第六話
三週間。
あの赤い髪の少女の声が、頭から離れなかった。
――同じくらいの子どもの声を聞いたの、初めてで。
あの一言が、胸の奥に刺さったままだった。
レオハルトは王都へ戻るなり動いた。
誰にも悟られないように。
「ついてくるな」と言ったあの日から、従者の目は増えた。
王子は監視される。
監視されるということは、狙われているということだ。
だからこそ、慎重に、遠回りに。
レオハルトは“偶然拾った情報”を集めるふりをして、点を繋いでいった。
モンテリオール侯爵家。
侯爵夫人は病弱で、美しい人だという。
そして――数年前、病の影響で視力を失った。
ここまでは、ただの噂で済む。
問題は、その後だ。
ある時期から、侯爵家と神殿の距離が急に近くなった。
寄進が増え、出入りする神官が増え、祈りの名目で人が動いた。
その直後。
侯爵夫人は“目が見えるようになった”。
奇跡と呼ばれた。
神の加護だと囁かれた。
――だが、奇跡には代価がいる。
レオハルトは、そういう話を知っていた。
神殿の奥で何が行われるか。
どんな“祈り”が、どんな“契約”になるか。
そして、同じ時期。
侯爵家の一人娘が、王都から姿を消している。
表向きは「療養」。
あるいは「留学」。
あるいは「繊細なお嬢様だから、人前に出さない」。
言い訳はいくらでもあった。
だが、領地の端の木陰に座る少女は――盲目だった。
目が見えないはずなのに、気品だけは消えていなかった。
言葉遣いも、姿勢も、育ちの良さも。
それが逆に、胸を悪くした。
隠された理由は、病弱だからではない。
“見せられない”からだ。
もし、侯爵夫人が視力を取り戻したのが奇跡だとしたら。
なぜ。
なぜ同じ頃に、娘が盲目になっている?
偶然で片付けられるほど、世界は甘くない。
レオハルトは唇の内側を噛んだ。
親が、子に背負わせる。
それを“美談”にして、神の加護だと笑う。
――胸糞が悪い。
怒りは熱ではなく、冷たさになって腹の底に溜まった。
あの子は、何も知らない顔で笑っていた。
大人に囲まれて、たった一人で。
「安心するわ」
そう言った。
それが、どうしてあんなに痛いのか。
レオハルトは机に置いた手を、きゅっと握りしめる。
掌の硬さが、自分を落ち着かせた。
――守りたい。
そう思ってしまった。
はじめて。
それは理屈ではなかった。
損得でも、戦略でも、正義でもない。
何よりも強い動機は、感情なのだと。
その日、レオハルトは知った。
守れる力が欲しい。
守るべきものが、できてしまった。
――だから、行く。
今度は視察ではない。
ティアに会いに行く。
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次の日も、私は同じ場所で待っていた。
あの木の下。
風が通り抜ける、私の世界。
レオが、また来ると思ったから。
けれど、来なかった。
次の日も、その次の日も。
風の音だけが、そこにあった。
私はばあやに聞いた。
「ばあや、レオを知っている?」
ばあやは、少しだけ間を置いてから答えた。
「……いいえ、お嬢様」
その声は、本当に知らないのか。
それとも、言えないだけなのか。
私には分からなかった。
それでも、私は待った。
他に、何もすることがなかったから。
――レオと初めて会った日から、三週間ほど経った頃だった。
砂利を踏む音がした。
その瞬間、心臓が跳ねた。
私は立ち上がる。
間違えるはずがなかった。
あの足音を、私は知っている。
「レオ!?」
声が、自然に溢れる。
「レオでしょう?」
返事を待つ時間が、やけに長く感じた。
闇の中で、私はその“間”に怯えていた。
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「レオ!?」
声が弾んでいた。
「レオでしょう?」
レオハルトは一瞬、言葉を失った。
自分を待っていたのだと、分かってしまったから。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「……すごい歓迎だね」
思わず、小さく笑った。
「レオだよ」
一歩、近づく。
「久しぶり」
セレスティアは息を呑んだ。
それから、ほっとしたように微笑んだ。
見えていないはずなのに、まっすぐレオの方を向いて。
「……来てくれたのね」
その一言が、レオハルトの胸に静かに落ちた。




