終わり、帰り際に目に飛び込んできたクライアントのテレビの映像は、想像をはるかに越えるものだった。が、それを現実として受け入れられるようになるのは、そこからバスに乗り、数時間かけてよやく渋谷駅に着いたときだった。


 渋谷駅は帰宅しようとする人々で溢れかえっていた。良くこの状態でなにも暴動とか起きないものだと、感心するほど、みんなが冷静であったのには驚かされた。たぶん日本以外ではこうはならないだろう。ホテルなどの人を収容できる施設が、帰宅難民の一時受け入れを始めたニュースが入ってきたのは、豪徳寺から一駅歩いた経堂駅から渋谷に向かうバスの中だったが、それがどういう意味を持つことなのかはそのときにはわからなかった。すっかり道路は渋滞し、はたして本当に渋谷駅につく事ができるのかという不安というよりは諦めムードの中、それでも渋谷駅についたときには、ここまで座ってこれた幸運に感謝し、3時間近くも立ちっぱなしの年寄りには、本当に申し訳ない気持ちになった。だが、私が席を譲ることはできなかった。席を譲るためのスペースが、バスにはなかったからである。


 実家にたどり着くまでの8時間あまりの道のり。私の半径5メートル以内でおきた非日常的な出来事の数々。私はその中で、ただひたすらに妄想にふけるしかなかった。しかし、そうした妄想のほうがはるかに現実的で、日に日に明かされる事実は、どちらが現実でどちらが妄想なのか、はたまた夢なのかが、わからないほどに『この世界』は変わってしまった。


 私は物書きだ。物書きは物書きの視点で見たこと、聴いたこと、そして考え、思い、感じたことを書かなければならない。震災の日、そして震災以後の世界。その中で前に進むための糧となるよなことを書かなければならない。或いは、間違ったこと、不条理な事があれば、それらに対して警鐘を鳴らさなければならない。そのどちらの条件も満たすようなことを書ける時期では、今はまだないと思いながらも、それでも私は書かずにはいられない。


 今書きたいと思ったことは、今書かなければ二度とかけない。


 その思いが私を突き動かし、私はあの日の出来事を一つの物語として書くことを決意した。この物語は、『震災』という出来事をテーマにしているが、新聞やテレビに報道されているような巨大なエネルギーによる破壊、自然の驚異の前に命を落とした人々、残された人の悲しみといったスケールのものではない。もっとより内面的であり、間接的であり、しかし、それがゆえに人の想像や妄想の範囲内の視野で見える世界。そういった物語を書こうと思う。


 それで果たしていいのだろうか? という疑問にさえなまれながらも、しかし、私は書かずにはいられない。この物語は決して被災地の方を勇気付けるものでもなければ、心を暖めるものでも、心を躍らせ、辛い気持ちをやわらげるものにはなりえない。私は、こういう形でしか、今は書けないのだから、書ける物を書く。ただ、それだけである。それが正しいかどうかは、きっとこの物語を書き終えたときにしか、わり得ないのだから。




 震災に遭われ、今なお避難生活を強いられている多くの皆様に心から御見舞い申し上げます。そして震災で命を落とされた方、心よりご冥福をお祈りします。


平成23年4月15日

めけめけ

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