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第1話:伝説の指導員

新しくお仕事物語を書きました。温かく見守ってくれると嬉しいです。よろしくお願いします

1. 原色の花と、高すぎる理想


沖縄の四月は、もう夏の日差しをみせている。

田園風景の面影を残す街並みに、まるでお祝いをするかのように原色の花が咲き誇っていた。

二十二歳の私、森下くるみは、新品のリクルートスーツに身を包み、駅前の鏡で何度も身だしなみをチェックした。結び直したスニーカーの紐は、これ以上ないほどきつく、私の決意を表している。今日から私は、社会人だ。


「一人ひとりの個性に寄り添い、彼らが自分らしく生きるための架け橋になる。それが、私の使命」


大学の卒業文集に書いた、今思い返せば気恥ずかしいほど真っ直ぐな言葉を、お守りのように心の中で反唱する。


目指す先は、地域活動支援センターを併設した就労継続支援B型事業所『あおぞら工房』。


知的障害や精神障害を持つ人たちが、パン作りや軽作業を通じて社会との繋がりを持つ場所だ。


大学の実習で訪れた際、利用者さんたちが不器用な手つきで懸命にパン生地をこねる姿に、私は魂が震えるような感動を覚えた。


あの時、指導員が掛けた「いい形になったね」という一言。


それだけで世界が明るくなるような、あの魔法の光景を、今度は私が作る番だ。


「おはようございます!!」


事務室の扉を、元気よく――いや、勢い余って少し大きな音を立てて開けてしまった。

朝の静かな空気が私の声で震え、デスクに座っていた数人の職員が一斉に顔を上げる。


「あ、新しい子の森下さんね。よろしく」

「元気があっていいわねぇ。若さのお裾分けをもらわなきゃ」


事務のベテラン・松本さんが、眼鏡の奥の目を細めて笑ってくれた。温かい歓迎の言葉に、私の緊張は少しだけ解けた。だが、視線を巡らせても、肝心の「あの人」の姿が見当たらない。

実習先でお世話になった教授が、「あそこには、日本の福祉界でも指折りの、とんでもない支援員がいる」と言っていた。その背中を見て学べと、強く背中を押されたのだ。


「あの、私の教育係をしてくださる、一ノ瀬さんは……?」


私が尋ねると、施設長の九条さんが、困ったような、あるいは同情するような苦笑いを浮かべて指を差した。

「あー……森下さん。一ノ瀬は、あそこの奥だ」


指し示された先、事務室の一番奥。

そこには、三つのデスクを不法占拠するように、だらしなく突っ伏して寝ている男がいた。


2. 伝説の(はずの)男

「……一ノ瀬さん?」


恐る恐る近づき、声をかける。返事はない。

代わりに聞こえてきたのは、規則正しい、そしてあまりにも図太い寝息だった。

彼のデスクは、もはや惨状と呼ぶにふさわしかった。古い書類の山、飲みかけで放置されたコンビニのカフェラテのカップ、そして何故か、子供が遊ぶような古びた赤いミニカーのカタログが散乱している。お世辞にも「プロの支援員」には見えないし、何より清潔感が絶望的に欠如している。


(これが、日本の福祉を背負って立つと言われた伝説の……?)


「……あの、一ノ瀬さん!」


少し声を大きくして呼ぶと、男はようやく、錆びついた機械のようにスローモーションで頭を持ち上げた。

ボサボサの髪。手入れされていない無精髭。そして、何日も徹夜したかのような、ひどく澱んだ「死んだ魚のような目」。

それが、私が出会った時の一ノ瀬徹だった。


「……あー。……誰?」

「今日から配属されました、森下くるみです! 大学では障害児教育を専攻していました。一ノ瀬さんの背中を見て、一生懸命学びたいと思っています。よろしくお願いします!」


私は最敬礼の角度で頭を下げた。だが、返ってきたのは、期待していた熱い言葉でも、歓迎の言葉でもなかった。


「……声、デカい。鼓膜が震える。……あと、お前のその匂い。香水か? きついな。……百害あって一利なしだ」


一ノ瀬は顔をしかめると、耳をほじりながら、おもむろにデスクの上に置いてあったスマホを手に取った。

「あー、森下さんね。九条さんから聞いてる。えーっと……適当にその辺の椅子座って、みんなのこと眺めてて。俺、今忙しいから」


「忙しいって、今、スマホのパズルゲームを起動しましたよね!? 画面に『Combo!』って思いっきり出てますけど!」


私のツッコミを、一ノ瀬は大きな欠伸一つで聞き流した。パズルを消すたびに流れる爽快な効果音が、私のやる気を削ぎ落としていく。

「これも動体視力の訓練。……冗談。とにかく、今日は何もしなくていいから。余計なことされるのが、現場にとっては一番のノイズなんだよね。お前、自分が何しに来たか分かってるか?」


「ノイズ……? 私は支援を学びに来たんです! 利用者さんの個性を引き出し、彼らが社会に羽ばたくための――」


「はいはい、その辺にしておけよ。朝から砂糖を吐くようなセリフは体に悪い」

一ノ瀬はスマホの画面から目を離さず、鼻で笑った。


「そんなキラキラしたもん、ここには落ちてねえよ。お前のその『助けてあげたいオーラ』、利用者にとっては有害なガスでしかない。とりあえず、あっちの工房でも見てくれば? パンの匂いくらいは嗅げるだろ。あ、絶対に邪魔だけはすんなよ。黙って隅っこにいろ。いいな?」


私は煮え繰り返るはらわたを必死に抑え、一ノ瀬に背を向けた。

あんな男に期待した私が馬鹿だった。実習先の上司が言っていた「凄い支援員」というのは、きっと何かの間違いか、十年以上前の古い情報に違いない。今はただの、現場を腐らせる「給料泥棒」だ。


「見てなさい……。私が、本当の支援がどういうものか、あなたに見せつけてやるんだから!」


私は拳を強く握りしめ、事務室を飛び出した。

その背後で、パズルゲームの「Great!」という能天気な音が響いていた。


窓の外では、まだ原色の花びらが舞っている。

けれど、私にはそれが、散りゆく私の理想の残骸のように見えてならなかった。


(第1話・了)

実体験から書きました。少しでも、福祉従事者の役立つ情報になればと思い執筆してます(^^)

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