Lina
目を覚ますと、白い部屋の白いベッドに寝かされていた。
「あら、目は覚めた?」
聞き覚えのあるやわらかい声。リーナだ。
そばにあった木の椅子にリーナが座っていた。その隣には茶色の振り子時計が置かれていた。時計は夜中の2時を指している。
「ごめん、私眠ってた」
「大丈夫。あのスパゲッティには体力回復剤を入れておいたのよ、そのせいで眠くなってしまったのね」
「薬?」
「あなた、手首に怪我してたでしょう」
そうだ、と昨日自分が何をしていたのかを思い出した。いつものように屋上で自殺を図ろうとしていたのだった。
確か傷跡が……ない。何事もなかったように傷が消えている。
「……ありがとう」
「いいのよ、お礼なんて。私にできることをしたまでだわ」
私にできること、か。私にもそんな台詞が言えるような日が来るのかな。
「昨日の話は覚えてる? ジョンが先走っていろんなこと教えちゃったみたいだけど」
「なんとなく。リーナもその……BISTER、なんだよね」
そうよ、と言いながらリーナは読んでいた本を閉じる。題名が気になったが、表紙は古く、どこかの国の言語で書かれていて読めなかった。
昨日の記憶が頭の中で再生される。
「じゃぁリーナも自分の心臓とか皮膚を自由に動かせるってこと?」
「目ならできるわよ、簡単に。BISTER、って言っても動かしやすい場所は人によっても違うの」
目に影を作っている前髪を少しかき分けて、ブルーの目を私に見せた。
「気持ち悪かったら言ってね、すぐやめるから」
そんなに気持ち悪いものなのか、とどこぞの大魔王みたいな目を想像していると、リーナの右手に焼き付けられた緑色の"LE"の文字が光った。
目を見開いて、そこに力を入れているのだろう、見る見るうちに充血して赤くなる。
瞳までそれは届き、さらにそれも侵食し始めた。血管は網目のように目を駆け巡り、あふれ出して瞼の上へ、さらに目尻を飛び出して顔の横へと広がっていった。顔の上半分は浮き出した血管に支配され、ブルーの瞳さえも赤く、頬も耳も何もかもが赤く染まっていた。
「こんな感じかしら」
声だけは相変わらずやさしかった。軽くほほ笑むと、リーナは力を抜いた。
充血が引いて、元に戻る。ブルーの瞳がまた光りだした。
「BISTっていうのはね、脳細胞を一気に活性化させて、体中の神経に指令が送れるようにするの。イメージさえできていれば十分動かすことができるわ。もちろん訓練は必要だけど」
「っでもどうやってBISTを使うの? 目が充血しても意味ないと思うけど」
「BISTはね、体を動かすだけじゃなくてそれを使った2次的能力……例えばそう、昨日タツが幻影を使ってるのを見たでしょ。ある意味超能力みたいなものが使えるようになるの。脳や体に変化が起こると不思議な力がでるものなのよね」
「リーナは? 何ができるの」
「透視よ。物を透けて見たり、遠くにあるものを見たり……あとは人の考えが少し見えるの、不完全だけど」
「すごいね。私は何ができるんだろう」
私はBISTの能力に興味を持った。恐怖もあったが、それ以上のものがあるような気がしてならないのだ。
昨日ジョンからもらった3億円の入った鞄が枕の横にある。
よく考えてみれば、あと寿命が15年あったとしても3億円なんて使いきれない。
ジョンはそれをわかっていて私に3億円なんて話を出してきたのだろう。騙された、せこい奴だと私は思った。しかし、今更引く気にはなれない。
「リーナはさ、どうしてBISTERになったの」
「私はジョンの幼馴染なのよ。随分と昔からいろんなことに付き合わされてきたわ」
「寿命だって短くなるのに?」
リーナは白いクローゼットを開けた。中から、黒いジャケットとプリーツスカート、シャツを取り出した。着換えろ、ということだろうか。素直にそれを受け取ると、私はすぐに服を脱ぎ始めた。
「それでもいいのよ。私はジョンのためなら何が起きてもいいの。むしろあなたの方が心配だわ。
あなたには、変えようと思えば変えれる人生があるのに……」
全てサイズはぴったりだった。いつの間に揃えたのだろうか。
「変えるなんて無理だ」
「それはすぐには無理かもしれないわ。親がいなくてもお金がなくても、でも、生きてさえいればどこかに希望はあると思うの」
リーナはどこか悲しそうに言う。皆同じ顔だ。人を殺し、人を捨てて逃げることがそんなに大変なことなのだろうか。
「何それ。そんなものを待つなら、死んだ方がましだよ。……リーナは私をここから追い出したいの?」
私には友達も、大切に思う両親さえいない。一度捨てられたのだから、捨てることなんて私にはなんでもないことだ、と思う。
「できればそうしたい、っていうのが本音ね。アルセアにはこんな運命を背負ってほしくないって思ってるから」
「私はどうなってもいいんだ。あと1年で幸せになれるなら、私は残りの何十年を捨てても構わない」
吐き捨てるように言葉をばらまいた。リーナは一瞬驚いて、それでもさっきと同じように悲しい笑顔を作った。
「……そう。気持ちは変わらないのね。なら、ついてきて。BISTを、始めるわ」
リーナがなぜそんなに私を心配しているのか、全く分からないまま、私はついて行った。