Romeo Lovias
公園のベンチに座って、小池で泳いでいる小さな魚とベンチの脚に巣を作っている蟻たちを見ながら、リーナと私は"日曜日の恩返し"で永遠と流される音楽をただ聞いていた。うるさいだけのトランペットは無駄によく聞こえるし、太鼓の音は地面を伝わって震えているのがわかってしまう。毎年同じことを繰り返して、いったい何が楽しいのだろう。
「リーナ、ケーキありがとう」
「いいのよ。あのケーキ屋で買うつもりだったのでしょう?」
リーナの良く通った声も今はかき消されかけていた。耳元でかすかに聞こえるほどだ。
別に誰かが喜んで聞くわけでもないのだから、もう少し静かにすれば良いのに、と思う。
「まぁね。お金足りなかったから買わなかったけど」
私は苦笑いでごまかした。お金が足りなかったからケーキを買わなかったわけではなかったのだが。
「明日からはBISTの訓練ができるんだよね」
「そうよ、第2次能力まで習得するには1か月程度かかるけど、努力次第でいくらでも早くなるわ」
1か月ならきつくても耐えられそうだと思った。1年の12分の1が消えるといっても良いのだから。
「第2次ってその、幻覚とか透視とかだよね」
「えぇ。一般的には第1次能力がオズ、第2次能力がヴァンネ、第3次能力がサラって呼ばれているの」
どうやら能力には名前があるらしい。誰がつけたのだろう、人の名前ばかりだ。
「……あれ、第1次能力はBISTの覚醒で体が変化して、第2次能力は透視とかの能力があるってことは分かったけど、第3次って何?」
「サラは自然の力を使えるようにするの。ヴァンネまでは体内能力がほとんどなんだけど、サラは例外ね。例えば火を呼び起こしたり、風を集めたり……、外の力を取り寄せるって感じよ」
第3の力。なんだか第6感が備わったみたいで、妙な優越感が染み出てくる。
つまらない日常よりもずっとこっちの方が心地よかった。もう二度とあの場所へは戻りたくは無い、そう私は思っていた。
「そうなんだ。リーナは、サラはどんな力なの?」
「土の変形ね、一言で言うならだけど」
「そっか」
私は黙った。もし私がサラを手に入れることができたなら、一体どんな力が得られるのだろう。漫画の主人公になった気分だ。なんでもできそうな気がした。
……ふと、トランペットの音が聞こえなくなっていた。
おかしい。さっきまでちゃんと聞こえていたのに。
「あら、さっきまで音楽が鳴っていたのに、急に静かになったわね。日曜日の恩返しはもう終わったのかしら」
リーナも不思議そうに首をかしげた。確かに私も違和感を感じている。
祭りは終わった様子もみせず、またいきなり音楽が切れたわけでもなかった。
いつの間にか終わっていたのだ。まだ昼過ぎ、太陽が顔を見せている。
日曜日の恩返しは日没まで続けなければいけないはずだ。
「いつもはもっと遅くまでやってたはずなんだけどなぁ……」
何か事件や不具合でもあったのだろうか。静かな空間が、お化け屋敷のような冷たい空気を押し寄せてきた。
「静かなのは、僕が音を消しているからだよ」
不意に低く重い、誰かの声が聞こえた。
「っ誰!?」
背中に走った冷たさを感じて、ベンチから離れる。長身の男がベンチの後ろにいた。
「アルセア、下がって! あなた、Decade Hallの人間ね」
リーナ、叫ぼうと口を開けかけたまま私は動けなくなった。
ジョンと似た、唇のつり上がった男がリーナの目の前に瞬間移動してきたのだ。
リーナは立ち上がりかけた姿勢のまま、男を睨み続けている。
「そうだよ、正確にはその落ちこぼれみたいなものだけどね……。ディス、つまり10番目だ」
10番目、その言葉が何を意味しているのかは分からなかったが、そんなことよりも私はその男が怖くてたまらなかった。殺気が何かを知らなかった私でさえ、赤い光を発する瞳からはおぞましい何かを感じる。
「ディス……、そう、ついに頭を出してきたのね」
「頭……か。僕は落ちこぼれだから、そんなに強くはないけどね……。しかしよくこんな場所でBISTの話ができるものだ。
僕がLEの人間なら絶対にしないよ」
LE、BIST……。その言葉を知っていて、しかもリーナを殺そうとしている。
これがジョンの言っていた国家に雇われたBISTERなのか。見た目は細いが、破れた服の隙間から見えた胸元はがっちりとしていて、まさに戦闘系と誇れるような男だ。
緑色に染まった髪、耳には金のピアス、腕には赤い竜の入れ墨、そしてごつごつした指にはざっと数えて20個ほどの指輪が光っている。
どれも、漫画のヤクザにしか思えないほど不気味だった。
「まさかあなたがいるとは思わなかったわ、10年もBISTERでありながら気がつかないなんて。あなたもやるわね」
「違和感もなかったのか。あなたはよほど戦闘に能がないようで」
リーナの顔が一瞬ゆがんだ。今すぐにでも殴り倒してやりたい気分だった。
「ディス、侮辱よりあなたの名を先に聞かせて」
「ロメオ・ラヴィアス。僕もあなたに聞きたいことがある。その子はLEの人間かい?」
「あなたに言う必要はないわ。言わなくても、会話を聞いていたならわかるでしょう」
あくまでも冷静な態度を取り続けるリーナ。その声には余裕がない。
男はふん、と鼻を鳴らした。こちらはずいぶんと余裕があるようだ。
リーナは一歩前に出て、掌を前に突き出した。
BISTの発動だ。
目が見開かれる。血管が膨張して、3秒たたずに顔が真っ赤に染まった。
「気が早いのは良いことだ。でも、焦り過ぎは良くないな」
男もボクサーのような姿勢になる。手に力が込められた気がした。
「死ね」
え? リーナの声が聞こえる。ドン、と何かが叩かれる音。
はっと我に返った。目の前には、リーナの腹に叩きこまれた拳と、地面の上の赤い血。
男との間には、砕かれた土の壁。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
赤かったはずのリーナの顔が青い。紫色になった唇からは血が滴り落ちていた。
「ロメオ・ラヴィアス……。あなたは逃がすわけには行かない。私が始末するわ」
苦しそうな声で宣戦布告をするリーナ。私は動けもしなかった。
「それで? 僕を倒すつもりかい?」
あきれた、と言わんばかりの顔をするロメオ。
「そうよ」
リーナが笑う。弱くも強い、笑みだった。